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OVER THE CONTRAIL  作者: 三毛
MISSION 2:クライイング・イーグル
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27話:ウィングス

 真っ黒の空。


 ペンキを撒いたように黒いのではなく、ただ目の前の空が黒い。私がどこを飛んでいるのか分からない。計器を見てもぐちゃぐちゃで、方位から高度まで全てを失っている。


 そのくせ、操縦桿はしっかりと握っているのだ。上昇、旋回、水平飛行。加速。


 手が勝手に動く。何かを捕らえている。いや、何かから逃げているのか。聞き慣れない警告音が身体を刺激する。


 ミサイル。暗闇から放たれる一本の槍。そして矢じりのような戦闘機。避けねば。操縦桿を倒してブレイクする。ミサイルは外れた。敵は?


 ドンと瞬間移動するように頭上に現れた。キャノピー越しに見える敵の顔。敵もこちらを見ている。時間が止まったように見つめ合う時間が長い。


 敵が手を伸ばす。キャノピーを突き抜けて私を掴もうとする。やめろ!と叫ぶ。


「やめ…!」


 篠原玲(しのはられい)は飛び起きた。今度は真っ白い視界。照明でまばゆく光るベッドの上だ。


「起きたか、玲」


 末川悟志(すえかわさとし)二尉が隣にいた。


「私、なんでここにいるんです?」


「あそこで寝かせるわけにはいかないって言われてな。ここに運んだんだ。ずっとうなされていたぞ。何か見たのか」


 あれは恐らくバンディッツを見た夢だった。機体も一緒だ。


「先ほどの空戦の続きを、見ていた気がします」


「あれか。お前が無事で良かったよ、玲。生き残れるのが一番だ」


「末川二尉こそ。無事に帰って来れて良かったです」


 そうだな。と彼は返す。安心しているようにも、御稜威ヶ原がまた帰って来ないことにやるせなさを感じているような顔を浮かべていた。


「私たちは無事でも、機体はダメでしたね」


「あいつらには申し訳ないことをしたと思っているよ。だがどうしようも無かった、そう思うしかないんだ」


「飛んだことに後悔はしていませんか?」


「馬鹿。守るべきものには代えられないだろ。俺たちは飛ぶか飛ばないかじゃなくて、飛ぶんだよ」


 玲はその言葉に殴られたような感覚を覚えた。機体を気にして忘れかけていたこと。飛ぶということ。


「なんだ、玲は後悔しているのか?」


「いや…してません。してないと思います。ごめんなさい、適当なことを言って。その通りですね。私も飛ばなくちゃいけないのに」


「良い。頭の中ぐちゃぐちゃなのは俺だって同じだ。それで良いよ」


 涙ぐむ目を堪える。玲は欠伸をこらえるフリをして、タオルケットで目尻を拭いた。


 しばらくして、動けるものは40分後に指揮所に集合するようにと声がかかった。末川二尉は先んじて行ってしまい、玲は一人でまだ横になっている。


 大丈夫。手足は動かせる。基本的なことも出来る。玲は急いでシーツやタオルケットを畳んで支度した。本当にあれから寝たままだったらしいのか、汗が染みて冷たいフライトスーツの感触が改めて目を覚まさせる。


 外は相変わらず騒がしかったのだが、整備の喧噪がより一層響いて聞こえて来た。


 けん引車(トーイングカー)で運ばれてくる戦闘機が見える。あれは自分たちの機体じゃない。どうしてここに持ってきている?と玲は早歩きでそちらへ向かう。


 特殊飛行班の機体と入れ替える形で駐機させられていく。イーグルにファントムだ…。尾翼に所属マークもない。


「玲、まだ寝ていろって言っただろう」


「じっとしていられなくて」


 集合の時間までは20分強はある。


「それで、この機体たちは一体?」玲は尋ねた。


「私が答えよう」


 振り返ると遠山二佐がいた。敬礼。


「この機体はアメリカでサルベージ作業が完了した後に日本に来て、配備途中の各地から持ってこさせた。3機程しかないが試験飛行は済んでいる」


「それって…」


「ああ。さて、後でまた尋ねると思うが、ここで今聞かせてほしい」


「はい」


「あのF-15J(イーグル)に乗れるか」


 玲はイーグルを見つめた。イーグルもこちらに向いた機首で見つめ返してくる。乗れるか、その一言は機体が『俺に乗れ』と言っているようにも思えた。


 XF-3のパイロットに選ばれるまではイーグルで飛んでいた玲は、馴染みのある機体だ。テストパイロットは何も見ずに全ての機体を操縦できなければならない。だから乗れと言われれば問題無く乗れる自信はある。イーグルならば尚更だ。


 だが玲は迷った。ぶっつけの乗り換え、怖くないと言えば嘘になる。だが、


『俺たちは飛ぶか飛ばないかじゃなくて、飛ぶんだよ』


 その事を思い出す沈黙。遠山二佐も何も言わず待っていた。


「乗ります」玲は向き直って短く、強く答えた。


「ですが、私からも一つ聞かせてください」


「なにかな?」


「なぜ遠山二佐はバンディッツと戦おうと思ったのです」


 それは、と彼は言って止めた。どう言えば良いのか分からない顔をする。


「君たちが帰る頃には、全て終わっていることだろう。その時に話す。約束しよう。だから今は私を信じて、飛んでほしい」


 見つめ返す瞳。玲は分かりましたと言い、同じように見つめた。



 命令は一つ。撃墜せよ。


 バンディッツ“黒鳥”を撃墜し、帰還する。文字にすればたったそれだけのこと。


 玲はメモ帳に自分の気持ちを書き綴った。


 ブリーフィングも簡単に、簡潔に済んだ。初めてこの部隊に集められてブリーフィングを受けた時とは状況はまるで違う。任務も空気も全て。こうなることが分かっていたと誰が言えるだろうか。未知の敵と戦うための翼など、説明されても実感がないのは当然のことだ。実際に出会うまで、私たちの空はまだ現実にあったのだから。


