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雨天決行  作者: 公星
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1-1 『羅雨昕』

中華風ファンタジーの世界を舞台に、友情、戦争、愛憎が入り交じる物語。


白髪の少女、羅雨昕の見る世界は――

いつだって清くて歪み、醜くて美しかった。


 雨が降っていた。

しとしとと草木を濡らし、人々にも恩恵を与える――それが分かっていようと、連日ともなれば、人の心は憂鬱に沈む。

が、少女は違った。

幼くして総白髪となった髪を一つに編み、背へと流している。その下で、宝玉を思わせる菖蒲色の瞳だけが、見果てぬ広い世界を思い描くように輝いていた。

少女の名は羅雨昕(ら うきん)

辺境の貧しい村に生まれ、口減らしの憂き目にあった。


「うん……まあ、そんなもんだよね」


 ここまで育ててくれただけ、マシだったのだろう。幼い少女がそう思うくらい、村では誰もが苦しんでいた。

それを知っていた雨昕は、だから誰を恨む事もなく歩き出した。

幸か不幸か、雨昕は身一つで戦う事が出来たのだ。戦乱只中のこの世で、それは日銭を稼ぐのに大いに役立った。

彼女はこうして村を離れ、行く先も決めぬ放浪の身となる。まだ年端もいかぬ身での放浪には、危険しかなかった。

しかし村にいても生きることは出来ない。腹も満たせなければ、寝床となる場所さえも与えられないのだ。

皮肉にも――村の外に出ることが、彼女の生きる唯一の道だった。


 初めの頃は、ちょっとした諍いの仲裁ですら小銭を貰えた。

けれど、役場での正式な依頼ともなれば、依頼者は必ず不安に顔を顰めた。現れたのがこんな子供だったのだから、無理もない。

けれど、雨昕が放浪の中で繰り返し積み上げたその武は、大人でさえ口を噤ませた。

雨昕はそうやって、凌ぐように生きてきた。

特に大きな報酬を得たのは、滞在国の出兵や護衛に志願する事だった。

けれど、最初から簡単に登用された訳ではなかった。

雨昕は同年代と比べてもかなり背が低い。体付きも貧相で、捨て駒にすらならないと判断され、初めは門前払いされたのだ。

それを変えたのは、雨昕が数日前にお使いをした依頼主の助言で、人に見られても恥ずかしくないよう身形を整えた事だった。

そうすると、同じ相手でも門前払いされる事はなくなった。

少年兵に登用されてしまえば、彼女はその身一つで武功を上げる事に成功した。

伝令や斥候の役割が与えられたが、どれだけの規模の戦場であろうと、雨昕が怯える事はなかった。人の死に、尊厳もなく野晒しのあの村よりはずっと良いとすら思っていた。

そんな雨昕を不気味に思い、近付かない者も居た。

けれど、その幼さを侮り、雨昕から報酬を奪おうとする者もまた、ざらにいた。

彼らの事情や考えなど知る由もないが、これは雨昕の生きるための資金だ。彼女は容赦せず、その悉くを返り討ちにしていった。

そんな日々を、転々としながらも繰返し、“羅雨昕”という存在は出来上がっていった。


 そんな生活を続けていた頃、雨昕に友人が出来た。

雨昕よりも多分、ひとつかふたつ年上の少女は、名を文霽(ぶん せい)という。

彼女の父から、護衛の依頼を受けた事で知り合ったのだ。

文霽は深窓の令嬢であり、風に揺れる花のように嫋やかな少女だった。


「あの……初め、まして……」

「……はい」


 雨昕の実力は折り紙付きとはいえ――どこの生まれかも知れない雨昕に対しても、文霽は丁寧にお辞儀をして見せるような謙虚な娘だ。

文官である父の影響か、学問に優れた才女である文霽。そんな彼女に、雨昕はまともな礼を以て対応する事が出来ず、ただ深々と頭を下げるしか出来なかった。


「年頃も近い事だ、話し相手にはいいだろう」


 と文霽の父は言うが、雨昕と文霽は、友人と呼べる存在の居ない者同士。初めから仲良くなれた訳ではなく、当初、二人は共に戸惑った。

二人きりだと、どんな会話をすれば良いのかすら、お互いに分からない有り様だ。

ある日の事だ。文霽が雨昕に話し掛けようとして、けれど何を思ったのか止めた。

