第155話「速球打ち」
インローに投げ込まれる松下のストレート。佐々木はこれをギリギリのところで打ち返す――が、打球はホームベースを強く跳ね、左打席側へと飛んでいく。
(タイミング的にはあってきたか?)
しかし、早くも追い込まれる。変化球などが来れば、間違いなく三振になる自信しかなかった。
(だったら……速球一点張りするしかないか……)
相手は自分を舐めてきている。それだけが今佐々木にとっての唯一のアドバンテージであった。
(松下サンの今のストレートなら、合わせられたとして、凡打にしかならない。ましてやウチの内野陣はなかなかの守備力の高さを持っている――大丈夫だろう)
キャッチャー村松は、アウトローに指示を出す。
(ここに一番の球を……!)
松下は構えて投げる――凄まじいフォーシームの回転が、佐々木の手元でノビる。
(ちょい甘いか!?)
村松がそう思う頃には、佐々木はもうバットを振っていた。金属音が鳴り響く。
「(当たっ――)ライト!」
右中間に飛んでいく打球。しかし、打球は弱弱しくライト方向へと流れていく。センター中島が打球を猛スピードで追う。
「中島さん! 切れるッ! 原に任して!!」
村松がホームから叫ぶも、聞こえていない中島。
「俺がいくっ!!」
打球に対して滑り込む中島。しかし、あと一歩のところで届かず、後ろから入った原がカバーする。
「ナイスカバー!! 原!!」
「惜しかったぞ中島!!」
外野手を讃える桐陽。しかし、それよりも沸いていたのは、クロ高ベンチだった。
「さ、佐々木が打ったぞ!!」
「うおおおおお!!」
「あの最速投手から!!」
「すげえ!!」
ファーストベースに嬉しそうに佇む佐々木を、全力のエールで讃えるクロ高ベンチ。当人もまんざらではない様子で、ガッツポーズで応えた。
(さあ、切り替えよう)
一人いち早く切り替えているのは、投手の松下。
(5回に一回くらいは打たれんねん。仕方ない仕方ない……)
「代打です!」
ここで、代打の林里を起用するクロ高。林里は小走りで打席に向かう。
(……佐々木が出られなかったらとにかく転がして内野安打を狙う。出たなら送るぐらいに気持ちで転がす。2アウト二塁はオッケー。今宮さんがどうせ控えてる――)
絹田監督に吹き込まれたことを頭の中で繰り返す林里。
(大丈夫……バッティング練習でこれぐらいのスピードの球の練習はしてる)
(ほぉん……あの調子の“良さげ”やった左のアイツ下げるくらいのバッターか……。線は細めやし、長打はなさそうやな)
塚岸はバッターを観察しながら、守備位置を若干前に変更する。逆に武月は警戒して深めの守備位置を取る。
松下のストレート――初球から転がす林里。
(うおっ!?)
ファースト側にうまく転がす林里。打球を飛び越えて一気に走り出す。
村松は腰を浮かせて打球を追う。しかしファースト武月のほうが速い。
(松下ァ! カバー急いでくれ!)
「こっち!」
松下がカバーに走りながら送球を呼ぶ。武月がすぐさま投げる――
「セーフ!」
林里の方が一歩早くベースに着く――文句なしの内野安打である。
(練習しといてよかったぁ!!)
一番バッター、今宮が打席に立つ。
(佐々木が打って、林里が繋いで……1アウト1.2塁。ほんっと、すげえチームになったよなあ)
今宮は打席に立ち、いつものようにバットを二回、素振りして、右足の内ももと膝にぐっと力を込める。一度目線を胸元の高さまで下げ、自分のストライクゾーンを見渡しつつ松下を見据える。じんわりとバッティンググローブの中に感じる汗。
(ゲッツーだけは本当に無し。最低でも進塁打。ただ、俺はキャプテンだろ。“最低”やってたら務まらねえ)
松下はストレートを投げる。初球から長打を狙う今宮。珍しくフルスイングする彼の姿に、全員が目を丸くする。
(今宮さんがフルスイング?)
