19話:ダンシング・ウィズ
バン。と衝撃音がする。
わざとらしくドアを閉めた三条則子一尉は、同じようにわざとらしく音を立てて椅子に座る。誰が見ても彼女は明らかに怒っていた。その日の相棒だったファントムのパイロットの長崗一尉はやれやれという顔を浮かべて後に続いた。
今回の模擬戦も結局は同じだった。いや、良いところまで行ったと言えば、行ったが。
二機で一機を仕留める戦法を取る国連軍機に対して、三条一尉らはそもそも二機を初めから分離させるような作戦を取った。開始時点で標的を向こう側のファントムに集中、僚機のイーグルが掩護に回るところでそれを妨害し、一対一の構図を作り出していくというこれまでの模擬戦を見た上での戦い方だ。
ファントムは同じ機種の長崗一尉に任せ、比較的動きの素早いイーグルを三条一尉が相手にする。機体性能が拮抗する同士ぶつけたのだ。合理的で賢い。
持ち前の才覚でリードする三条一尉と、同じようにサポートする長崗一尉の連携は概ね良かった。実際のところ常に追う側にいた国連軍機がその時は二機とも追われる側だった。しかし何が起こるのか分からないのが空で、彼らは寧ろこれを利用した。逃げる方向を合わせ、お互いを追う敵機をぶつけ合う動きを見せたのだ。堪らずブレイクする三条一尉らはその時既に手中にハマり、この一瞬でなぜ自分たちが追いかけられているのか分からないまま順番に撃墜されていった。
こうして玲は何度も同じことを思う。やはり彼らの空戦は異常だと。普通だったらそんな危うい動きは出来ない。普通なら全力で振り切ろうとするし、お互いをぶつけようにも間に合わないかもしれない。彼らは元からこうするつもりだったかと言うように自然に動いた。
私たちが負けた理由もそこにあるのだ。その動きに。
「ここまでの動きは」
彼ら国連軍部隊の隊長、クーパー大尉がコンピュータ上で処理されたアニメーションを見ながら時には手で、身体で、用意した模型を使って説明する。私たちは必死にメモした。各々不思議そうに、納得がいかないような顔を浮かべながらも、そこは素直に戦い方を吸収した。玲のノートもいつの間にか何を書いているのか分からない有様になってきた。
ピタッと書く手を止めて顔を上げる。不味い、私だけ夢中になって聞いていなかったか。
焦る気持ちに拍車をかけるように、目が合った。私と名前が同じのレイ中尉。アメリカの水泳選手みたいな細い顔つきと淡褐色の目で、私を見てくる。彼はふっと笑った。
「あなたはどう思いますか?シノハラさん?」
「ええと…」言葉に詰まる。しまった。
皆の視線がミサイルみたいに飛んでくる。ピリピリと痛い。中尉は細かく目配せしてここだと伝えてくる。さっとノートに書き殴った絵とメモを見る。
「戦術としては、三条一尉たちのとった作戦は良かったと思います。これまでの演習では双方2対2の陣形を崩さずに戦っていた。これはそちらの基本戦術と一致しますが、これでは経験の差から明らかにそちらが有利で簡単にこちらの陣形は崩されてしまった。けれど今回はそうではなくお互いを最初から引き離し、個人での戦闘に持ち込みました」
三条一尉が明らかに気に食わなさそうな目で聞いている。
「この戦術を封じたまでは良かった。けれどここ、ここからの動きで既に相手は追われている立場を利用する意図に変わっています。一見たまたま互いの方向へ逃げたのだと見えますが、そうではありません。わざとぶつけに行った。私はその見えました。三条一尉らが負けたのはこの動きを意味のないものと思ってしまったところにある」
ほう、と感心したような顔をレイ中尉や他のパイロットがする。この間の自分以外のデータを貰って比べてみた甲斐があった。思い巡らせることをそのまま言うのは安易ではないが、伝わって良かったとほっとする。
その通り。と説明を続けていく。当の本人たる彼女が話を振られたときは、あくまでスマートに返していくのだった。