雨昕はその反応に気付いてしまい、だからといって雨昕から話し掛ける理由もなく、気まずい沈黙に初めて頭を悩ませた。


 ただただ時だけが過ぎたある日、二人の距離が近付くきっかけは突然訪れた。

文霽の伯母が亡くなり、その葬儀の帰りに賊の襲撃を受けたのだ。

素早く賊を退けた雨昕の戦い振りと、襲われた恐怖に縮こまる自分を気に掛けてくれた事に、文霽は恐怖を忘れる程の感銘を受けた。

すると、文霽の頭にふと何気なく詩が涌き出た。その詩こそが、二人の距離を縮めたのだ。


「細雨染青衣、幼影走前陣――」

「なになに?それ、詩?」

「あ……ええと……はい」


 聞こえないと思い呟いたそれは、しっかりと本人に届いてしまっていたようだ。

輿の簾を開けたままだった事が、思わぬ因果となった。後に文霽は必然だったと振り返るが、今はまだそれを知らない。

先程文霽が見た時の雨昕は、賊を追い払ったばかりなのに辺りの警戒を怠らず、他の従者とも護衛について確認をしていた筈だった。

けれど今、雨昕は輿の向こうで歩きながら文霽を見上げていた。

文霽が盗み見た雨昕の大人びた横顔は、自分に向けられた一瞬で子供の表情になり、菖蒲色の瞳を輝かせていた。

けれど少し残念そうに、学が無いから意味は分からない、と前置きした上で、「なんか綺麗」と言い放ち続きを催促した。

本来、輿の中に話し掛けるなど無礼千万。礼儀を教えるという名目で打たれたとしても、文句は言えないだろう。雨昕は発言の後にそれを思い出したのか、はっと我に返ったように両手で口を押さえて立ち止まった。

けれど、その何とも率直な感想に文霽は思わず笑ってしまい、雨昕の無礼を咎めなかった。何より、こんなにも気軽に話し掛けて良かったのかと、文霽は目から鱗だったのだ。雨昕も文霽の許しに胸を撫で下ろして、小走りで追い付いてきた。

何の飾りもない雨昕の言葉は、これまで文霽の才を讃えたどんな美辞麗句よりも、文霽の胸には深く残った。


細雨染青衣

幼影走前陣

非為尊与貴

唯恐我身寒


 雨昕もまた、意味が分からないと言いながらもこの詩をとても気に入った。

後に書として贈られたこの詩を額に入れて飾る程、大切に扱ったのだった。



――――



「雨昕、貴女、玄欒(げん らん)様からの仕官の誘いを断ったんですって?」

「えっとね、誘ってきたのは黎景(れい けい)様だよ。霽は玄欒様の事、知ってるの?」

「知ってるも何も……父と懇意だもの」

「ふぅん……?」


 雨昕はその名の重みよりも、文霽の父という言葉の方に意識を向けたようだ。大人物に対するにはあまりに薄い雨昕の反応に、文霽は少し困ったように笑い、筆を置いた。

詩を贈られてから1年程経った今、二人はすっかり意気投合していた。

あれから雨昕は文霽から文字や詩を教わり、代わりに文霽は雨昕に放浪の話をせがんだ。

知れば知る程、生まれ育った環境も、立場も、考え方や知識も、何もかも二人は違った。だからこそ、幼さと好奇心から惹かれ合ったのだろう。

互いに持たぬものを分け合うように、打ち解けるまで時間は掛からなかった。互いに距離を掴めなかった頃が、今では嘘のようだ。

やがて雨昕が己の名を書けるようになった頃、自分だけでなく文霽の名も書けるようになりたいと言い出した。

ただの護衛、というあの頃のままなら、絶対に言わなかった雨昕の可愛らしい我儘に、文霽は驚きながらも快く応えた。

自分の名の時と同様、文霽に教えられるまま、雨昕は懸命に何度もその形を書き記した。掠れていたり、丸かったり、はみ出したりと、歪な文字だ。


「……出来た!『霽』!」

「!」


 大きさも揃わないその文字を、雨昕は嬉しそうに、何の躊躇いもなく声に出した。

ただの護衛が、令嬢の(いみな)を呼んで許される訳がない。

けれどそれが親愛ゆえのことだと文霽は理解し、これを許した。むしろ名を呼ばれた時、驚きと共に少しだけ頬を赤らめ、どこか嬉しそうだった。

彼女は気高さからか照れ隠しか、少し澄ました顔で「雨昕でなければ、叩いていたかもしれないわ」と言う。

虫も殺せない深窓の令嬢が、護衛の少女に冗談まで言って笑ってみせたのだ。だから雨昕も、自身の失態には気付いたけれど、許された事への安堵よりも、文霽が雨昕に心を開いてくれた事が嬉しかった。