金条はブルペンで古堂の球を受けながら首を傾げた。
(ほう……)
塚岸はあえて前に守備位置を置く。
(次セーフティってか? 駆け引き上手め)
ショートの浦部も、彼の動きに合わせて少し三塁よりにポジションを置く。
(よしっ……センターヒットゾーンが広がったか……)
ファーストストライクを大きく空振りするのは、守備をする者たちにとっての選択肢を増やすためであった今宮。今は落ち着いた様子で松下を見ている。
(ああ、このバッターは冷静だな)
村松は外角の変化球のサインを変更し、振らせる選択肢を諦め、インコースにストレートを要求した。松下は首を振る。
(このバッターにそれは怖い。長打を隠し持っていてはいなくても、クリーンヒットされてもおかしくはないだろう)
松下は今宮を警戒している。それが村松にとっては納得いかなかった。
(何でだ……松下さんの球は、一番速いんだ。もっとストレートに自信を持ってくれ――
村松吉乃――彼が一年生で初めて桐陽学園の野球部に入ったとき、一番目立っていたのは、黄金世代の三年生を差し置いて、二年生の松下だった。
『2年の先輩に153出した人いるらしいで』
『国友先輩より速いんちゃうの?』
桐陽に入部する一年生など、全員が鳴り物入り。捕手としての器量の自信も少なからずあった村松は、松下を一目見ておこうと、入部直後の練習でブルペンへとまっすぐに向かっていった。
ブルペンには、捕手を座らせて投げる松下の姿。ストレートの回転はまっすぐで伸び上がるような球筋。一瞬でストレートの良さに気付いた村松は、彼の球に心を奪われていた。
(ああ……この人の球を捕りたい)
練習に誰よりも精を出し、ようやく勝ち取ったレギュラー。しかし、そこでようやく知ったのは、松下のメンタリティである。
『今日も3失点か』
『松下サンはもっと力押ししてください、うたせなくていいんです』
『球が乱れたら試合も作られへん。それじゃあエースにはなられへん』
『良いんです。松下サンの武器はストレートなんや。一番速い球ホっとったら誰も打てませんって』
松下は――エースとしての自覚があった。それゆえ、村松の求める理想像とは少し違ったのであった。
(もっと……唸るを通り越して蠢くようなストレートを……多少外れたっていい。そのパワーを前面に押し出せば――相手はビビる)
村松は松下にもう一度ストレートを求める。首を振る松下。
(打たれないんだッ……もっと自信を持って)
松下はストレートを投げる。しかし、低めに外れたショートバウンドの球になる。村松はボディを入れてしっかりと止める。
(あかん……打たれることを意識したらあかんのや。どんなに甘く入ろうと、松下サンが本気で投げたらええんや)
高めに外れるストレートを見逃す今宮。ヘルメットと額の間に一筋の汗が滴る。
(目線を動かそうとしてくる……非常にまずい)
2ボール1ストライクのカウント。4球目――変化球を投げる松下。しかしカットする今宮。
「おおっ! 打てそうですよ先輩!!」
(タイミングをずらしてくるなあ……最速のくせに、ストレートばかりに強いこだわりがない所も怖いところではある……)
5球目はアウトコースに外れる球。
(……)
松下の集中力は極限まで達していた。今宮も同様である。
(村松の構えたところにしっかりと投げなければ……ただ、こいつは甘い所に構えすぎだ)
(どこ投げられても打ってやる……ただ、タイミングだけ気をつければ打てない球じゃあない)
(打たれる――まずい……)
松下が投げた球は、アウトハイに外れボールになる。フォアボールになり、出塁する今宮。
(あっぶねえ)
息を大きく吐いて、一塁ベースに小走りで向かう今宮。
(さあ、あとは頼んだぞ、後続)
1アウト満塁。このチャンスで打席には小林。
「満塁なんだからかち飛ばすしかねえぞ。三振オーライッ!」
田中がネクストから叫ぶ。
「下手なゴロでゲッツーが一番だめだからね!!」
山口もベンチから声をかける。
「しっかり見ろ! 相手もしんどいはずだ」
冷静に声をかけるのは、一塁ベースから今宮。
「おまえの二年とちょっと見せてやれよ!」
ベンチから伊東も鼓舞する。
(俺は白銀世代じゃないから……ここで結果を出さないといつ、だれにポジションを取られてもおかしくない。せめて、次につながりそうなプレイを!!)
ストレートを空振りする小林。
(ナイスボールとは程遠い……力配分してるのか?)
村松はちょっと強めに返球する。
(1アウトか……打たせて取るのもいいかな……)
突如として投げられる変化球にタイミングを外す小林。
(やっぱり、全国クラスに及ばない相手なら、松下サンの性格的にこうやって組み立てた方が良い)
三球目はインコースにストレート。
(せめて――次につながるようにッ!!)
フルスイングでバットを振りぬいた小林。かすめるような高い音が響くが、ボールは一糸乱れることなく村松のミットへ。
「ストライークッ! アウト!!」
「よし、ナイピです」
村松は松下に返球する。松下は手応えありげだ。
(やっぱりそうだ。変化球も織り交ぜて組み立てると、ストレートが活きる。伸び伸び投げられる)
手応えを感じる彼を見ながら、田中は深呼吸を一つ。
(小林のスイングはフルスイングだったが、余計な力が抜けていて綺麗だった。俺も……速球打ちだからって言って身構えるんじゃなくて……もっと、真っすぐ返す意識で……)
そして、松下が投げた初球――アウトコースのストレートを打ち返す田中。逆方向に綺麗に打球が飛んでいく。
(おっ……)
ライト原の前に打球が落ちる。ヒットである。佐々木がホームを踏み、クロ高に一点が入った――




