母と子(2)
「まずディアンヌ様の遺志ですが、それ自体は五〇〇年前に一度は達成されています。」
「どういうことですか?」
「ディアンヌ様の遺志の元、歴代のレクロリクス王家は下界に至る為に【結びの階段】の建設を始めました。」
「そっか。結びの階段はここと下界を繋いでいるから、完成した時点で上界と下界は行き来できたんだ。」
「そうです。結びの階段が出来たのは建国から丁度五〇〇年後。その時にディアンヌ様の遺志は果たされました。」
「建国から五〇〇年……旧王歴は五〇〇年だから、それってつまり――」
「はい。ロースハイム家がレクロリクス王家を抹殺した年です。」
結びの階段が完成し、上界と下界がようやく繋がった矢先にロースハイム家による王位強奪事件が起きてしまった。
それは偶然か、必然か、それは神のみぞ知る世界ですが、一つ確実に言えるとすれば、当時の初代ロースハイム王の所為で結びの階段は【正義の門】の中に半永久的に閉ざされてしまったということです。
もしそれがなければ今頃この国は、上界人と下界人が共に手を取り合う多民族国家となっていたかもしれません。
「五〇〇年前の今日、結びの階段は完成し、当時のレクロリクス王と王妃は人類史上初ともいえる下界人との本格的な交流を果たしました。しかし、護衛として共に同行していたロースハイム家の者に殺されてしまったのです。」
殿下の仰り方だと、五〇〇年前に結びの階段が出来た時、当時の国王陛下と王妃殿下は自分達から、それも自らの足で下界に下りたということになります。
すると、国王陛下と王妃殿下は下界で殺されてしまったということでしょうか。
「後に初代ロースハイム王となるエムイスタス=ロースハイムは、下界で王と王妃を殺して自分だけが上界へと戻り、階段の建設に関わっていた数人の民を殺して口封じを行いました。そして、国民に下界での〝事故〟で王と王妃が亡くなったと報道したのです。」
下界は私達上界の人間にとっては未知の土地です。
どんな所なのか、何が待ち受けているのか、皆目見当もつきません。
それを考えれば、国民にバレずに国王陛下と王妃殿下を殺すには絶好の場所です。
それに、結びの階段の建設に携わった人々をも殺してしまえば、下界がどんな所かを知るのは自分だけになります。
「こうして王位は継承権を持つロースハイム家に移り、ロースハイム家は自らが真の王家だと宣言し、国の方針や法を大きく変えたのです。」
先程まで偶然か、必然か、は神のみぞ知る世界だと思っていましたが、時期からしても、法整備や学院の設立等その後の迅速な政策にしても、私にはレクロリクス王家の抹殺は初代ロースハイム王の手に寄る計画的犯行としか思えませんでした。
「しかし、レクロリクス王家抹殺には、エムイスタス王にとって想定外な事態が二つありました。」
「想定外な事態?」
「一つは、ルシウス様の子孫――すなわちレクロリクスの血を継いだ人間が下界に存在したことです。」
ナスタシア殿下のお言葉に、私達の注目はファラに吸い寄せられました。
「ファラ、貴方ならルシウス様の遺志もお分かりですね?」
殿下の振りにファラは懐からあの手帳を取り出し、殿下にそれを差し出しました。
「これはあの人の……。」
手帳を手に取った殿下は、何か物思いに耽るご様子でそれをお手に取られました。
考えてみれば、陛下のお母さまである前王妃のレビィア殿下は、ナスタシア殿下にとって義母にあたります。
そして、レビィア殿下とファラのお父さまは何かしらの関係で繋がっていた。
もしかしたらナスタシア殿下はそれを知っていて、あの手帳を見たことがあるのかもしれません。
「それは父さんの手帳――父さんが生前に残した手記だ。そこには今あんたの話したレクロリクスの遺志について書かれてる。まあ、今聞いたものほど詳細ではないけどな。」
あの手帳の中身は見せてもらったことがありませんでした。
あの手帳はファラにとってお父さまの形見です。
だから興味こそあれど、そんな大切なものを易々と見ていいものではないと思っていました。
「父さんの手記が正しければ、ルシウスの遺志もディアンヌ王妃と同じだ。何代重ねようとももう一度母親に会うこと。自分は生きていると伝えることだ。だからルシウスは自分の子供にその想いを託した。【近親相姦】という禁忌を犯してまで。」
「近――!?」
思わず口に出しそうになってしまいましたが、ギリギリのところで私は舌を噛みました。
「それってつまりどういうことですの?」
