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雨天決行  作者: 公星
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1-2『喪失』

今回、登場人物が多いです。



『冤罪』というにはあまりに乱暴で、それは最早、唾棄すべき言いがかりに等しかった。

文霽の父・文邕(ぶん ゆう)。雨昕と霽を引き合わせてくれた恩人であり、二人の穏やかな日々を、影ながら守り続けてくれた守護者。

父と呼ぶには畏れ多く、けれど他人と切り捨てるにはあまりに近しい――雨昕にとっての文邕は、幼い日、森に捨てられた自分に「温かな場所」を与えてくれた初めての大人だった。


 雨昕は、文邕のすべてを知っていたわけではない。

自分の知らないところで、清廉とは言い難い顔を持っていたのかもしれない。

けれど、たとえそうだとしても――幼い帝を飾り立て、朝廷の実権を我が物とした将軍の悪行に荷担したなど、到底信じられるはずがなかった。

どこかの高官が吐いた嘘だと聞いたが、どこの誰とも知れぬ卑怯者の毒は、いつの間にか「事実」という歪な仮面を被り、世に広まっていた。

そんなわけはないと、雨昕も必死に声を上げた。

だが、どれほど戦場で武名を上げようと、一介の兵に過ぎない少女の叫びが、州を預かる君主や、遥か雲の上の帝に届くことなど決してない。

文邕の状況を覆せるような力を、雨昕は持っていないと思い知った。

だからこそ、雨昕は賭けたのだ。

文邕の無実を訴えるという大商人の陳情――その成功を願い、剣呑な道中の護衛を買って出た。

それが、今の自分にできる唯一の「戦い」だと信じて。


 それなのに、現実はさらなる悲劇を、少女たちの背に叩きつけた。

文家へ賊が押し入ったのだ。

報を聞き、祈るような思いで駆けつけた頃には、邸宅の略奪は終わり、虚しい後片付けの最中だった。

かつて温もりに包まれ、穏やかな陽だまりのようだった邸内は、芯まで冷え切っていた。

壁や柱には、無慈悲な刃の跡が深く刻まれている。抵抗した使用人の、最後の足掻きだったのだろうか。

全速で駆け抜け、喉を焼き胸が潰れるほどに荒い息を吐く雨昕の耳に、己の心臓が打つ早鐘だけがうるさく響く。


 こんな、鉄臭い絶望に塗りつぶされた場所が、あの文家であるはずがない。こんなことがあって良いわけがない。信じたく、なかった。

呆然と部屋を巡る。

居間も、厨房も、文邕の書斎も、すべてが泥足で踏み荒らされていた。

どこからか、使用人たちの噂話が聞こえてくる。

玄関に残る赤黒いシミの上で事切れていた者の顔は、直視できぬほどに凄絶だったのだという。

今の屋敷には、あの日々の愛おしい気配など、微塵も残ってはいなかった。


 最後に訪れたのは、一番よく知る文霽の部屋だった。

主を失いもぬけの殻となった空間で、立ち尽くす雨昕の目に、床に落ちた小さな木簡が映る。

震える指先で拾い上げたそれは、かつて二人で肩を並べて綴った、あの詩の欠片(かけら)

見慣れた、美しい文霽の文字だけが、世界の崩壊を知らぬまま、そこに整然と並んでいた。


「っ、霽……文霽! 助けなきゃ……っ!」


 (てのひら)の中の小さな木簡は、文霽という存在が、確かに雨昕と共に在ったという最後の証明だった。

当たり前の日々を、なかったことになどさせない。

立ち止まっている暇はなかった。

何が起き、彼女がどこへ消えたのか。それを確かめない限り、この喉を焼くような焦燥は収まらない。

木簡を握り締め、震えを無理やりねじ伏せて、雨昕は(きびす)を返した。

迷いを断ち切った少女は、夜の帳を裂く風となって走り出す。


玄欒(げんらん)様へ!――急ぎ、目通りを願います!」


 既に月は天頂を過ぎ、子の刻を回ろうとしていた。

疾走する雨昕の脳内では、幾つもの後悔が罵倒となって渦巻いていた。

霽を護ると、誓ったではないか。この失態をどう償うのか。もっと早く駆け付けていれば。いや、そもそも彼女の側を離れるべきではなかった。あの時、文邕の提案を受け入れて、専属の護衛になってさえいれば――。