デブリーフィングが終わり一同は夕飯に食堂へ向かう。玲はレイ中尉を探していた。お礼がしたかったのだ。券売機でカレーを買う彼に話しかけた。
「レイ中尉?」
「何かな。えっと…、シノハラさん?」
「先ほどはありがとうございました。話振っていただいた上に教えてもらってしまって」
「感謝されることじゃない。僕はただそれとなく下を見ただけですから」
あくまで違うと彼は爽やかに微笑む。
「けど、良く分析していますね。僕らの意図にも気付いていたし、戦術も理解している。この間一緒に飛んだばかりなのに」
「あれから勉強しましたから。あの勝負は悔しかったので」
私もカレーの食券を買った。カツカレー。
「なるほど。そう言えばテストパイロットと言ってましたね。さすがだ…一緒にどうですか」
「良いですよ。そうですね、テストパイロットです。こんな私ですが」
長いテーブルの真ん中らへんに座る。端っことかはいつも埋まっていて取れない。
「そんな自分を下げなくても。立派なエリートだ。一飛行士に過ぎない僕よりもね」
「中尉こそそうではないですか。あんな敵をいつも相手にするなんて、並みの戦闘機乗りに出来ることじゃない」
はは、と軽く笑いながら彼はカレーを頬張る。なんだか美味しそうに食べる顔だ。だが目はそんな風には訴えてこない。据わっていた。
「誰もがそうと言う。だけど僕からしたらそんな褒められたものでもない。寧ろ、今まで無縁でいられた皆さんが羨ましい….すみません、話が逸れましたね」
「いえ…」
ぞっとした。どうしてそんな事を言うのだろう。私があのように言ったからだろうか。思えば少し重たそうな声だった。意外だ、玲はそう思った。
撃たずが誇りの日本と違って、このパイロットたちは実戦を経験してきた猛者たちだ。当然考え方も違うが、彼はそのことに自信を持っていなさそうに見えた。自信というよりは、何かそれ以上に言い難い理由をはらんでいるかもしれない。単に皮肉でこちらを羨んでいるわけではないのは確かだ。
気が付けばもう3分の1もカレーがない。無意識に食べ続けてしまっていたようだ。
「テストパイロットと言えば、イーグルには乗られたことも?」
興味深そうに尋ねてくる。
「あります。テストパイロットは全ての機体に乗れるのが第一ですから。私も元イーグルドライバーでしたよ」
「本当ですか。じゃあ僕と仲間ですね、名前だけじゃなく乗っていた機体まで同じだったとは」
先ほどの顔が嘘のようだ。こうして話すとなんだかまだ全然若い男の子のような印象だった。それを言うと私がおばさんみたいだが…。そんなことはない。
イーグルの話はそれなりに盛り上がった。私も楽しかった。久しぶりに仕事とか抜きで好きなものを語り合うなんてことをやった気がする。レイ中尉は仲間と一緒に部屋へ戻って行き、最後まで少年のような笑みを浮かべていた。
「右旋回!」
百里沖E空域。今日もまた私は空の中にいる。言われるがままの右旋回、息はとっくに上がっている。身体がこれ以上の機動を拒否している。だがそんなことは許されないと鞭を打つ。
先導するレイ中尉のイーグルの動きは全く落ちることがない。追いつけ、追いつけ…。
半周する頃に逆向きに旋回、眼前に広がる青空が目まぐるしく姿を変えてあちこちに映る。まるで雲を誘導灯にするかのようにジグザグに機動していく。目で追うのと同時に操縦桿も倒していく。これではまるでマリオネットだ。
螺旋状に降下。緩いものから徐々に半径を狭めていく。最適な速度に合わせるためにスロットルレバーを引いて減速…。
ガクン、と機体が揺れた。否応なく倒れる身体にシートベルトが食い込む。うっと声に出して呻く。玲は吐き気を覚えた。それを助長するかのように機体はまだガタガタを揺れている。
スロットルの故障か?玲はレバーを掴む左手を見た。そこにあったのは限界まで引きっぱなしになったまま離れない手だった。小刻みに震えている。まるで石のように重い。
