4.彼女の名前
「どうだ、見違えただろう」
万里夫に自慢されるまでもなく、俺はその女の子の美しさ、可愛さに目を奪われてしまった。
艶やかなストレートの黒髪を胸のあたりまで伸ばし、黒目がちの大きな瞳、つんとしてこじんまりとした鼻、そして薄く赤らんだ頬に、桜色の唇が恥ずかしそうに、固く閉じられていた。
俺が渡した、破れた制服はきれいに復元されて、今女の子に着せられている。上下紺色のブレザーに、チェック柄のひざ丈スカート、そして胸元には大き目の水色のリボンがあしらわれていた。
俺が見とれていると、マリオが言い訳するように、
「胸が結構でかいけど、俺の趣味ってわけじゃねえぞ、設計図通りに復元しただけだからな」
「はい(別に聞いてない)…」
「…いろいろ調べたら、元から今のとおりの姿だったんだ。横流しのために改造されたわけじゃない。まあ、こんな女の子が相手なら、敵もつい油断しちまうからってとこかな。あとな、あの制服も、よくよく調べたら、超高性能な防護服になっていた。それがあそこまで破壊されていたんだから、相当ひどい目にあったのかもしれないな」
そうこうしているうちに、女の子はステージから降りて、俺の前に立って、真正面に見つめてきた。
身長が俺と同じくらいなのだろう。ちょうど、俺の目の前に、女の子の瞳があった。ちなみに俺の身長は、男性としては少し小さい方だ。
修理する前の、死んだような灰色の瞳は、今は黒く輝いて、その奥に心が宿っているのがはっきりとわかった。
俺は、右手がほんのりと温かくなるのを感じた。見ると、女の子が、俺の右手を両手で包み込んでいた。
「私の名前を教えてください」
俺はまっすぐに見つめられて、恥ずかしくなり、思わず目をそらしそうになる。自分の顔や体にあまり自身がないのだった。だから、こんなきれいな女の子に見つめられると余計に恥ずかしい。
「目をそらすな、大事な初期設定なんだ。しっかりと目を見つめて、答えてやれ。さもないと、お前さんがご主人だと正しく認識されなくなって、人工頭脳のセットアップが1からやり直しになる」
万里夫の厳しい声に押されて、俺は目線を固定する。女の子は相変わらず笑顔だった。
「か、考えてなかった…」
「私の名前は、「か、かんがえてなかった…」でよろしいですか?」
か、かんがえてなかった…、が確認するように俺を見る。俺はあわてて手を振って否定した。
「あ…、いや…、それは、だめ。やり直し」
「私の名前を教えてください」
女の子は俺をまっすぐに見つめたまま繰り返した。
俺は一週間もあったのに、そんな大事なことを考えていなかったことを悔やんだ。
「マリ…、さん」
俺は思わずつぶやいた。女の子の顔が、パッと明るくなった。
「私の名前は、「マリ」でよろしいですか?」
マリの両目をしっかりと見つめて、俺はうなずいた。
「たしかに、うけとった」
俺はネット経由で、修理代金を振り込んだ。
万里夫は、タブレット端末で振り込みが完了したのを確認して、満足そうにうなずいた。
「マリのことで何かあったら、マリのためにも遠慮せず、いつでも訪ねてくれ」
万里夫は別れ際、俺に名刺を手渡してきた。店の名前や連絡先、メールアドレスなどが記載されていた。
「まあ、俺も自分の自信作とちょくちょく会いたいから、何もなくてよってくれな、じゃ」
万里夫はそう言って、店にひっこんだ。
そして、俺はマリと二人きりで暮らすことになった。
それから、俺は自分でも驚くほど、積極的に行動した。
まず、マリと一緒に生活するための本拠である、アパートを契約した。
駅からバスで30分ほど離れている、静かな環境を選んだ。近くには、森のような公園もある。
契約には保証人が必要だったので、俺は両親に連絡を取り、保証人になってもらった。
両親は、俺の急な行動に戸惑っている様子だったが、社会復帰してくれたのはうれしかったらしく、二つ返事で協力してくれた。
辛くなったら、いつでも帰っておいでと言ってくれたが、もう甘えたくない。家に戻ったら、また依存してしまいそうだ。俺は心が弱い人間だと自覚している。