まだ“友人”と呼ぶのは気恥ずかしくて、けれどもきっと文霽もそう思ってくれているから、雨昕の失態を快く許してくれたのだろうと、雨昕は胸の辺りが温かくなるのを感じた。

文霽は、雨昕にとって大切な“友人”。だから、何があっても護るんだ、と自身の胸の奥で思った。

それは深く考えたわけではない。ただ自然と、そう思えたのだ。

こうして、二人きりの時は立場も身分も越え、雨昕と文霽は諱で呼び合うようになった。


 二人の仲の良さを知った文霽の父、文邕(ぶんゆう)もまた雨昕を罰する事はなかった。娘の笑顔が増えたとこれを喜び、雨昕に文霽の護衛兼侍従として支える事さえ、結構な額を示して提案した。

だが、雨昕はこれを拒否。


「文霽を護るためのお金は、これ以上要らないです。文霽は……その、友達、だから」


 と答えたのだ。もし仲の良さを理由に金銭が増えてしまったら、文霽と今の関係のままではいられない。きっと何かが変わってしまうだろうと、雨昕は直感で理解していた。だから、文邕の申し出を断ったのだ。

その答えに、文邕は「娘に良い友人が出来た」と更に喜んだ。


 この頃も雨昕は、相変わらず文家護衛以外にも依頼を受けていた。

文霽は雨昕を信じてはいたけれど、少女が戦場に立つ事を快くは思っていなかった。

何より、友人が危険な場所に行くのを止めたかった。

雨昕は文霽の心配を知ってはいたけれど、止める事は出来なかった。文霽に心配を掛けたくない反面、そうしなければいけなかった。

それは、依頼の報酬が必ずしも彼女の元に届くとは限らなかったからだ。

役所を通して支払われているが、役人がこの報酬を不正に抜き取り――横領される事は、まま有る事だったのだ。

少女達には、どうする事も出来ない現実。

けれど、雨昕を案じ、憂う娘を気に掛けた文邕は動いた。

自分が上級文官である立場を利用したのだ。先の出来事を受け、何としても雨昕に心付けしたい、との思いもあった。

ある日帳簿所を訪れた文邕は、自ら帳簿を精査すると不正を改めさせたのだ。更に――雨昕の報酬に自身の懐から上乗せする事で、自己満足と卑下しながらも彼女を助けた。

そんな文邕の取り計らいを知る由もない雨昕は、文霽に「最近、役場が不正を正すようになって、報酬が増えた」と満面の笑顔を見せた。

父の計らいを知る文霽は、けれどそれを雨昕には知らせず、静かに微笑むのだった。


 その一方、雨昕はそれまでの功績や文邕の施しもあり、役場でも知られる存在になっていた。

国境の防衛ともなれば、僅かながら兵を預けられる立場も与えられた。少年兵に過ぎなかったのに、大した出世である。

これは役場での評判だけでなく、隣州への侵攻に参戦した際の雨昕の活躍が大きいだろう。

その戦では、敵兵の士気が高く勢いに呑まれた状況だった。

その劣勢を覆すべく、雨昕は単身、敵拠点に乗り込んだのだ。

一斉に向けられた敵意の視線を矮軀に浴びながらも、雨昕は不敵に笑って受け止める。そしてその小さな体で縫うように敵地を駆け抜け、僅かな隙を突いて敵将を討ち取ったのだ。

