第11話「因縁ある男」
グラウンド整備を終える両校の選手たち。午後二時をすでに回っており、夏が終わったといえど、9月の頭。気温は裕に30度を超えている。今日は投げていない古堂の首元にでさえ、大量の汗が見える。
「今日新田さんすごかったね」
隣でトンボをかけ、グラウンドを均す小豆が古堂に話しかける。ゆっくりと頷くと、新田が立っていたマウンドのプレートに足をかけてみる。
「やっぱさ。ここから打者とキャッチャーと、主審の人と、応援してる人たちを一気に見渡すのってさ。興奮するよな」
思い出すのは中学最後の大会。一回戦とは言え、多くの応援客が来ていた。皆相手チームを応援していた。県内優勝候補の中学校チームが相手だったのだ。
「……一球一球さ、みんなが俺の投球に注目してんだぜ? どんなにドデカいアーチが放てなくたって、ダイビングキャッチみたいなスーパープレイができなくたってさ、試合中、みんなが一番見てるのは、俺たちピッチャーなんだぜ」
「そうだね」
古堂の声には、力が入っていた。小豆も、中学校のときの試合中の登板を思い出す。
「やっぱり、あの興奮はマウンドに立ってみないと味わえないよね」
「そうだね。三振とった瞬間のあの沸き立つ感じ……敵陣の唖然とする表情……最高だったよな」
青空を見上げる。感慨に浸る。
「おい! 早く整備しろ!」
「あっ、はい!!」
二年生の声が聞こえ、慌ててトンボを仕舞いに走る二人。フェンスの向こう側に目をやった瞬間、とある人影が見え、古堂は足を止めた。
「……お前っ!」
今宮、田中、新田、山口、小林の二年スタメン陣5人が合宿で使用したウエイト場の掃除をしていた。
「新田も、少しは成長しただろ。ちょっと前まで馬鹿みたいに打たれ弱かったのに、少しはマシになったんじゃないのか?」
今宮が笑いながらモップをかける。新田は苦笑いしている。
「……でも先発鷹戸に取られちゃってるしな」
「気にすんなよ。監督は相手の打線の特徴をしっかり把握したうえで最善の策をとったにすぎねえ。実際、鷹戸との球速差で誰もまともに打てちゃいない」
田中がにやにやしている。今日4打席3安打の好成績を残しているだけのことはあって上機嫌だ。しかし、本日1打点の男、山口寿は違った。
「三浜は坂東をはじめとする白銀世代打線に警戒が必要だと改めてわかった気がする。僕らにはあそこまでの長打力ないし、初回以降チャンスを作っても点を取れないという事態はまずい」
「……投手がどんなに抑えても俺らが打てなきゃ意味ねえもんな」
今宮や小林の声色も暗くなる。
「おやおや……試行錯誤してるのかい? クロ高主力のみなさん」
「……あ」
そこに立っているのは、青色のタンクトップを身にまとう細マッチョの男――とは言っても上背があるだけでそう見えてしまうだけで、実際かなりの筋肉量をしている男だ。
「黒鉄……」
「よう、元気してかよ、静ちゃん」
飄々としている口調で新田に話しかける男。彼の名は黒鉄大哉。県内屈指の強豪である鉄日高校野球部の1番を背負う男、いわゆる、エースである。
彼がベンチプレスの台に座り込む。新田の顔色が一瞬で変わった。凍り付くかのように静まり返る雰囲気。今宮や山口はすぐにそれを察し、いつもはふざけている田中も黙り込む。
「お前はどうなんだよ」
「いやー練習終わってさ。三浜とクロ高が練習試合してるって聞いてうちのピッチャーの後輩と一緒に見に来たんだけどさ。終わっちゃってたから仕方なしウエイトしようと思っていてね。たまたま君らがここで掃除してたから話しかけちゃったよ」
話の本質を語るようで語らない黒鉄大哉の話し方を、新田は嫌っている。中学の時からだ。
「でもさ。先発一年生なんだってか? やっぱりお前は万年リリーフだな」
真っ先に青筋を立てたのは、当事者である新田ではなく、先ほどまで黙っていた田中だった。
「お前いい加減に――」「いいよ」
新田は落ち着いた声で田中を制した。
「ふっ、まあいいさ。静ちゃんを始めとして、今宮に、田中に、山口。クロ高の白銀世代はほかの高校に比べて大したことないっていうのは県内みぃんな承知済みだし」
