20話:ディフェンディング10000FT
来た。
逐一無線から飛び込んでくる情報に私はパンクしそうだ。誘導に従って全速力で飛んでいるこの時でさえ、生存本能的な反射から惰性で飛ばしているに過ぎないかもしれない。
今背後に迫っているのは間違いなくレインボーブリッジを吹き飛ばし、単機でこの日本を戦争状態に陥れたバンディッツだ。どういう存在なのかともかく、敵だ。
雑音が酷くなってきた。ジャミングか?にしてもなんてECMなのか。さっきまでの無線がまともに聞こえない。ピッという音、自動で機体側のECCMが作動した。こんな思いもよらない場面で使うことになるとは。
「シノハラ三尉、聞こえますか?」聞き取れる声が割り込んできた。
レイ中尉の声だ。空においてTACネームでなく私の名前で呼んだことに少し驚いた。
「聞こえます。どうぞ」私は落ち着いて返事をする。
「広域レーダーがもうバンディッツを捉えています。もう遠くない。先行して下さい、基地までもうちょっとです。僕らはそれまで後ろで待機します」
「で、でも中尉たちは」
「行け!」
「了・・・了解!」
レーダーと連動するHMDが味方機を捉える。味方を意味する青いボックス。要撃に上がったF-15Jだ。
すれ違って行く彼らに玲はどこまでも首を捻って追うのだった。
「それで、どうするつもり?」
エミリア大尉が話しかける。僕らと逃げる自衛隊機を先に行かせて殿に大尉と二人だ。どちらにせよ、もう追いつかれる。
「時間は稼げると思います。武装は無くても気は引けるかもしれない」
「レイ、自分で何言ってるか分かってるの?」
「分かってますけどこのままだと彼ら共々食われるかもしれない。それだけは避けたいんです」
はぁ。というため息が響く。そういう余裕も無いというのに。
「後で間違いなく”会議”行きね。私たちからすればバンディッツはいないも同然なのに」
「良いんですよ。先に帰っても」レイはそっけなく返す。
「あら、誰が帰るなんて言ったのかしら。それも僚機を置いて」
「大尉…」
「ついて来なさい。ステラー4。行くわよ」
大尉のグリペンが切り返す。僕も倣って操縦桿を強く引いて反対に切り返した。
レーダーにはバンディッツの機影と僕ら。逃げていった彼女らはもう映っていない。一先ず安堵した。
相変わらず通信は雑音まみれだ。なぜか地上と通信が出来ない。ECMのせいか…?大尉との僚機間の交信はかろうじてできる。それが救いだ。
バンディッツと相対する。ヘッドオン。逃げないのは上等だ。搭載武装は無いが攻撃態勢に機体を設定する。マスターアームオン、ロック。
バンディッツが避けた。その隙にエミリア大尉が進路上に割り込んで行く手を阻む。まるで体当たりしに行くかのようだ。高度を落としたのを見計らってレイは後方に張り付く。上方占位で逃げ場を作らせない。だがそれでも構いなく進むのがバンディッツだ。
大尉がグリペンをダイブ。武装が施してあるならばこれは機銃を差し込む動きだ。バンディッツが左に回避。速度を落として蛇行。レイも減速して対応する。
バンディッツは全翼機。それも三角形のような、Vの字をしているような機体だ。水平と垂直尾翼はない。レイはこの特徴に共通するものを知っていた。”失われた世代”、この空からとっくに翼を失くしたステルス戦闘機たち。なんでこんな機体が。
解析結果がHMDのターゲットボックスに合わせて表示された。”F-42”。米軍の戦闘機。僕が学生だった頃にありふれた戦闘機だった。
「エミリア大尉。あのバンディッツ、前時代の機体です」
「昔のステルス機だって言うの?」
「そうかもしれません、解析ではそう出てます」
バンディッツが急旋回。レイは上昇してループ。まだ見える。捕捉はできている。エミリア大尉は大きく旋回。
被せるように機体を捻って降下する。バンディッツはその機体に見合わないような動きでレイをかわす。レイは反対に切り返して機首上げ。
「こいつ出来ますね。あんな機体のくせに良い動きをする」息を大きく吸いながら言う。
「彼らが何に乗っても脅威な証拠よ。あの機体が例え格闘戦に向かなくたってそれをするのだから。本当にどうかしている」
そろそろこちらが撃てないのが知られるかもしれない。逃げる割には様子を伺うかのようなパターンで飛ぶ。
ロックオンアラートが響く。くそったれ。レイとエミリア大尉はブレイク。その隙にバンディッツは加速をかけた。
高度10000メートルの攻防戦。雲さえ及ばない空間はただ速く飛べる鳥がその存在を許される。持たぬ物を持たないレイたちは、その空から淘汰される存在に最も近かった。
自ら買って出た行為の浅はかさ。もう後悔したところでそれを受け止めてくれる存在はこの空にはいない。空という僕らを統べる絶対的な存在でさえも。