将を失い混乱した敵兵達は、対処に迷いが生まれた。その好機を見逃さず、雨昕は拠点の奪取にまで至った。

場に居合わせた敵兵達、突出した雨昕を諌めに来た味方兵達も、その誰もが驚きの目で少女を見詰めた。

「羅雨昕が敵将を取った!」と噂は口々に広がり、戦場の喧騒の中で彼女の名は瞬く間に伝わった。

その報を受けた自軍の士気は大きく回復し、その土地を得る為の足掛かりとなったのだ。


 帰還後、指揮を執る太守もまた、報告書にその手柄を記し、雨昕に褒美を与えると共に、他州の役所へもその勇名を伝えた。

少女の英雄譚など前例がなく、眉唾だと笑う者も少なくはなかった。

だが噂は噂のままに留まらず、良きにつけ悪しきにつけ羅雨昕の名は各地に広まった。

特に市井では、“羅雨昕”の話は面白おかしく、そして畏敬を込めて広がった。皆口々に、白髪の少女が如何にして戦場を駆け抜け、将を討ち取ったかを語り継ぐ程だった。


 そんな英雄譚も、雨昕本人にはさして重要ではなかった。彼女は生きる為に戦っているだけで、出世という言葉は、初めから視界の外にあった。

だから、戦場を駆け抜けた緊張感よりも、小さな手元で作る詩を完成させる事の方が、余程一大事だ。

その戦で指揮を執っていた玄欒からの――使いで伺った黎景の誘いを断った事など、まるで大それた事でも何でもない。

彼女は筆を持ったまま、文霽に向かって得意げに木簡を差し出した。


「明朝飯香飽、翌日亦無憂、隣有友伴笑、心安且喜樂!」

(訳: 明日のご飯は香ばしく満たされ、明後日もまた心配なし、隣に友が笑っていれば、心安らぎ喜びも満ちる)


 文霽は覗き込むように詩を黙読し、木簡から雨昕へと視線を滑らせた。自信に満ちたその顔とは裏腹に、どこか不安げに震える筆先。

文霽はその震えに、自信と同じくらいある不安と、雨昕の褒められ慣れていない幼さを見て取った。

詩としては、それ程上手くはないだろう。けれども雨昕らしさが全面に出た詩に、安心させるように口元に微笑を浮かべると、首を傾げながら言った。


「ふふ、よく書けているわ。少し、独特だけど……雨昕らしくて、私は好きよ」


 雨昕はその言葉に頬を緩めて、自分で書いた木簡の文字をもう一度、満足そうに見詰め直した。

正当に評価しようとする文霽の言葉の意味はともかく、その笑顔は十分に褒め言葉として雨昕に届いたからだ。それだけで、雨昕には充分だった。

文霽はそれまで取り掛かっていた作業を止め、竹管を文机の端に退ける。そしてそっと筆を持ち直すと、穏やかな気配の中で詩をしたためた。

「どうかしら?」と文霽の差し出した木簡を、雨昕は目を輝かせたまま受け取った。そこには整然として美しい筆跡が綴られ、雨昕のぎこちない文字とは対照的だ。


「朝霞映飯香、友座笑語長、心安何所求、共此樂無央」

(訳: 朝霞に映える飯の香、友と座して笑い語らうこと長く心安らぎ何を求めん、共にこの楽しみは尽きず)

「わぁ……流石、霽」


 雨昕はその難解さに思考が追い付かず、思わず拍手を送った。だがそれでは文霽の意図が分からないままだ。

それが惜しく思えて、もう一度、木簡の文字を指先で辿る。その意味を理解しようと試みる為だ。

結局、雨昕にはまだその意味は分からなかった。けれど、文霽の微笑と温かな気配から、心が満たされることを確かに感じていた。それだけで良かったのかもしれない。

理解など及ばずとも、友と共にいる喜びが、しっかりと彼女達の胸に刻まれていたのだった。


 穏やかな日々に、戦場に立ちながらも雨昕は確かに幸せを感じていた。

そんな文霽との日々を護れるよう、生活に少しの余裕が出来ても、雨昕は研鑽を積む事を止めなかった。

そうして、日毎雨昕は強くなった。誰もが彼女を認める程に。


だが、それを快く思わぬ者も――確かに居た。

或いは、雨昕は――

自覚のないまま、悪意から護られていたからこそ、強くなれたのだろう。


 翌年、文邕が投獄された――――。


書ききると決めている作品です。

時間は掛かると思うけど、お付き合い頂ければ幸いです。


今日の夕飯は、菜の花と卵の炒め物と、豚肉とごぼうのしぐれ煮と味噌汁です。健康第一。

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