26話-2:鳥は飛び立つ
整備士たちにもみくちゃにされながら、なんとか篠原玲は格納庫にこしらえたベンチに座った。酷い汗と倦怠感。手も若干震えてきて、少しどうにかなりそうだった。
共に一番に帰ってきた三条一尉はボロボロの機体を神がかりな操縦で着陸させた後、直ぐに身体検査の為救護室に運ばれてしまった。最後に見た彼女は機体のタラップから落ちて立てないくらいで、玲も駆け寄ろうしたが止められてしまいここで休まされている。
整備員の集合を急かす声、武装が云々と指示する声、機体を誘導する声…。右に左に抜けて行く。玲にとってはどれも初めてで、飛ぶこと以外の”非日常”がそこにあった。
「篠原三尉」
走り駆けつけた担当の整備士がやってくる。
「機体は…?」一番にそんなことを聞く。それが、と彼が顔を伏せる。
「やはり実戦用に調整したとは言え機体にかなりの負荷がかかってました」
申し訳なさそうに話す。これだけでも私の機体はもう飛べそうにないと分かってしまった。
「全部?」
「はい」
そう。と呟いて立ち上がるが、まだ休んでいてくださいと止められる。
「恐らくですが、エンジンはもうOHが必要です。機体にしても武装を搭載したことによるデッドウェイトが響いています、飛べはしますが戦闘機動はもう無理です。つまりは…すみません、篠原三尉」
だからあれだけ思ったのだ、ようやく羽ばたけたひな鳥をいきなり戦場に送るなど愚かに過ぎると。そんな誰でもわかる事なのに、愛機に謝っても謝り切れない。
あっ、という声に反応して顔を上げる。私たちの隊の指揮官、遠山二佐がいた。
反射的に立ち上がって敬礼。彼は真っ直ぐ私の元に来た。
「御稜威ヶ原は見つかりましたか?」
「いや、まだだ…」
顔を伏せるが、直ぐに私に向き直る。
「身体はどうだ?」
「異常ありません。まだ飛べます」
「その様子だとまだ休んだ方が良い」
座っていろと促されるが上官の前、そうするわけにもいかない。
「いえ、飛べと言われればいつでも飛べるつもりです」
「そうか。だが機体はそうもいかないな」
「それは…」
言葉に詰まる。当然遠山二佐も知っていることだろう。
「篠原三尉と末川二尉の機体が今どうなのかは承知している。再出撃には間に合わないだろう。最悪岐阜まで戻らないといけない可能性だってある」
「しかしそうなる可能性をご存じで二佐は…!」
玲は声音を上げそうになった。
だが遠山二佐は意に返さないように静かにたたずんでいる。
「無論、承知していたとも。元よりその為の機体だったのだから」
「その為…?どういうことですか」
「篠原三尉らの機体を潰してしまったことには謝る。だがバンディッツに対抗するには不可欠な存在だった…今はまだそれだけだ」
「この飛行隊に呼んだのも…」
「そういうことになる」
あの機体は、言わば切り札か何かだったのか。玲は途端に分かってきた気がした。
「いずれ、試験的に部隊機をXF-3に統一する筈でもあった。しかし彼らが来るのが早過ぎたのだ。どれもこれも、後手に回ってしまった」
丁度末川二尉の機体も帰って来てエプロンに駐機していた。エンジンを切って静かになっていく轟音が、その命の短さを体現しているように聞こえる。
「篠原三尉」
「はい」
「もう一度聞く。本当にまだ飛べるか」
「飛べます。いや、飛ばせてください」
「…分かった。三尉はそのまま休め、後でまた呼ぶ」
「了解」敬礼。
遠山二佐はそのまま歩いて喧噪の中に消えていく。私と同じように話して回るのだろう。普段は任務とその関連以外話すことが無く、非番でも姿を見せなくぶっきらぼうな印象しか持たないが、本当は何かそう接する理由でもあるかもしれない。三条一尉がこの間言ったように。
ここでは誰もが切り札なのだ…彼の見せる背中がそう言っているように見える。まだ彼を信用したわけではない。もう少し話をする必要がある。
横になろう。大きくないベンチだが自分の身体を受け止めてくれるには十分。腕を枕にした途端に、世界は暗転していった。
―――
汗だくのフライトスーツを脱ぐ。コックピットの熱をも一瞬で冷ます地上の冷気で、身体はぶるっと震えた。シャワーでも浴びなければ飛ぶどころではない。
そうしたいのも山々だが、とレイは肩を落とす。
燃料の関係から横田基地ではなく厚木基地に降りたステラー隊は、在日国連軍から再度武装と燃料の補給を行うための作業中だ。
僕らがどこで降りても良いように事前に準備しておいてくれたのが功を奏した。慌ただしく駆け回っているが落ち着いている。最低でも後1時間以内には上がれるようにならなくてはならない。
「レイ」
エミリア大尉がミネラルウォーターを持ってきた。
「エミリア大尉。そちらは大丈夫ですか」
「私は大丈夫。グリペンも飛ぼうと思えばあと30分もしないうちに飛べるわ。あの子は隊で一番だしね」
「グリペンにはどうやっても敵わないな、本当に」
「なんなら乗り換える?」
「まさか。浮気でもしたらイーグルに空中で放り出されますよ」
笑いながら、ペットボトルの蓋を開けて飲んだ。
空を見上げる。太陽はもう頂点を通り過ぎようとしていた。
僕らが上がるまでの警戒として飛んでいく戦闘機。冬の混じりっ気のない空に飛行機雲を引いて行く。定規で真っ直ぐ線を引くように、綺麗に。
水分が少なく乾いた空。雲も出来なければ、気まぐれに現れる雷もない。生まれる飛行機雲も白く形作られた、”物”として存在できる時間と言えよう。
だがその分消えるのも速い。飛行機雲とは、儚い存在だから。
「飛びたい」
声が出た。僕の率直な気持ちを表すなら、これの他ない。
「なら今私たちが飛べる空を守らないと。そうでしょう」
「ええ。守らないと」
一列にならぶステラー隊の機体。ファントム、グリペン、ファルクラム、イーグル。
ステラー隊の隊付き整備班も良くやってくれているとレイはいつも思う。特殊飛行班側の事も考えたら、直ぐに行きたいところだが。
“黒鳥”とケリを付ける。空を飛ぶ一人として、戦士として。そして撃つ。そして、僕らは勝つ。
愛機たるイーグルの下へ、レイは歩き出した。