 噛みしめた唇から、鉄の味がした。

迷いは足を止める枷にしかならない。悩んだところで、文霽が消えた事実は覆らない。

今はただ、一歩でも前に出す脚だけが、彼女に繋がっていると信じるしかなかった。

彼女はまだ、死んだと決まったわけではない。

そう確信させたのは、雨昕が戦場で培った直感だった。

邸内の死体は数えた。そこに、霽のものはなかった。ならば、彼女を連れ去った何者かがいるはずだ。

迎えにいけるのは、自分しかいない。

霽を護ると、そう決めたのは他ならぬ自分なのだから。


 雨昕が訪れたのは、郡丞(ぐんじょう)の地位にあり、太守からも絶大な信頼を寄せられる男の屋敷だった。今の雨昕にとって、頼れる唯一の光。


「夜半の訪問、無礼は承知しております! どうか、どうか玄統善(とうぜん)郡丞にお目通りを!」


 息を整える間も惜しみ、声を張り上げた。正式な拝謁を求めるため、あえて(あざな)を呼んで。

必死な少女の叫びに、門番が重い腰を上げた。

総白髪の三つ編みに、菖蒲色の瞳。

夜更けの闇の中でも、その「不吉なほどに美しい」姿は嫌でも目についた。

門番は「噂の少女か」と独りごち、冷ややかな視線で彼女を見下ろす。


「文苞賢(ほうけん)大夫(たいふ)の邸に入った賊は、玄郡丞が取り押さえたと伺いました! 霽……文大夫令嬢の行方を、お教えください!」

「……令嬢の行方については、現在、調査中だ」


 門番とは別の、低く硬い声が雨昕の言葉を遮った。

正門脇の潜り戸が、小さな音を立てて開く。

そこから姿を見せたのは、玄欒ではなかった。

玄欒の右腕と名高い、衡寂恒(こう じゃくこう)。常に玄欒の傍らで仏頂面を崩さぬ、鉄のような男。

その彼が、夜の静寂には似つかわしくない重厚な鎧を纏っていた。

その姿が意味するのは、賊の件は終わるどころか、今まさに最悪の局面にあるということ。

雨昕の背筋を、氷のような緊張が走る。


「ついて来い」


 短く促し雨昕を門の内側へと招き入れると、衡寂恒は邸の奥へと足早に消えていく。

雨昕は必死にその大きな背を追った。

 通されたのは、広い屋敷の一室。そこには軍地図が広げられ、衡寂恒と同じく武装した将たちが、火に照らされた厳めしい顔を並べていた。


「早かったな。……いや、疾風迅雷のお前にしては、遅いと言うべきか」


 低く、地鳴りのような声に顔を上げる。

視線の先にいたのは、雨昕の白髪とは対照的な、墨色の髪を厳格に結い上げた壮年の男だった。

精悍さよりも、積み上げてきた年月に裏打ちされた「威厳」が肌を刺す。

実年齢よりも遥かに老成して見えるその男――玄欒(げんらん)を正面に捉え、雨昕は右の拳を左の手の平で包み、深く頭を下げた。それは文霽から教わった、最初の礼法だった。