このままではいずれストールして自由落下に入ってしまう。XF-3がいくら失速限界が高いと言っても限度はある。
同じく震える右手でゆっくり押していく。くそったれ、動け。
「”ローズ”!!」気付いたのか無線越しに叫んで来る。
失速の警告音がひっきりなしに鳴り響く。ゆっくり押しても進まない。壊れる勢いで押した。
海面を向いた機首が徐々に上を向き始めた。回転数を回復している。玲はシートに寄り掛かった。最悪の事態は回避した。
『”ローズ”、どうした。状況を報告してくれ』地上でモニターするクルーが尋ねる。背後の声が騒がしい。それもそうか…。
「こちら”ローズ”。機体に問題なし。急激なスロットル操作を行ったため、失速した」
『了解した。機体はこちらでモニター出来ている。一度降りるのを推奨するが』
「いえ。このまま続けさせてください…。私は飛ばなきゃいけません」
「こちらステラー4、レイです。”ローズ”あなたは無理しない方が良い。どこかおかしい」
「そんな。さっきのはただの操縦ミスです。機体にも私にも問題はない。続けてください」
『コントロールよりレイ中尉。”ローズ”を誘導し帰還させてくれ。少し様子がみたい』
「了解した。帰投する」
「待って!」玲は叫んだ。何が必死にさせるのか、この時自分でも分からなかった。
「まだ、もう少しだけ…。さっきの螺旋で良いです、それだけでも」
『中尉。帰投を』
中尉のイーグルが翼を振った。折角の機会が無駄になっていく。
だが、イーグルは唐突に旋回機動を始めた。
「どうした”ローズ”、帰投ですよ」
「り、了解…!」
玲は機体を傾ける。今度こそ付いて行ってみせる。機体を速度に乗せながら、緩やかに右旋回。半周ごとに半径を狭めて、速度を上げていく。大回りから始めて1分程でもう2周半は過ぎる。中尉の機体に引き離されていない、まだいける。
Gで身体が再び締め付けられていく。私のような女性パイロットはGに弱い。確かにその通りだ。でもそれがなんだと言いたい。身体がGに耐えられないから、身体が小さいからと言っても、空を飛びたい気持ちで十分だ。たったそれだけだ。
イーグルは寸分違わぬ姿勢で旋回を続け、光を反射して輝く翼からヴェイパーが描かれていく。
綺麗。
まるで天使の羽のように、虹色を放つ。妖精が粉を撒くように、翼端から軌跡が引かれていく。
この為に飛んでいるのかもしれない。天使とダンスを踊ろう。レイ中尉はイーグルという身体を借りて、私をダンスへと誘うのだ。美しくも残酷なこの空で。
ふわりと上昇した。艶めかしく、柔らかい身体のように機体を捻らせて。実戦を経験しているだけでそのような魅せられる機動が出来るものなのかと玲は見とれた。
だがそんな景色も長くは続かない。
『こちらコントロール。中空SOCより入電。太平洋沖X-5空域に国籍不明機の侵入を確認。防空識別圏は既に突破されている。即時帰投せよ。繰り返す、要撃機発進の為直に帰投せよ。緊急時の為に続けて日本語で繰り返す――』
「こちらレイ。不明機の現在位置は」
『高度32000、方位240、速度M1.8。南西へ向けて飛行中。120秒後にはその空域に到達する。こちらはこの間の空襲機だと判断している、急いでくれ』
お互いに武装は装備していない。イーグルは胴体のタンク1つ。私のはウェポンベイに内蔵した小型のタンク一つだ。丸腰にも程がある。インターセプトさえできない。
「貴女たちがさっさと帰らないから!何やってんの急いで!」
三条一尉が悲鳴めいた声で伝えてくる。少し離れた位置で彼女もあのグリペンと飛んでいた。
『要撃機の発進までなんとか耐えてくれ!―さっさとランウェイを空けないか!早く!―不明機が加速している、誘導通りに飛べ!』
ダンスは終わらない。天使も死神も、空はどちらも抱いている。
次回:絶対防衛10000




