プロローグ 没落は突然に
「アセリア・バーンシュタイン様。あなたのお父上が借金を残して高飛びなされたので、これより屋敷の全てを差し押さえさせていただきます」
「…………はい?」
とある春の日の、昼下がり。
我がお屋敷のおゴージャスなお庭で優雅にお茶を嗜んでいた、私。
この王国有数の貴族令嬢であるこの私、アセリア・バーンシュタインは、突如として現れた白髪の役人にそう言われ、間の抜けた声を上げてしまったのですわ。
「えっ、ちょっ……なに? お待ちになって。ええと……お父様が、借金? 高飛び、って……逃げた、ということですの? えっ、そんなっ……噓でしょうっ!? 何かの冗談ではなくて!?」
「冗談ではございません。あなた様のお父上は、事業に失敗し、大量の借金を作ってお逃げになられたのです。ですので、本日これより屋敷の全てを差し押さえさせていただく、と、こういうわけでございます。さあ、やれ」
「あっ、ちょっと!?」
ああ、なんということでしょう。
私が驚いている間にも、役人がそう号令をかけると、どこからともなく屈強な男たちが現れ、勇ましく屋敷へと突入していくではありませんか!
そしてなんと、奴らはそのまま、屋敷の品々を運び出し始めたのですわっ!
「ちょっと待って、それは金で出来た、我が家の家紋でしてよ!? そっちは、最高級の素材で出来たテーブルに、椅子! ああっ、それは私が特別なときに着ていく、シルクのおゴージャスドレスでしてよー!? やめてくださいましー!」
私が必死に止めても、すべて無視して淡々と作業を進める男たち。
それどころかやつらは、この私の体にまで手を伸ばし、手入れを欠かしたことのない自慢の銀髪から翡翠の髪飾りをむしり取り、エレガントの極みと言われた豊満なボディからネックレスを、さらには芸術的とまで言われた指から指輪まで奪い取っていきやがったのですわっ。
「ああっ、なんてことを!? それは、私の私物でしてよ!?」
「いいえ、アセリア様。これらはすべて、あなたのお父上が買い与えたものでございましょう。あなたがご自身で稼いで手に入れた品など、なに一つないはずでございます」
慌てる私に、冷酷にそう告げる役人。
そしてすっかり屋敷を丸裸にすると、最後に役人はわが生家であるお屋敷に『差し押さえ物件』という紙を張り付け、慇懃無礼に一礼しやがったのでございます。
「以上でございます。この屋敷は今後競売にかけられ、返済に当てられますので、本日只今から立ち入り禁止にございます」
「そっ、そんな! いきなりやってきてこんなの、あんまりですわっ! 私は貴族の名家、バーンシュタイン家の娘なのですわよっ!?」
「それも、もう過去の話にございます。お家のものをすべて処分しましても、借金を完済することは到底不可能。借金を返さないとなれば、貴族の地位も剥奪となりましょう。……まあもっとも、アセリア様が残りの借金を、ご自分で働いて支払うというのであれば、お目こぼしもありうるでしょうが」
「わ、私が働く……? 私、生まれてこの方、そんなことしたことがありませんわ! それに、家を取り上げられ、両親もおらず、どうしろと申しますの!?」
「さあ。私は、ただ命じられた業務を遂行しているだけですので。それはご自身でお考え下さい。では、私はこれで」
そう言い残し、部下を連れて悠然と去ってゆく役人。
……やだ、この人、すっごく冷たいですわ……。
そして一人きりになり、現実がじんわりと心に沁み込んでくると、私は空を仰ぎ見て、震える声で叫んだのでした。
「ぼっ、ぼ……没落しましたわ~~~!!」
ああ、なんということ。
お父様、事業は上手くいっていると、いつも笑ってらっしゃったのに!
本当は失敗していて、それをずっと隠していましたのねっ!
それに気づかず過ごしていた私の、なんと愚かなことでしょう。
恥ずかしながら私、アセリア・バーンシュタイン十八歳。
本日この時まで、両親に蝶よ花よと可愛がられ、何一つ苦労することなく育ってまいりました。
いずれお前に見合う立派な婚約者を見つけてやると言われ、それを信じて日々女を磨き、お稽古や社交界での人脈作りに尽力する毎日を送ってきた。
だというのに、いきなりこんな仕打ちを受けるなんて……!
数日前、お父様たちが急に旅行に行くとか言い出して、妙だなとは思っていたのです。
ですがそれがまさか、借金からの逃亡だったなんてっ。
ああ、お父様お母様。お二人は、本当にこの私をお見捨てになられたの!?