「やあ、羅雨昕。待っていたよ」


 玄欒の短い許しを得て顔を上げると、厳めしい将たちの列の中で唯一、春の陽だまりのような笑みを浮かべた青年が手を振っていた。

長身痩躯に淡い色の髪。玄欒が信頼を寄せる若き軍師、黎景(れいけい)だ。

彼は雨昕を手招きして自身の隣に置くと、保護者のような顔で、淡々と凄惨な事実を並べ始めた。


 文家を襲った賊は、北方・朔原(さくげん)を根城にする野蛮な異民族であること。

そして――文霽は、彼らによって連れ去られたこと。

そこまで聞いて、雨昕の耳の奥で甲高い不快な音が鳴り響いた。

心が、頭が、その言葉の意味を拒絶していた。

本当は、玄欒が彼女を間一髪で助け出し、この屋敷のどこかで匿ってくれているのではないか。

そんな淡い期待は、黎景の流れるような美声によって無残に打ち砕かれた。


 ――連れ去られた。それが何を意味するのか、雨昕にはまだ正しく理解できなかった。

なぜ、この場の大人たちが一様に、悲痛に顔を歪めているのか。なぜ怒り狂うのではなく、重苦しい沈黙に沈んでいるのか。

元服前の少女に、異民族に攫われた名家の令嬢が辿る「末路」を説ける者など、ここにはいなかった。

大人たちの沈黙は、彼女に教えることすら憚られるほど、この世の現実が残酷であることの証明だった。

文霽を案じるあまり、雨昕の握りしめた拳からは血の気が引き、陶器のように白く染まっている。

その異変にいち早く気づいた黎景が、雨昕の小さな手を取り、強張った指をそっと解いた。


「羅雨昕。私たちは君を、今すぐに朔原へ行かせるわけにはいかない。……なぜか、分かるかい?」

「……私は、誰の配下でもありません。どこへ行こうと、私の勝手です」

「その通りだ。けれど、君は既にこの瑞陽(ずいよう)では『英雄』なんだよ。君が独断で動いたとしても、玄欒殿の進退どころか、帝の耳にまで届きかねない。……君に、そのつもりがなくともね」


