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OVER THE CONTRAIL  作者: 三毛
MISSION 2:クライイング・イーグル
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21話:持つべき結論

 百里基地、第3格納庫。通称3格。


 格納庫に運び込まれた残骸は多くなく、要所にその破片がどこの部分だったか辛うじて分かる程度だった。この基地に所属しているパイロットの誰もが、様々な表情を浮かべてこれと相対した。


 今では空が低い。


 そこには神様のいたずらでも、誰かによって壁が用意されていたわけでもない。


 ただ空が低く、狭かった。


 そんな空は今も私たちを嘲るかのように青い。地上の人間に何が起きようと、彼はただ眼下にその色を照らし続けるだけの日々だ。何も知らずに。


「畜生!」


 残骸に向けて叫び声が響いた。あの時墜ちて行ったパイロット、笹原一尉の相方だ。君塚修司二佐。この部隊に来た二機のイーグルの内の一機、猛禽を駆る使いの一人。それはあまりにも簡単に翼をもがれ、散らされていった。


「なぜ…!!」


 そんな彼らを、私はただ見守ることしかできない。彼らの背中を見ながら自分の無力さに拳を握りしめるくらいしか許されない。


「玲」


「…はい」


 後ろで呼ぶ声。末川二尉だ。


「お前はあの時何を見た…?」


 あの時見たもの。それは恐怖と言う形そのものだった。レーダーに映る影、無線の声、姿こそ見えなくても、すぐそこにいた(・・・・・・・)


「もしかしたら私たちは、何か相手にしてはいけないものと戦うことになるのかもしれません…」


「なんだって…?」


「あれは、飛ぶことへの恐怖そのものでした。直接は見てないですけど、すぐそこにいるような、あれ以外が飛ぶことを許さないような…」


「その話、もっと聞かせてくれるかしら」


「あなたは」


 三条則子。またやっかみに来たのか。この間の空戦沙汰の時、一緒だった。


「少し興味があっただけよ。あの時一番遅くまで国連機と飛んでたんだしね」


「…」事実を蒸し返して私が悪かったとでも言いたげに、見つめてくる。


「あら。別に何も企んではないわ。そんな目で見なくてもね」


 反論しそうになるのを堪えて、玲は話す。


「私があれに感じたのは、空で会ってはいけないものだ。ということです。だってあれは、いきなり空に現れて、東京を空爆し、そして無作為に襲い掛かってきたんですよ?三条一尉だって、一番先に離脱出来たとは言え、何か感じましたよね?」


 玲に尋ねる言葉に、彼女は難しい顔をした。どう言い表せば良いのか、溢れる語彙から掬い上げて形にすることが出来ないという風に。


「…貴女の言う通りだわ、篠原三尉。私も背筋の寒気が着陸しても抜けなかった。何故か分からないのが悔しいくらいに。無意識に身体が反応してるのも意味が分からない。不本意だけどね」


「敵は俺たちよりも、こちらの事を分かっているのかもしれないな」


「というと?」


「こちらが撃てないから、敢えて撃ったんだ」


「弄ばれたってことですか」玲は俯きながら言った。


「いや、本当のところこちらが撃てようが関係ないのかもしれん。あいつらが重要なのは何をやってでも空から追い出すということなんだろうな」


「ちょっと待って、なら私たちの感じたのは何だっていうの?ただの錯覚とでも」


「そうは言いません三条一尉。彼らにとって我々にそう感じさせるだけでも十分な筈だ。あの時の空爆だって、一種の警告とも受け取れる。彼らにそうさせるだけの何かが、日本であったとしか言いようがない。でなければ…全くの行動原理が分からない」


「訳が分からない。けど、結局は私たちがあいつらをその行動原理とやらごとぶっ飛ばさないといけないってわけね」


 彼女はそう言って踵を返す。


「何処へ?」玲は聞いた。


「ちょっと頭冷やしてくるわ。話過ぎたし…もうしばらくここに居たいけど」


「三条一尉…」


「勘違いしないで。あの時言ったことを撤回するつもりもないし、今でもそう思っていることには変わりはない。だから貴女も覚悟を決めなさい。時間がない」


 人目を避けるように帰っていく。こんな空気でも彼女は冷静過ぎるほど冷静だった。それこそが強みなのかもしれないが、きっと見られたくないのかもしれない。


 外に並ぶ戦闘機。物言わぬ機械。冷たい鋼鉄は風に乗って、肌に語りかける。


 機体を見やった途端、一人が国連軍人に掴みかかるのが見えた。レイ中尉にだ。


「なんとか言ってくれよ…!なぁ!」


 掴みかかられた彼は何も言わない。何も言えないと言う方が正しいか。


「何があったのか教えてくれ…、あんたらが連れて来たんだろう、何もしないで一番近くで見てたんだろう…!」


「…」


 彼、彼らは今にも張り裂けそうな顔をしている。まるで彼らは自分のせいだと言いたげに目を伏せている。かけるべき答えが無い。下手に言葉を出せば、それは私たちをも逆撫でしてしまう。謝ることさえも許されない。