この、可愛い一人娘であるアセリアを!
あんまりですわー!
「どっ、ど、どうしましょう……。社交界のご友人たちを頼る……? いえ、絶対無理ですわ。あの方々、没落した人間には容赦ないですし」
以前、お知り合いの令嬢の家が没落したことがあったのですが、それに対するみんなの対応は、それはもう冷淡なものでした。
なんと、倒れ伏す彼女にぺっと唾を吐きかけると、汚物でも見るような目で、こう吐き捨てたのでございます。
「寄るな。没落が感染る」
それを見た瞬間、私、心の底から震えましてよ。
人って、こんなにも冷酷になれるんだ……って。
「それが、今度はこの私が没落するなんてね……。ふ、ふふ……。没落は突然に、なんて言うと、ちょっと詩的ですわね……」
などと余裕がありそうなことを言いつつ、へたりこみ、ヨタヨタと地面をはいずる私。
没落すると、ほんとに立ってられなくなるんですわね、なんて他人事みたいに考えていると、そこで背後から声が聞こえてまいりました。
「アセリアお嬢様!」
「あっ、お前たち……!」
振り返ると、そこにいたのは我が家の使用人たち。
毎日美味しい料理を振舞ってくれるシェフに、なんでも気が利く爺や、そして有能な庭師や執事にメイドたちが、そこには並んで立っていたのですわ。
そうですわ、家も家具も取り上げられても、私には皆の者がおりましたわー!!
「みんな……。見ての通り、バーンシュタイン家は没落してしまいましたわ……。父と母は姿をくらまし、借金まである始末ですわ」
「お嬢様……」
「でも、大丈夫。みんなで力を合わせれば、きっと我が家を立て直せますわっ! みんな、私を信じて、ついてきてくれますわよねっ!?」
そう、私たちは、言うなれば運命共同体。
たがいに頼り、たがいに庇い合い、たがいに助け合う。
もはや家族と言ってもよい間柄なのです。
生き残れますわ、きっと。私たちなら!
と、そう、熱く思ったのですけれども。
そこで使用人たちは、にっこり微笑むと、口々にこんなことを言い出したのでした。
「お嬢様! 私には、再雇用のツテがあります。どうぞ、ご心配なく!」
「えっ」
「私も歳ですので、ここで思い切って引退したく思いますですじゃ」
「なっ!?」
「私は故郷に帰り、畑でも耕すことにします」
「ちょっ……」
「では、名残は尽きませんが、我々はこれにて。お嬢様も、どうぞお元気でー!」
「待ってぇ! 私を置いていかないでぇええええええ!」
そのまま自分たちの荷物を手に、蜘蛛の子を散らすように去っていく使用人たち。
みっ、みっ……見捨てられましたわー!
「ああ、終わった、終わったわ……! 親にも、使用人にも見捨てられましたわっ! 私一人で、生きていけるわけがない……! 人生、詰みましたわー!」
と、一人、悲嘆にくれる私。
すべてに見捨てられ、完全に終わりました。
アセリア・バーンシュタイン、人生終了のお知らせでございます。
なんて、ただ嘆くことしかできない、弱くて情けない私。
ですがその時。またもや背後から、よく知っている声が聞こえてきたのですわ。
「アセリアお嬢様、しっかりなさってください」
「あっ、その声は……お子様執事の、クロフォード!?」
驚いて視線を向けると、そこにいたのは、私付きの執事であるクロフォードでした。
年齢は十二歳ほどの、歳若い執事。
そう高身長でもない私の、腰ぐらいの背丈しかない小柄なその子が、そっと私に手を伸ばしてくれていたのでございます。
「まったく、みんな薄情ですね、お嬢様。しっかりなさってください。僕はいつでもあなたの味方ですよ」
「クロ……! あなたは、残ってくれますの……!?」
クロフォードこと、愛称クロはその良く整った顔に笑みを浮かべ、私の瞳を見ながらそう言ってくれました。
黒い瞳に、黒い髪をした、東方の民であるクロ。
そのクロが、この逆境でこれほどの忠誠心を示してくれるなんて……!
なんて感激していると、クロはにっこりと、本当に嬉しそうに笑い、そしてこう続けたのでした。
「もちろんです。お嬢様の最後を看取るのは、この僕なので。お嬢様が野垂れ死ぬその瞬間まで、しっかりと観させていただきますよ」
「……待って。今、野たれ死ぬって言いました?」
「お嬢様の埋葬までをお側で見守る、忠臣クロフォードにございます。クロフォードを、どうぞお忘れなきよう」
「あっ、言った! 今度は、埋葬って言った! あなた、さては私が苦しんで死ぬところを見て笑うのが目的ですわねー!?」
こっ、このガキ……ッ!