 柔らかな声。だが、そこには逃げ道を塞ぐ冷徹な論理が潜んでいた。

天上の貴人、帝の名を出されては、雨昕は顔を歪めて俯くしかない。

一刻も早く追いかけなければ、二度と会えなくなるかもしれないのに。

道は、大人たちの都合によって無慈悲に閉ざされた。

黎景の手を巻き込んだまま、再び拳を握りしめ、唇を噛む。

その沈黙を誰も責めず、また慰める者もいなかった。

彼女がどれほど文霽を慕っていたか、誰もが知っていた。

そして、安易な言葉で救えるほど、この絶望が浅くないことも。

むしろ、傍らに立つ衡寂恒や衡迅燿(こう じんよう)は、雨昕が逆上して暴れ出せば即座に抑え込めるよう、腰の刀の柄に手をかけたまま微塵も動かなかった。


 何者でもない己の無力。

力任せに握りしめた拳を、黎景の大きな手が柔らかく包み込んだ。

それは、迷子の子供をあやすような、あまりに優しい仕草。

いっそこの場で泣き喚き、助けてくれと大人に(すが)れたなら、どんなに楽だろうか。

黎景のその手は、無言のうちに問いかけていた。

「子供に戻って、私を頼ってもいい」と。


 ――けれど。

雨昕は泣いて立ち止まるだけの少女でもなければ、大人任せに指をくわえて待てるほど、無力な子供でもなかった。


「羅雨昕」


 耳の奥が痛むほどの静寂を破り、俯いたままの雨昕が何かを言いかけようとした、その時だった。

玄欒の呼び掛けが、彼女の言葉を物理的な圧力で封じ込めた。

呼ばれただけで不随意に背筋が伸びるのは、本能が彼を畏怖しているからだ。

もし、この男に完全に拒まれたなら、もう他に(すが)れる先など、この広い世界のどこにも残されていない。

低い声が次に何を紡ぐのか。

雨昕は喉を震わせる呼吸すらも止め、恐る恐る顔を上げて、その鋭い眼光を真っ向から受け止めた。


「異民族の討伐には、すぐには動けん。土地、兵、兵糧……そのいずれが欠けても、被害は甚大なものになるからだ」


 聞き分けのない子供を叱るにしては、あまりに(はげ)しい、軍人としての口調だった。

玄欒は、雨昕が覚悟を持ってこの場へ飛び込んできたことを理解している。

だからこそ、対面する者を決して侮らず、彼女を「ただの子供」として扱うような手加減を一切しなかった。


「……我が軍門に下らずとも良い。だが、勝手は許さぬ。その時が訪れれば、お前に先鋒を任せよう。今は耐えよ」


 ただの少女と切り捨てず、その武を、未来の戦力として正当に評価した上での宣告。

それですら、過分な温情だと感謝すべきだ。雨昕にもそれは分かっていた。

ここで無謀に飛び出しても文霽は救えない。進展を望むのなら、今は牙を隠して納得しなければならないのだ。

雨昕がそれ以上の反抗を見せなかったことを、玄欒は“了承”と受け取った。

そして彼は出入り口に視線をやり、屋敷の空き部屋に泊まるよう短く命じて、雨昕を下がるように言った。

雨昕は無言で頷き、(きびす)を返す。


 一歩を踏み出す直前。

黎景が包んでいた手を離し、自らの掌に刻まれた丸く深い爪痕を隠すようにして、雨昕の頭を優しく撫でた。


「ゆっくりお休み」


 穏やかな声。

雨昕は、黎景の手を傷つけた申し訳なさと、その温もりに甘えて泣き出したくなる衝動を必死に押し込み、静かに、深く頷いた。

訪れた時と同様、衡寂恒に連れられて去っていくその後ろ姿は、黎景の目に、震えながらも気丈に振る舞う少女として映っていた――だけではなかった。

あれは、いずれ天へ昇るか、地に深い爪痕を残す、“猛獣”の類だ。

黎景はそれを確信していた。だからこそ、この場の武官たちに一瞬たりとも警戒を解かせなかった。

そして同時に、あの凶暴な牙が自分たちを噛み砕かぬよう、優しい手つきでその心を繋ぎ止めておく必要があると考えた。


 小さな背中が闇に消えていくのを見届けると、黎景の表情から、先ほどまでの柔らかさが完全に消えた。

玄欒も黎景も、あの幼い娘を既に「盤上の駒」として見ている。

玄欒の言う「その時」が来れば、彼女は獅子奮迅の活躍を見せるだろう。その有用な刃を、今ここで無駄に朔原(さくげん)で折らせるわけにはいかなかった。

(から)め手のような方法で、少女の「情」を縛り付けたこと。それを黎景は優しさだなどとは思っていない。

まして、あの少女を待ち受けるこれからの過酷を思えば。

哀れみなどという安っぽい感情は、この場に捨て置くべきだと自分に言い聞かせ、彼はふと、細く冷たい息を吐いた。


 一方、雨昕に宛がわれた部屋は、普段利用する安宿が何部屋も収まってしまうほどに広大だった。

その贅沢な空間が、かえって彼女を落ち着かせず、一歩足を踏み入れることさえ躊躇(ためら)われた。

そんな雨昕を、衡寂恒は有無を言わさず部屋へと押し込み、早々に立ち去った。

だが間もなく、再び扉が叩かれる。