 つい動く足を制された。待て、俺もそうしたいのは山々だと末川二尉は訴えてくる。


「黙ってるだけか!」ついに拳を握り占めている。まずい。


「やめないか!御稜威ヶ原!」


 遠山真樹二佐の声が響く。全員がその場で姿勢を正す。敬礼。


「お前は後で俺の元に来い。ステラー隊の皆さん少しお話があります、来てください」


 はっ!という彼の声が格納庫内に響きつつ、国連軍人が複雑な顔でついていく。


 ぞろぞろと他の面々も引き上げていく。この件で待機が言い渡された私たちは最早この感情をどこに放てば良いのだろうか。光景を眺めながら、静かに唇を噛みしめた。



 それは戦死になるのかならないのか。結果はならなかった。


 政府・自衛隊、在日国連軍の間で今回の事件は秘匿とされ、百里に在籍する自衛官はもちろん、特殊飛行班のメンバーにも同様に他言無用の達しがきた。バンディッツに撃墜された笹原一尉は訓練中の事故で死亡したと遺族には伝えられ、それ相応の圧力がかかったのか、マスコミも先の空爆事件と違って報道は極僅かな情報に留まった。これが現実だった。


 あの時なぜ私たちの部隊から彼らが出撃したのかは、未だにタラレバの域を出てない。当の本人たる君塚二佐も語ろうとしない。恐らく釘を刺されているのだろう。


 飛行停止になっていた通常部隊の機体も、今朝には解除されて飛び立っている。小さな特異点に過ぎない私たちは、ミーティングを繰り返すだけだ。技研のスタッフとも話をしてそれでも飛ぶことはまだできない。上の決定待ちというが、それも予想はつく。


 予定繰り上げでこの部隊は実戦配備、あの空戦で飛ばしたのはきっと本格的な実力を図ろうとしたのだ。皆はバンディッツの出現を待っていたに違いない。自分で考えておいて狂っていると玲は思う。けど何か納得できる理由も欲しかった。例え真偽が分からなくても、誰もがその憶測にすがろうとしていた。


 今日もどこまでも突き抜ける程の青空だ。冬場は乾燥しているから青空を拝みやすい。そう言う意味では私は冬の空も悪くないと思っている。吹き抜ける寒さも、肌を伝う風も、空と地上も、そこには違いがないから。手を伸ばせば直ぐに1万メートルまでだって飛べる。


 空を拝みながら歩く。部隊指揮所に向かう途中に305飛行隊の建物の側を通った。『無事故全力!』という飛行安全の看板に記された記録日数が、今日もいつもと変わらない日々なのだということを教えてくれる。否、いつも通り過ごさないといけないのだ。


 昔はF-4を運用する飛行隊(302)が使っていた指揮所を借りる形で、特殊飛行班は居座っている。上の階には貴重なRF-4の飛行隊(501)のものが入っている。普通なら入っている隊のマークが建物には描かれるのだが、私たちのは決まってないようで○特という風に適当なものが仮で貼られている。


 丁度一機のRF-4EJ(レコン)が発進していくところに遭遇した。誘導員が敬礼、そのまま滑走路へとタキシングする。ターボファンエンジンの奏でる排気音を一身に浴びて…、良いな。


「いいな」


「はっ!?」


 背後からの声に素っ頓狂な声が出る。いたのはレイ中尉だった。


「あれ見てたんですか?」


 笑みを浮かべながら中尉がもう滑走路の端まで来て小さくなっているRF-4EJを指差した。


「ええ。タイミングよく発進してるところでしたから」


 双発のエンジンを震わせて飛び立つ。ギア・アップ、ローテーション。そのまま真っ直ぐに空へ吸い込まれていく。


「良い機体だ…ファントムの偵察型を拝めるなんて。今では日本だけでしょう」


「ずっと前からそう言われてきたそうですよ。まだファントムを飛ばしてるのかって」


「確かにそうだ。偵察型はともかく、国連軍でもまだ三分の一はF-4です。なんだか親しみを感じますね。最も、そちらが大先輩ですが」


 何十年も変わらずに飛び続けている彼らを羨むように言う。海の向こうではとっくにモスボールやスクラップヤード送りになっていたのが帰ってきたが、自衛隊の機体は違っている。現在もアメリカ由来の手が加わったとは言え、ガワそのものはいつ壊れてもおかしくない。