攻守の逆転はあっという間だった。全方位どこにでもミサイルが撃てるあの手の機体は、ステルスを抜きにしてもそれだけでアドバンテージがある。例え背後に付かれても僕らをロックしておけばそれで十分なのだ。向こうからすれば、こちらが撃てないことを知っているし、僕らは撃たれるまで向こうに武器があるかは分からない。
レイは操縦桿を握る力を込める。要撃機はまだなのか。バンディッツは嘲笑うようにひらひらと舞う。目標はすぐそこに見えていて余裕だと言いたげだ。だが。
急減速でバレルロール。それもあっさりと。鳥の羽のように展開するエアブレーキ。オーバーシュートするその一瞬までレイは見えた。エミリア大尉が右にブレイクする。僕は下に降りる。ダイブ。急激に減っていく高度計、ガタガタと機体が揺れる。引き起こして緩旋回上昇。機体を反対に切り返して逆方向に旋回。バンディッツはついてくる。こちらを撃墜してからやっても遅くはないと思ったのだろう。
エミリア大尉は完全に遅れていた。ブレイクしてからの動きは僕らが速い。大尉が旋回している間だ。
警告音が響く。もっと逃げろとイーグルが叫ぶ。だがエミリア大尉の方に逃げたら犠牲が増えるかもしれない。それだけは避けたい。完全に僕らの戦術は効かない。
曳光弾が機体を掠めた。バンディッツは撃った。奴は本気だ、もう機体がどうこうとかは関係ない。あれはもう間違いなくバンディッツなのだ。
ローリングして回避、時に上下にジャンプするように避ける。これはもうほぼ反射的に手が動いているに過ぎない。汗が頬に、顔に塗られていく。
「そこの国連機!」
唐突な無線。英語だが特徴的な訛り。自衛隊機か。
「早く退避しろ!何をやっているんだ!」
イーグル二機とすれ違う。
「こちら国連軍機のレイ中尉」エミリア大尉です、彼女が続ける。
「エミリア大尉、レイ中尉。なぜ逃げなかったのです!?」
警告音は相変わらず響く。増援が来たところでバンディッツは引かない。レイとしては早く撃墜して欲しい気持ちだった。
急旋回。バンディッツも遅れずについてくる。自衛隊機を背後に行かせねば僕は落ちる。誘うようにして動く。それまで持ってくれと祈る。
「そんなこと言っている場合ですか!敵機はすぐそこにいるんだぞ!」
大尉たちが見えた。旋回して回り込もうとしている。それで良い、あとは落としてくれれば。
完全に誘い込めた。イーグルのバックミラーにはバンディッツと後方に機体が見える。
後方で光。自衛隊の警告射撃か。バンディッツと既に何度も遭遇していたこの国でもそんなことは通じないと分かっている筈だ。
この状況での僕らの選択はもう二つしかない。力ずくで追い払うか、撃墜するか。日本のことについてそれほど知らないレイでも後者がどれだけの重みを伴うものなのかは分かっている。この二文字を実行するのには複雑な手順を経ないといけないというのも。現場の判断で行うことは不可能に近い。
もうレイも限界に近かった。弄ばれているも同然だ。彼らが撃てないだけ僕も逃げて消耗していく。
「何やってる!撃つなら撃て!」分かっていてもこれが本音だ。レイは叫ぶ。
「撃墜命令は出ていない!さっきから地上とも繋がらない、指示が仰げない!」
「この状況で通信を当てにしても無駄よ!早く決めなさい!」
「しかし・・・!」
インメルマンターン。機体を起こして水平に戻す。だがレイは見た。機体から撃ち出される一本の筒状のもの。ロケットモーターに点火して一直線に進む、ミサイル。
操縦桿が折れんばかりに倒してダイブ。らせん状に降下する。だがミサイルが追いつくのに10秒とかからない。フレアもダメだ。
右か、左か・・・。右だ!
左に機体を倒してローリング、急減速。かかる減速Gに歯を食いしばって耐える。
衝撃音。機体が激しく揺れる、そして警告音。HMDいっぱいに映る機体のバイタル。機体のあちこちに赤い表示、ダメージが酷い。
「レイ!!」エミリア大尉が叫ぶ。
「まだ飛べます・・!」
高度が落ちる。目視で見やる。翼や尾翼が穴だらけで欠けている。ノズルからも煙。燃料も怪しくなってきていた。それよりもバンディッツだ。レーダーを見る限り追撃はしていないが…一機少なくなっていた。
バイザーを上げて見やった。高空に火球が一つ。落ちて行く火線。
「笹原ァ―――!」
興味を失くしたように彼方に飛び去るバンディッツと、空に響く叫び。
傷だらけで煙を吐く自分のイーグルを見る。そろそろ怪しい。一番近いのは厚木基地だ。被撃墜1、損傷1。不意な交戦にしろこれは許容できない損害だろう。
高度10000メートル。人智の及ばざる空は絶対に守るべき空間であっても、空の方がその絶対を”約束”してくれることはない。それは人が定めた一方的な境界であり、約束であるから。ひょっとしてバンディッツは空の使者か何かなのか。そう思う人間も少なからず居た。
撃たれることを宿命付けられたこの空の青は、青いままではなく、とうに赤く染まっている。そのことに誰しもが気付くのも、空に放たれた一撃の矢を見るまで、分からないのかもしれない。