そこに立っていたのは、またも衡寂恒だった。

その手には、蒸したての餅や干し(なつめ)、梨や桃、さらには見たこともない果物を詰め合わせた籠がある。

仏頂面の武骨な男が持つには、あまりに似つかわしくない可愛らしい取り合わせだった。


「お前はまだ、酒を呑めんからな。……こんなものしか無いが、気休めにはなるだろう」


 文霽の家でさえ見たことがないような、豪奢な菓子と果物の香りに、雨昕は圧倒された。

目を輝かせながらも、気後れから「貰えない」と後ずさる。

だが衡寂恒は構わず、雨昕の手に重たい籠を押しつけると、満足そうに一度だけ頷いた。


「早く寝るように」


 それだけ言い残して背を向ける。

これほど大量の差し入れを置いていかれては、早く寝られるはずがないというのに。

一人取り残された雨昕は、腕の中から漂う甘く芳醇な香りに、わずかに気が緩むのを感じた。

あの不器用な気遣いが、なぜか遠い存在になってしまった文邕(ぶんゆう)を思い出させる。

わざわざ運んでくれたものを追いかけて返すのも申し訳なく、雨昕は籠を見下ろした。

珍しい果物はどこをどう食べるのかも分からず、恐れ多くて手が出せない。

結局、彼女が指を伸ばしたのは、かつて霽に分けてもらったことのある干し棗だった。


 恐る恐る、それを口に含む。

噛むほどに凝縮された滋味が滲み出し、遅れて、胸の奥に鋭い痛みが広がった。

――甘みに、塩気が混じる。

見えるものすべての境界が涙に滲み、喉が詰まる。

何を恨めばいいのか、誰に怒りをぶつければいいのか、何にすがれば霽のもとへ辿り着けるのか。

そのどれもが分からないまま、溶けていく世界と共に、雨昕もまた糸が切れたように崩れ落ちた。


 翌朝。日が昇るよりも早く、雨昕は目を覚ました。

広すぎる部屋の隅、長椅子に丸まって眠っていたらしい。

身を動かすと、羽毛のように軽い(きん)が滑り落ちた。

腫れた目を擦りながら見渡せば、齧りかけの干し棗が、籠の傍らで虚しく転がっている。

はて、と疑問がゆっくりと浮かび上がる。

衾など、羽織っただろうか。


 室内に視線を巡らせ――籠の置かれた卓の向こうに、長い脚を組んで舟を漕いでいる男が居ることに気付く。

雨昕が慌てて身を起こすと、男の長い睫毛(まつげ)が揺れ、片目がゆっくりと開かれた。


「おはよう。……ああ、驚かせてすまない」


 黎景(れいけい)だった。寝起きの女子供の部屋に忍び込んだとは思えないほど、その微笑みは爽やかで毒がない。

もし霽がここにいたなら、顔を真っ赤にして烈火のごとく怒り狂ったことだろう。

何せ黎景は、軍師としての鬼才ぶりを除けば、傍若無人な言動や不実な振る舞いで有名な男だ。

だが、雨昕は文霽と違い、倫理的な違和感を抱くほど世慣れてはいなかった。

彼女が飛び起きたのは、女人としての警戒ではなく――獣が上位の捕食者の気配を察した時の、本能的な反応に過ぎなかった。


「殿から君の面倒を見るように言われていてね。今まで通りに過ごして構わないけれど、同時に、色々と覚えてもらうよ」


 黎景は笑顔を崩さぬまま、夜の間にわずかに萎びた――見慣れない果実に手を伸ばした。

それは、濃紫色の小ぶりな粒がいくつも房状に連なった、高貴な香りのする果実だった。

黎景は一粒を指先でもぎ取ると、それを雨昕の鼻先に差し出す。「食べてみろ」ということらしい。


「君はまだ、将というには色々と足りないからね。一つずつ教えていこうと思っているよ。……もっとも、武力だけならもう、君の方が上だけれど」


 付け足された言葉に、雨昕はさして興味を示さなかった。

彼女の意識は、すっかりその未知の果実へと移っていたからだ。

呆れたように、けれど年相応の反応を見せる雨昕に黎景は微笑み、果物の名前を教えた。

雨昕は恐る恐るその実を受け取り、たった今知った名を反芻してみる。


「……ぶどう?」


 西域からもたらされるという、極上の贅沢品。

厚い皮と中の種は食べないのだという。

――ただし、その説明はもう少しだけ早く、彼女の耳に届くべきだった。

「ああ、そうそう」と勿体ぶって黎景が口を開くのと、雨昕の口の中で固いもの砕く音が鳴ったのは同時だった。

口に放り込んだ“葡萄”の実と種を、雨昕は勢いよく噛み砕いてしまった。

甘さを塗り潰すような渋みと苦みが口いっぱいに広がり、雨昕の顔が惨めに歪む。


「うぇっ!なにこれっ!」

「……人の話は最後まで聞くものだよ、羅雨昕」


 意地悪く笑う軍師を前に、雨昕は「学び」というものが、常に痛みを伴うものであることを身をもって知ったのだった。


1/16は地獄の門が開く日なんだそうです。

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