「彼らも嬉しいと思います。また仲間が帰って来てくれたんですから。しばらくは寂しくないでしょう。そちらの隊長機だって」


「そうですね。そうだと願いたい」


 残り香のように漂うジェット音。それに乗せて私は一つ切り出した。何かな、と中尉は首を傾げる。


「先ほどの件。すみませんでした。私が彼の代わりに謝ります。皆だって同じ気持ちだったというのに」


「良いんですよ、慣れてますから」


 前にカレーを食べていた時のような顔を浮かべていた。


「なぜ中尉はあの時、自分のことを『そんなに褒められたものではない』って言ったんですか。あんなバンディッツみたいな敵を相手にしながら空を守ってきた。私はその時言ったように、こんなのは誰でも出来ることじゃないと思います。それなのに中尉は私たちを羨ましいとさえ言った…なぜなのです?」


「参ったな。僕自身、そこまで考えて言ってなかったから…」


「では、バンディッツのことをどう思っていますか」


 簡単には答えられないかもしれない。けれど、彼らの言葉の中にきっと私たちにも通ずる意味があるに違いない。


「僕らにとって敵か味方か。それくらいシンプルな意識しか持ってないよ。おそらく彼らもそうなのだから」


「なら私たちのことも敵だと思っていると?」


「分からない。あれだけやってバンディッツが日本に対して何も思っていないとは考え難い。なら逆にあなたはどう思っているのです。シノハラ三尉」


「私は…」


 仲間を撃墜し、私たちの街を壊しても尚、足りないのだろうか。ここまでされて敵と言わずなんと言う。だが同時に敵ならば武器を持たないといけない。


「一つ、僕らとの違いを教えてあげます」


 中尉は私に向き直る。その瞳は、この空で何を見て来たのかを目を合わせるだけで訴えてくるかのように、煤けて見えた。


「僕らが何とも思わないのは、その気になってもならなくても、相手を撃てるからだ。撃たなければこちらが死ぬ、だから撃つ。だけどあなた方は違う。元より剣を抜かないことを誇りに、この空を守ってきた。それは今回のバンディッツに対しても変わらないでしょう。出来ることなら一発も撃つことなく追い払いたい筈だ。

 しかし、それが通用しない。そこには騎士道精神も常識もない。そんな相手にあなた方は僕らのように撃てますか?当然のように撃たれ撃ち返す空を飛べますか。シノハラ三尉」


 仮にもこの約数週間の間私たちに戦技を教えて来たパイロットの言葉とは思えなかった。これほどに擦り減った感情を持って飛んでいるのかと、玲はその冷たさに思わず目を逸らしそうだった。


「だからこそ、僕はあなた方が羨ましく思える。守り方に定義はなくてもこの国は今までそれでやっていけたのだから。撃たないことに越したことはないと思ってる。この理屈がまかり通る相手ならどんなに良いことかって。僕らも始めからドンパチがしたいわけじゃない。ここを見ているとなんだか、こう…」


「戦って欲しくない。と?」


 必死に言葉を探しているレイ中尉を見透かすように言った。何が言いたいのかは安易に想像は出来る。彼もハッとした表情を浮かべる。でもそれは、


「それは、余計なお世話です。中尉」玲は言い切った。


「僕が口を出せる立場ではないのは分かってます。けど、あんなのを相手にするくらいなら」


「私も同感です。今まで通りやっていけるのなら嬉しいし、誰も悲しまない。確かに今の私たちには本格的に戦う覚悟が無いかもしれない。誇りを捨てて、バンディッツをという”敵”を受け入れなきゃいけないのかもしれない。それでも私はこれまでのやり方であいつらを追い出したい…、あいつらに乗せられて戦いに走ればそれこそ、思う壺だとも思う。そうは考えても最早こうするしかないのかもしれないと思う自分が憎いんです…」


「シノハラさん…」


 皆同じ思いだろう。三条一尉も言っていた。覚悟を決めろと。最早避けられないのも肌で感じ取っている。ただあと一歩が進めない、現実と頭の中が一致しないせいで、踏み出せない。


「でも私は航空自衛官です。国民を、この空を守る義務がある。一人の防人として選ばれたからには、それを全うする責務もある。立場こそ違うけど、中尉とすることは変わらない。だから…今度こそ戦える飛び方を教えてください」


 頭を下げた。これは私なりの覚悟の示しだ。


「自分で剣を持つと決めた人に、もう戦うな、なんて言えないですね」


 顔を上げてとレイ中尉は言った。彼は柔らかく笑みを浮かべていた。そこにはさっきみたいな寂しさなどは感じない。


「分かりました。僕も出来る範囲で、あなた方とこの空を守りましょう。それは隊の皆だってそうですから」


 エプロンに駐機して並ぶ戦闘機たち。彼らに感情があるとすれば、何を思うのだろうか。怒りか、愁いか。


 窓から呼びかけられる。これから会議を始めるらしい。私と中尉は揃って返事をした。


イーグルたちも涙を流すことのないように、祈るようにして愛機に視線を送った。この空はまだ青いままなのだから。


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