35.本とペン
「鈴子さん、いってきます」
私と知美は、玄関先から部屋を振り返り、声をかけた。
でも、声が帰ってくることはない。
部屋の中には、夕日が窓から差し込んで、床を四角く照らしている。
私は、いつもしていたように、キッチンに向かって、
「夕ご飯までには、帰ります」
と言っていた。多分、帰れないけど。
私は知美と手をつないで、夕方の大通りを、町役場に向かって歩いていた。
二人とも、背中に大きなリュックサックを背負っている。それに加えて、私はウエストポーチを腰につけていた。
昨日の祭りの名残だろう。道端には、屋台の骨組みがのこっており、道路わきの提灯もまだ飾ったままである。
夏とはいえ、この時間は涼しくて気持ちがよかった。
風に乗って風鈴の音が、私の耳に聞こえてきた。
ほどなくして、町役場に併設されている、町長の家に到着する。
玄関のチャイムを押すと、パッと灯りがついて、ドアが開き、町長が姿を現した。
町長は、制服姿の私をみて、
「こんばんわ、こんな時間にすまんね」
「いえ、そんなことは…」
私はそういいながら、手を振る。
それから、町長は私たちをリビングに案内した。結構、現代風だ。現代というのは、ややこしいけれど、つまり私のいた300年前の世界の一般的な洋風のリビングによく似ているということだ。
私は昨日の夜に、町長に連絡しておいた。
”かみ”の国バシレイアに行く決意ができたから、ついては、バシレイアに行くための方法を教えてほしい、と。
そしたら、業務が終わった夕方に来るように指示された。
同じ部屋にあるキッチンでは、エリナが紅茶を入れてくれていた。そして、私と、隣に座った知美にも差し出してくれた。
「マリの服、かわいいね。私もいつか着てみたいな」
「そ、そっかな、ありがとう」
私はエリナに頭を下げる。エリナも軽く会釈をして、テーブルの向かいの町長の隣に腰かけた。
そして、町長はうやうやしく私に頭を下げた。
「マリさん、覚悟を決めてくれて、ありがとう」
「そんな…、だって、天の裁きなんてものがいつ降ってくるかわからない世界で、知美と暮らせないですから」
そんな私を、知美はじっと見ている。
エリナは、澄ました顔で、紅茶をすすっていた。
「さて、これから”バシレイア“に行くわけだが、もちろん、通常の方法で行くことは、一生かかっても不可能だろう」
通常の方法というのは、いわゆる”バシレイア“に認められて、天上世界へ引き上げられることだが、10年に1人という、形だけの制度で、実際それで天上世界に行った人を、町長も知らないのだった。
「”バシレイア”に物資を納付するトラックに忍び込んでいくしかない。この町からも、毎週東京に向けての便がある」
「東京へ行って、それからどうするんですか?」
「東京から、赤道付近の南太平性のある小さな島に向けて、”バシレイア”への物資を満載した巨大な船が出航している。その島にある地上基地から、軌道エレベーターにより、天空の”バシレイア”に物資が運ばれているという話だ」
軌道エレベーター。
300年前の科学雑誌で、ちらりとその特集を見た覚えがある。
地上と宇宙コロニーをつなぐ、エレベーター。
一般的には、ものすごい強度のあるロープが、宇宙コロニーと地上を結んでいて、そのロープにエレベータを伝わせることで、ロケットを打ち上げるよりも低コストで、宇宙に物資を運ぶことができる、というものだ。
300年後の世界では、実現しているのかな。
「その小さな島から、空に運ばれる物資に紛れて、”バシレイア”に忍び込んでほしい」
「でも、そんなにうまくいくかなぁ…」
大体、”バシレイア”はおろか、300年後の東京がどうなっているのか、その船や島の基地、そして軌道エレベーターがどんなものか、全然わからないのだ。
私はふと、お風呂場でのエリナとの会話を思い出した。
町長は元バシレイアの住人のはずだった。
「町長は”バシレイア”の住人だったんですよね。なら、その内部構造とか、わからないんですか?」
私の質問に、町長は困ったような表情になった。
「エリナから聞いたんだな。ああ、確かにその通りだ。しかし、地上に飛ばされるとき、”かみ”の姿や、”バシレイア”に関する記憶はすべて消去されてしまったらしく、まったく思い出せないんだ」
なるほど。”バシレイア”は情報漏洩対策もばっちりというわけだ。
なら、行ってから考えるしかないということになる。そもそも、たどり着けるのか疑問だけれど。
「だから今は、トラックでバシレイア行きの巨大船に乗り込んで、そこからバシレイアに忍び込むしか方法はない。その先の情報は、現地調達してくれ」
たしかに町長の言うとおりだと思った。ふと知美を見ると、つまらなそうな表情で、あくびをしている。
「知美も行くんでしょ、しっかり話を聞いとかないと…」
「あ~、うん、だいじょうぶじゃない? デスベアーを倒したお姉ちゃんがいれば」
これから二人でバシレイアに乗り込むんだけど、だいじょうぶかな。
私はふと気になって、エリナにたずねた。
「そういえば、エリナはバシレイアに行かなくていいの? だってお母さんに会いたいんでしょう?」
するとエリナは考え込むように、首を傾げた。あいかわらず、ちょっとした仕草もかわいい。
「ママにも会いたいけど、パパが、この地域の”かみ”の代理人になったから、しばらくはそのサポートをしようと思ってるんだ。町長の仕事との両立は大変だろうから」
エリナはさわやかな笑顔を見せた。ママにも会いたいだろうけれど、パパも心配なのだろう。
「もし、エリナのお母さんに会えたら、エリナのこと伝えておくね」
「うん、よろしくね」
私とエリナは笑顔を交わすが、知美は無表情で紅茶を飲んでいる。知美とエリナの間には、いろいろあったのだろうから、仕方ないかな。
「さて、続きをいいかな」
町長はそう言って、テーブルの上に、1冊の黒い手帳と、その上に黒光りする万年筆を置いた。
「これは、この町の町長が代々引き継いでいるものだ。”かみ”からの支給品で、とても不思議な力がある本だ」
「どんな力があるんですか?」
「さっきのデスベアー戦で、ジョニーを呼び出したのがこの本とペンだ、と言ったら理解してもらえるかな」
それは、もしかして、モンスターを召喚できるってことですか?
(続く)
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