舌を痛めて涙目になる私を心配しつつ、私の言いたいことをクリスちゃんが代弁してくれました。
「ルシウスが下界の女性と契りを交わしたのはもう知ってるよな。その間で出来た子供は七人いると言われてる。そしてその七人に『いつか上界へ行って、母もしくは兄姉の子孫に会って欲しい』と願いを託したんだ。『可能なら自分の血を出来るだけ強く残して』って条件付きで。そして強制ではなかったにせよ、何人かは父の想いを継ぎ兄妹間で子孫を残していった。そうしてルシウスの血を色濃く継承した家系の果てが、俺や俺の両親だ。」
ファラが言っていた〝レクロリクスの血を色濃く継いでいる〟というのは、私が思っていた以上に直接的な意味でした。
確かに疑問に思わなかった訳ではありません。
ルシウス殿下が下界に落ちたのは千年も前のことです。
その血を継いでいたとしても、色濃く残っているというのは年月を考えてみれば不自然です。
下界の人々は半数以上が濃淡はあってもレクロリクスの血を継いでいる――。
ファラは法廷でそう言っていました。
薄いというのは、ルシウス殿下の遺志を継がなかった子供達が下界の人との間で子孫を残し、その子孫達が更に他の下界の人達との間で子孫を残していったから。
逆に言えば、ルシウス殿下の遺志を継いだ子供達の間で生まれた子孫、その子孫同士の間で出来た子孫……そうやってルシウス殿下の血を色濃く継いできた家系に生まれたのがファラ――。
「しかし、近親相姦は病弱な子供が産まれやすかったり、障害を持って産まれてしまったりするのでは?遺伝的にも多様性を獲得できない為、千年近くそれを続けるのはとても現実的とは思えませんが……。」
ガイラさんの疑問にファラは頷いて答えました。
「ガイラの言う通り、近親相姦にはリスクがある。ルシウスの遺志を継いだ俺達の家系で、ここ二〇〇年余りでは四十を超えて生きられた例はない。」
その言葉に、私は何とも言い難い虚しさを覚えました。
「四十……。」
ファラは私達と同じ十八歳だったはず。
その情報が本当なら、ファラの寿命はあと半分程度しかないことになります。
でもそんな事って――。
「そう悲しい顔するなよ。病気や障害を持った子供が産まれた事例がない時点で奇跡なんだ。多少の代償は納得してる。」
そう言ってファラは自身の欠損した両手を見つめていました。
ファラは以前言っていました。
ファラのお父さまが語る話で上界に憧れていた、と。
でも、こうも言っていました。
「手帳の中身を見たから本気で上を目指して昇って来た……。」
私の呟きにファラは黙って頷きました。
あの時はそんな重荷を背負っていたなんて微塵も考えていませんでした。
ディアンヌ王妃とルシウス殿下の遺志はとても素敵なものだと思います。
さっきまではただ叶って欲しい、叶って良かったと、そう思っていました。
ですが、その遺志を叶えるために様々な代償を子孫が負っている。
それを知った今、私の中で迷いが生れました。
そこまでしても叶えたい願いだったのか――。
子供に代償を背負わせてまで叶えたい遺志だったのか――。
私の頭はその疑問で晴れませんでした。
「んで、結局初代ロースハイム王が恐れたのはルシウスのその遺志だったってことだろ?」
話を元に戻すようにファラはナスタシア殿下に話のバトンを渡しました。
「そうです。エムイスタス王はルシウス様の遺志を継いだ子孫がいることに、レクロリクス王達と初めて下界へ赴いた際に知ってしまったのです。」
「なるほど。下界と上界が繋がったということは、上界人が下界に赴くだけではなく、当然下界人も上界に赴くことになる。下界人の中にはエムイスタス王がレクロリクス王と王妃を殺すのを見た者がいたかもしれないし、それにルシウス殿下の遺志を継いだ者達が上界へ赴きレクロリクス王家の人間を探そうと動けば、国民に真実がバレてしまうのも時間の問題。そうなれば国民からの非難は勿論、最悪の場合王位剥奪さえあり得る。だからロースハイム王家はあれだけ躍起になってレクロリクス王家の人間を、その血筋がいる下界を消そうとしていたのか。」
ガイラさんの呟きにナスタシア殿下は首を縦に振りました。
「ロースハイム王家が唯一恐れた想定外の事態がそれです。そしてもう一つ――。」
そう言ってナスタシア殿下は足下の少年の頭を撫でてから少しの間をおいて口を開きました。
「先程までレクロリクス王家の血は絶たれたと言いましたが、それは間違いです。」