 あの”黒鳥”が本当にこの国と私たちに何か思うことがあって、本気で何かを伝えたいと思うのなら、最後に聞いてみたい。今はまだ憶測でしか彼を判断することはできないが、彼の飛ぶ空が何なのか。知りたい。


ここまで書いて、ペンを置いた。こうしていられる時間も少ない。


「玲、準備は良いか」


「OKです。末川二尉こそ良いのですか」


「俺は最後まであいつに乗ってやりたい。役に立てなくてもミサイルキャリアくらいにはなれるだろう。心配するな」


「でも私はイーグルに…」


「前にも言ったな、目的を見失うなよと。ならイーグルにまた乗ってあいつ(XF-3)と比較してきてくれ。絶好の機会だ」


 そして、と付け加える。


あいつ(黒鳥)はお前が撃墜(おと)せ、玲」


 末川二尉はいつになく真剣な表情で、そう言った。


「イーグルに乗れるってことは、その可能性があるってことだ。お前はあいつに最も近いところにいる。気の利いたことは言ってやれないが、玲なら出来る」


「私だけじゃなくて、皆で。一人で出来ることではないですから」


 玲は気恥ずかしそうに答えた。彼もそれもそうか、と笑う。


「でも少なくとも俺には無理だ。いざとなったら俺の代わりに玲が撃ってくれるだけで良い。あの機体のトリガーは重すぎるからな」


 本当は怖いくせに。と言いかけて止めて、代わりに大げさに顔を歪めてみせた。


 自分の機体を見上げる。装備されていく実弾はかぎ爪のように、イーグルの武器となる。そのたくましい後ろ姿には、余計な心配事を音速の彼方に過ぎ去ってしまう息吹さえある。


「かっこいいですね」


 末川二尉と入れ替わるように、レイ中尉がそこにいた。現れるとどこかで思っていたのか驚きはしなかった。お互いラフに敬礼。


「ええ。私たちの自慢の翼です」


「イーグルに乗られるそうですね。ならイーグルドライバーとしてのシノハラさんを見れるわけだ。不謹慎だとは分かっていますが、なんだか嬉しいです」


「こんなことでまた乗れるとは思ってもいませんでした。というか、覚えていたのですか?」


「当たり前です。同じ名前で同じ機体に乗っていたなんて話忘れるわけがありませんよ」


 なんとも子供っぽく笑みを浮かべる人だと玲は思った。


「僕もまだこの国のイーグルドライバーが見たいんです。いや、この国のパイロットが見たい。というべきかな。僕らにとってもあるべき姿が見える気がする。空を飛ぶ者として」


「あるべき姿、ですか?」


「前にも言ってましたね、誇りを捨ててもバンディッツと戦わないといけないのかもしれない。でも、それでも自分たちのやり方を貫きたいと。バンディッツに乗せられてはいけないのだと」


「ええ。それが私たちの使命であり、パイロットとしての義務です」


「僕らとの違いはそこだと僕は言った。だけど同時にそれが貴女たちの強さであることも分かったんです。最後の最後までトリガーを引かなくても、あれだけ速く飛べるのだと。あの時確かに貴女方は速かった、バンディッツに追われながらも負けてはいない。結果として敵を退けた」


「でも我々は一機は撃墜され、他も傷だらけです。負けてはいなくても勝ちとは言えないのでは。速く飛べても勝てなければ意味がないですから」


「いや、違いますね。負けてないのならば勝ちも同然です。これまでもそうして守ってきたのでしょう?ならそれを忘れてはいけない。”ウォーター”の彼だってきっと生きてます。だから、貴女たちならきっと落とせる。それがこの国の翼で、飛ぶ空です」


 玲も、レイ中尉たちの強さが分かった気がした。


「今まで中尉たちがバンディッツという敵と戦ってこれたのも、自分の飛ぶ空を持っていて、その空を強く想う翼があるからなのですね。今まで中尉の話すことは寂しいように思っていました。けどそれは純粋に空を飛ぶ者からの視点なのですね、戦士としてではなく。今なら分かります」


「ええ。僕は戦闘機パイロットとしてある前に、一人の”飛行士”としていたいですから」


 彼は空を見上げて言った。レイ中尉はあの空を何も考えずに飛べる時を追い続けている旅人なのだ。風に乗って、両手に翼を広げていられる空を。


 警報が鳴る。さあ飛べと告げるように。


「シノハラさん、あの電話で何を言いかけたのです?」


「『私は飛びます』です!」


 彼は満足したように微笑んだ。そして自分の機体へ駆けていく。


 玲も飛び乗る。馴染み深いイーグルのシート。目を瞑ってもプリチェックを終わらせられそうだ。3分もしない内に発進できる態勢。


 キャノピークローズ。唸りを上げるイーグルのエンジン、やる気十分というわけだ。整備士が武装の外部安全ピンを引き抜く。彼らの敬礼に右手を挙げて応える。


 沈み行く夕日に照らされた滑走路。もう一度集った翼が一つになる。ステラー隊のフォーメーションに入る特殊飛行班は、いくつかの分隊にわけて飛ぶ。


 自分の番、横にはレイ中尉のイーグルもいる。彼がさあ行くぞと拳を挙げる。


 推力全開。青白いアフターバーナーの炎を輝かせて、勢いよく舞い上がった。


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