常日頃、性格が悪い子だとは思っておりましたが、ここまでとは!
冗談じゃありませんわ! 誰がこいつの思い通りになんてなるものですか!
石にかじりついてでも、このガキより長生きしてやりますわ~!!
「さあ、いつまでも無様に転がってないで、立ち上がってください。名家のお嬢様がみっともない。苦しい時ほど、品格が問われるものですよ」
「わかっていますわよ! 本当に、いけ好かないガキですわねっ! 自分で立ち上がれますわよ、もうっ!」
差し伸べられた手を振り払い、立ち上がって服の汚れを払う私。
それにクロのやつはうんうんと満足げに頷くと、こう続けました。
「それではお嬢様、現状の確認をいたしましょう。ご主人様たちは借金を残したままお逃げになられた。そしてお嬢様には、残った借金を返済する義務がある、と」
「その通りですわ。でも、私、お金の稼ぎ方なんてちっとも知りませんわ……。そもそも、持ち物も全部奪われて、当面の生活すらままなりませんわ」
「ああ、その点でございましたら、ご心配なく。こちらをどうぞ」
そう言うと、クロは自分の懐へと手を伸ばし、そこからにゅっと革袋を取り出すと、私に差し出してきました。
なんだろうと思って開けてみると、なんとそこには光り輝く金貨が、ジャラジャラと詰まっていたではないですか!
「まあ、クロ、これは……!?」
「ご主人様のへそくりにございます。役人どもに奪われそうでしたので、僕が隠し持っておきました」
んまっ、この子ってば有能……!
なんて気が利くのかしらっ!
……まあ、どうしてクロがお父様のへそくりの場所を知っていたのかは気になりますけれども、今はよしとしておきましょう。
「どうです、お嬢様。これだけの資金があれば」
「ええっ! これだけの金が、あればっ! ……予約しておいた、エステとディナーにいけますわ~!」
「行くな。なに考えてるんですか。これは当面の活動資金となる、お嬢様の命綱ですよ。さっそく無駄遣いしてどうします」
「えっ、でもでもだって、美貌と食事はいついかなる時も大事にしろと教わってきたので……」
「もうそんな立場じゃないってこと、いい加減に気づいてください。いいですか、これを元手に、お嬢様はお金を増やさねばならないのです。使い道は、よく考えてください」
「わ、わかりましたわ……。でも、お金を増やすと言っても、どうやって……」
「そこで、こちらにございます。お嬢様」
そう言って、今度は古ぼけた羊皮紙を取り出してくるクロ。
それを見て、私はキョトンとした顔をしてしまいます。
「……? なんですの、これ?」
「どうやら、バーンシュタイン家が所有する領地の、権利書のようでございます。へそくりとともに、隠されておりました」
「領地!? 我が家は、領地を賜っておりましたの!? 初耳ですわっ!」
領地とは、貴族が王より授けられた、統治権を持つ土地のこと。
我が家はこの王都で商売をしてはおりましたが、領地については一度も聞いたことがありませんでしたので、持っていないのだとばかり思っておりましたわ。
「はい、僕も初めて知りました。理由はわかりかねますが、どうやら領地の権利は保有されたまま、放置されていたようでございます」
「まあ、そうでしたのね。でも、それがどうしましたの? 今は関係ありませんわよ」
「はあ……。お嬢様、ここまで言ってもわかりませんか。いいですか。領地があるということは。そこにいけば、領民から税金を徴収できるではありませんか」
「ハッ……! そうか、そうですわっ……!」
そうでした、貴族は己の領地の民から税をとれるのでしたわっ!
それはまさしく不労収益。
働いたことのない私でも、これならお金を手に入れられますわっ!
「これは、希望が出てきましたわねっ! じゃあ、さっそく領地に向かいますわよ、クロ! 馬車を用意なさい!」
「……お嬢様。馬車も馬も、すべて差し押さえられました。領地へは、徒歩で向かうしかありません」
「……そうでしたわね……。まさか、貴族令嬢たる私が、徒歩で移動することになるなんて……。いや、でも! 絶対に、我が領地にたどり着いてみせますわっ!」
こうして、私たちは希望に向けて、徒歩で進み始めたのでした。
そして、それは──私の長い苦心と素晴らしい出会い、そして栄光の日々の、始まりとなったのでございます。




