37.たそがれどきに町を出る
玄関を出ると、ふわりと懐かしいにおいが漂ってきた。
ディーゼルエンジンの排気ガスのにおいだった。あまりいい臭いじゃないけれど、なつかしい。
そして、目の前には巨大なトレーラーとそれをけん引するトラクターが横たわっていた。
知美はこんな間近で見たことがないらしく、目を丸くしていた。
ほどなくして、トラクターの運転席のドアが開いて、運転手姿のジョニーが飛び降りるように出てきた。
「あなた、何でも運転できるんだね、すごーい!」
私がほめると、ジョニーは顔を赤くして、無言でうつむいた。
「でも、町長さん、私はこんなの運転できません。ジョニーも運転手として一緒に来てくれるということですか?」
「いや、あまり多人数で移動しては警戒される。ジョニーは【町の職員録】で必要な時に呼び出したらいい」
「なら、だれが運転するんですか? あ、もしかして知美は大型けん引免許を持ってるの?」
「オオガタケンインメンキョ? そんなのないよ」
知美はそっけなく返事をする。ま、そうだろうとは思っていたけど。
「あ、そうかこの車は自動運転なんだ、きっと」
私は自信満々に答えたけれど、町長は首を振った。
「自動運転の車だと、いざというときに、”かみ”に操られてしまう。手動が一番さ」
そっか、私のいた300年前の、すべての機械という機械が、”かみ”に操作されて、文明が崩壊したんだっけ。
自動運転なんかにしたら、”かみ”が素直に東京まで行かせてくれるとは思えない。
自分で運転するしかないんだ。でも、どうしよう。
「だいじょうぶ。マリさんはもう運転できるはずだ。デスベアーとの戦いのとき、私から精神力と一緒に記憶も抜き出している。そして、私はオオガタケンインメンキョ、というものを持っている」
車が庶民のものではないこの世界に、免許制度はないようだが、町長はこのトラクターを運転できる技能があるみたいだ。
町長は、トラクターに手をもたれさせて、私に向かって笑いかけた。
そっか、町長の技能を引きついたんだ。とりあえず、やってみよう。
「知美、できそうだよ。だいじょうぶ。お姉ちゃんを信じて」
「私まだ、死にたくないんですけど~」
知美が冗談を言うようになったということは、安心しているということだ。
「うわ~、広いね、家の中みたい」
私は、ネットでトラックを紹介しているページなんかで、トラクターの運転席を見たことはあったが、実際に見るとやはり広い。
大きなハンドルに、座り心地のよさそうな、革張りのゆったりとした座席。そして、後部座席はベッドになっている。
後部座席から上にはしごが伸びており、さらにそこにもベッドがあるようだ。
もちろん、少し狭いけれど。
私はその狭いベッドで、知美とぴったりくっついて眠る自分を思い浮かべていた。
「お姉ちゃん? 間抜けな顔して、よだれをたらして、どうかしたの?」
知美はあきれたように私を見た。
それにしても高そうだ。2000万円くらいかな。これも、町の予算かな。
私たちは、リュックを後部座席に押し込んだ。
そして、私は運転席に座り、知美は助手席に腰かける。
それでも、車の幅が広いので、間に結構なスペースがある。
私はドアを閉めて、窓をあける。そして、町長に手を振った。
「いってきます」
「危なくなったら、すぐに帰ってくるんだぞ。マリさんが、最後の希望だから、絶対にこわれちゃだめだ」
「ママにあったら、元気にしてるって、たまには遊びに来てって伝えておいてね」
エリナも手を振ってくれる。
相変わらずジョニーはムスッとした表情で棒立ちだ。
──ピンチになったら、よろしくね、ジョニーさん。
私は胸ぽけっとに入れてある【町の職員録】と【契約のペン】にそっと手を触れた。
「伝説のマリア様、どうか”かみ”を倒して、この地上に平穏をもたらしてくれ!」
「その名前で呼ばないでください!」
私は顔を真っ赤にして町長に手を振りながら、ハンドルを大きく切った。
頭に入れてもらった電子地図を、視界の片隅に表示しながら、私は握ったこともない、大きなハンドルを動かした。
町長の言う通り、運転の技能がインストールしてあるようで、操作の仕方は体が覚えていた。
今日は、旅立つにはもってこいの、いい天気だった。
前方の視界には夕焼け空が広がっていて、はるか向こうには赤く染まった積乱雲が見えていた。
「こんなきれいな景色は、きっと神様の贈り物だね」
私は、全然助手じゃないけど、助手席で鼻歌を歌っている知美に話しかけた。すると、知美は私から顔をそらして、つぶやいた。
「”かみ”なんて、大嫌いだよ」
鈴子さんを、知美にとってはお母さんを消去させられたのだから、当然そう思うだろう。
「ううん、違うよ。本当の神様のことだよ」
「そんなのいるのかなぁ…、なら”かみ”を倒してくれないかなぁ。あ、それがマリア様なんだね」
そう言って知美はこっちを見て笑う。私も、知美を元気づけようと、つられて笑顔を作る。
それにしても、マリア様ってなんだろう。いつか出会えるのかな。
考え事をしながら走っても、交通事故の心配はない。すれ違う車もほとんどなく、歩行者もいないからだ。
バシレイアへ物資を運ぶためだろうか、道路だけはよく整備されていた。
でも、周りの街並みは、人の気配はなく、建物はうすよごれて、ところどころ崩落していた。倒壊して瓦礫の山になっているビルもある。
信号機も倒れていたり、ランプが点灯していなかったりで、機能を失っていた。
それでも、事故を起こす心配はない。
まず人間自体がいないし、仮にいたとしたら、マリの体に搭載されている高感度センサーで、半径500メートルにいる生物の気配を察知できるからだ。
そして、いまのところ、人間らしき生物の気配は全く感じない。
300年前はそれなりの都市だったみたいなのに。
おかげで、高速道路に入る前に、飲み物やお菓子、食べ物を調達したかったけれど、もちろんコンビニなんてない。
つい300年前の常識が抜けきらずに、途中のコンビニやサービスエリアで買えばいいと考えていた。
でも、この後世界にそんなものが、あるわけがない。
元の町を出る前に、買っておけばよかったと後悔していたら、となりでボリボリと音がする。
見ると、知美がリュックからポテトチップスを取り出して、食べていた。
私は知美の方をうらやましげに眺めて、口を開けた。
「あ、いいな、知美ばっかり。お姉ちゃんにもちゅうだい。ほら、あ~ん」
「前を見て運転してください!」
(つづく)
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