だからこそ、あえて両親が留守のときに、俺はマリと一緒に、実家へ戻り、荷物を新居へ運び出した。
マリは本が入ったままの本棚を、軽々と運び出していた。
俺が感謝すると、マリは顔を赤くして、照れていた。本棚を落としそうになっていたので、あわてて支えた。
新居、といってもアパートだけど、の掃除と荷物の配置がひと段落して、俺は部屋で暇そうに腰かけているマリに呼びかけた。
「紅茶か、コーヒー、とっちがいい?」
するとマリは驚いたように、俺を見上げて、
「えっ、いいんですか?」
と聞いてきた。一般的なアンドロイドなら、人間と一緒に生活するために、人間と同じようなものを食べて、それを内部の機関で分解して、エネルギーを得ることができるはずだ。ただ、マリは拾い物で、おまけに政府の特注品らしいので、特別なのかもしれない。
「マリは、飲めないタイプなのかな?」
「いえ、いままで、機械用の固形燃料しか与えられなかったので。人間用の食料なんてはじめてで…」
「ひとくち、飲んでみたら」
俺はマリの座っているテーブルの前に、そっと紅茶を差し出した。コーヒーよりは刺激が少ないと思ったのだ。
マリは、そっと口をつけて、一口のんだ。そのしぐさが、女の子っぽくてなんともいとおしい。
「えーっと、タンニン14.5%、カフェイン3.9%、グルタミン酸77.8mg% 、テアニン199.6mg% 、 γ‐アミノ酪酸12mg%…で、それから」
「なにそれ」
「この紅茶の成分分析です。ご希望でなかったですか?」
マリは真顔で言うので、俺は思わず苦笑いした。
「味は、どう? おいしいかな?」
「なにぶん、初めての味ですから、なんとも…。でも、この香りと、ほんのりとした甘み、なんだか幸せな気分になります」
マリは口元を緩めて、笑っていた。どうやら、気に入ったらしい。
「そうか、よかった」
翌日、俺はマリを家に残して、ハローワークへ出かける。貯金もあまりない。だらだらしていると、ひきこもりに逆もどりになる。いや、家を出た以上、もうひきこもれない。
マリは玄関に正座して、俺に手をふってくれた。
仕事は幸い、すぐに見つかった。ハローワークから面接表を受け取り、さっそくその会社へ出向いた。
俺の住んでいるアパートから、5駅ほど離れた、中核市にそれはあった。
「中部美装」
面接表によれば、建物の日常清掃を請け負う業者とのことだった。
俺は、その看板が掲げられた雑居ビルの3階へ赴いた。
社長は見た目50歳くらいの、やさしそうな恰幅のいいおじさんだった。
簡単な面接を行い、即採用となった。
俺のような、ひきニートを積極的に採用して社会貢献しているらしい。
たしかに、作業着を着ていたほかの従業員の中にも、俺と同じような表情の人がちらほらいた。
もちろん、給料は、それなりだった。けれど、今のところ、万里夫への返済を考慮に入れても、マリと二人で暮らすには十分な額だった。
従業員は20名だったが、清掃作業用のアンドロイドを多数保有している。俺の仕事は、まずはその清掃作業用のアンドロイドの保守点検およびプログラムのメンテナンスであった。
ゆくゆくは、リーダーとして、アンドロイドを引き連れて、清掃作業に出てもらいたいともいわれた。
「自分のペースで仕事をしてください、じゃ、明日からね」
帰り際、社長に方をたたかれて、恥ずかしくなった。
俺はもう37歳。本当なら、励まされて喜んでいる年齢ではないのでは、と思ったから。
家に戻り、玄関を開けると、正座してこちらを見つめているマリと目があった。
「ずっと、そうしていたの?」
「はい」
マリは涼しい顔で答える。見た目はどこからどうみても、女子高生そのものだけど、やっぱり中身はアンドロイドなんだ。
「自由にしてていいのに」
「自由ってなんですか?」
「好きにしていいってことさ」
「あなたを待っているのが、好きです」
俺はマリの説得をあきらめた。
(続く)
本日最後の投稿になります。
読んでいただき、ありがとうございました。
現代編も残り2話となりました。