「そんなこと関係ない」
新田が言い切った。
「確かに俺はお前には劣るよ。中学の時だってお前が1番を背負って、俺が10番を背負う。それは変わらなかった。でもこれだけは否定させてくれ。クロ高は……大したことないなんてことはない!!」
古堂と小豆の目の前に立っていた男、彼のジャージの背中には、『鉄日高校野球部』と刺繍が施されている。
「お前……臨だよな?」
古堂が話しかけた。臨、そう呼ばれた男はフェンス越しに振り返り、古堂に顔を向ける。
「あっ……レイ」
「久々だな」
「そうだね」
暑さのせいか、顔色の悪い男……とは言っても声は高く、上背もそんなに無い少年にしか見えない。そんな彼の名前は宮城臨。鉄日高校のピッチャーである。
「変わらないね。レイ」
「そうか? かれこれ中二以来会ってねえんだ。変わらないってことはないだろー」
古堂は高らかに笑っているが、宮城の方は顔色が悪く、決して楽しそうには見えない。古堂と宮城は中学時代、同窓生で、同じ野球部に所属していた。しかし、宮城のほうが中学三年生の時に転校してしまったのでそれ以来会っていない。古堂が中3まで控えピッチャーだったのは、何を隠そう、宮城臨がずっとエースだったからである。
「イザナはあれから何か変わったこととかあったの?」
「ん、まあね。鉄日高校に入ってベンチ入りメンバーに入ったんだ」
「おお! すげえな! 実は俺もクロ高にベンチ入りしたんだよ」
「へえ。じゃあ、秋大会投げ合いできるかな?」
「楽しみだな」
和やかな雰囲気で話をする二人。しかし、宮城は口調を変えた。
「……でも、鉄日は強いよ。白銀世代だけじゃないから」
しっかりと芯のある太い声に変って、古堂をまっすぐ見据える宮城。それにこたえるかのように、古堂も笑った。
「……黒光もだ」
宮城に別れを告げ、みんなの元に戻る小豆と古堂。
「宮城くん……いい人そうだね」
「まあね」
秋大会まで残り三週間。エース新田の精神面は少し成長を遂げ、投手陣も、鷹戸、伊東、古堂らが台頭してきて充実し始めていた。ただ一人、現在の状態に言いようのない不安を抱えるものが一人。合宿場から帰るバスの中で、ただ一人、浮かない顔をしている。
「大丈夫か金条」
「え」
今宮が携帯電話でSNSを確認しながら金条に話しかける。
「俺らが合宿している間にずっと楽しみにしていたスペシャル番組終わってた。萎える」
そう言ってスマートフォンの画面を見せる今宮。金条は思わず吹き出してしまう。
「ははは。それはどんまいですね」
「だろ? お前もあんまり思いつめんじゃねえよ。まだ時間はある。新田だって別に焦っちゃいない」
金条は何を言っているのか最初は理解できなかったが、今宮がまた眠そうに画面をフリックし始めた辺りで彼の言葉の真意に気づいた。
(この人には敵わないなあ……)
金条は笑って座席に背中を付けた。
(帰ったら新田さんに投げてもらいたいな……)
金条がそう言っている間の新田は、目の前で手を組み、鉄日高校のエース、黒鉄大哉の言葉を思い出していた。
(確かに俺は一年生に先発取られてしまう。スタミナだって9回投げ抜くほど無いんだし、打たれ弱いところから見ても納得だ。でも……でも、クロ高は弱くはない。絶対に秋大で鉄日を倒してやる……黄金世代だけだった……なんて言わせねえ)
残暑厳しい昼下がり、黒光高校野球部は南地区の合宿場を後にした。
「楽しみだねえ。秋大」
黒鉄は宮城に話しかけながらベンチプレス90kgを軽々と持ち上げている。
「そうですね。そういえば、クロ高のエースって……」
「そう、俺の控えだった男、新田静さ」
(でも夏、先輩たちはその新田さんから打てなかったせいで負けたんですよね……)
宮城もベントロー80kgを持ち上げる。細身に似合わない隆々とした肩の筋肉だ。
「まあ残り三週間、楽しみですね」
宮城は不敵に笑う。滴る汗をぬぐって外を見れば、クロ高のバスが去るところだった。
(絶対負けないぜ、レイ)