序章
瘴気結晶。魔物を発生させる瘴気溜まりがより濃度を増し結晶化した恐ろしい物質。小指程度の大きさの欠片一つだけでも、街一つ簡単に壊滅させてしまうほどの脅威を持ったその物質は、瘴気の濃い場所で希に発生することがあり、それの発生を防ぐこと、防げずともそれが瘴気放出をする前に聖職者などの浄化や封印の魔術が得意な者達の力で無力化させることがどの国でも当たり前だった。そしてどの国もその責務を教会だけに頼らず、国自体が国防を司る機関に専属の部隊を保有し、日々、対策に勤しんでいることも誰もが知る事実だった。
黒曜石のような見た目で、瘴気の放出を始める前の結晶は簡単に人が持ち運ぶことができる瘴気結晶。それと知らず手に取ってしまう者もいるため、注意喚起はもちろん、持ち込ませない努力も、万一持ち込まれてしまった場合の対策も、徹底して行われていた。
欠片一つでも脅威。塊などが存在しようものなら、それこそ人類滅亡の危機。それが世界の常識であり、瘴気結晶は発生の確認と共に消滅させなければならないというのが世界のルール。濃度が濃く、塊が大きく、すぐに浄化ができない物は、教会の深部に作られた特別な部屋に厳重に封印され、長い時間をかけて浄化を行う。それが当たり前であり、それが人類が生き残るためには絶対に必要なことなのだということは、全ての人が知る常識だと思われていた。
それは、大昔に瘴気結晶が引き起こした大災害があり、災害級の魔獣が大発生し、多くの国が滅び、数え切れないほどの人が亡くなり、人類が滅亡しかけた史実からきた教訓であり、全ての人が護らなければいけない絶対的な掟のはずだった。
だから、間違ってはいないはずなのだ。瘴気結晶を体内に埋め込まれ、いつ起爆するか解らない瘴気爆弾と化された人物を処刑することは、間違っていなかったはずなのだ。
瘴気爆弾とされたその人も納得していた。その人自身に罪がないことを明らかにし、また、人類のための尊い犠牲となることを了承してくれた事の報酬として、残される家族に最大限の援助をすることを、契約魔法と制約魔法を合わせた公的な契約書にして、国王、貴族院、軍、教会の署名を行い、絶対に覆ることなく破られることもない約束として保証し、明示し、そうして犠牲になってもらったのだ。その人の希望を最大限聞き入れ、契約書には家族へどのような保証がされるのか、どのような援助がされるのか、具体的に且つ詳細に明記し、納得してもらって、その人からも署名をもらった。そうすることで、その人が死んだ後その人との約束をこの国の誰もが守らなくてはいけなくなり、またその人自身も絶対に死から逃げることができなくなったのだ。契約を守らなければ死の制約がされた、それに署名をするということ、すなわちその時点でその人の死は確定したのだ。その人の死は、その人の理解を得てなされたものだった。だから、間違ってなどいないのだ。仕方がない犠牲だった。そうその国を動かす重鎮達の誰もが思っていた。
ある王国で、一人の狂人によって瘴気結晶を使用したテロ事件が起きた。どうやって手に入れ、そして保管できていたのか。複数の瘴気結晶を所有していたその男は、魔術を組み込み瘴気結晶を加工した宝飾品を不特定の人物に渡し、宝飾品を受け取った人物は理性を失い行動がおかしくなり、最終的には魔物を発生させる瘴気爆弾と化した。
最初は小さな欠片のピアスだった。瘴気の濃度も低く、魔法加工により瘴気の気配が完全に遮断されており、それが瘴気結晶だとは誰も気がつかなかった。宝飾品を作る際、傷や汚れ防止のため魔法加工することは一般的で、だから、それが瘴気結晶の欠片だと判明した時も、黒曜石と間違えて加工されてしまったのだろうと結論づけられ、装着していた当人は酷い瘴気あたりに苛まされて療養を余儀なくされたが、それ以外の被害もたいしてなかったことから、単純な事故として処理されてしまい、黒曜石の屑石の中に瘴気結晶の欠片が紛れているかもしれないから屑石を取り扱う際には、加工前に教会にて浄化を行うことが義務づけられ、通達されて終わりとなった。
その後、神託により、強い浄化の力を持った聖女の誕生と、瘴気結晶によるテロ事件が起きることが明らかになり、辺境領での瘴気結晶による魔物の大発生を始め、次々と瘴気結晶を加工した宝飾品によるテロ事件が発生し、事故と思われていた瘴気結晶の欠片のピアスが試作品だったのではないかという憶測がたつこととなった。このようなテロ事件が起きたことは歴史上見られず、対応は後手後手に回り、教会や国への不信感を煽ることとなり、教会も国も大きなダメージを受けたのだった。
そんな国を揺るがしかねないほどの大規模テロを起こしたにもかかわらず、犯人は単独犯で、その動機ははっきりと解らずじまいだったが『我が主との約束をこの国も教会も守らなかったから自分が動くことになった』『最後の命を完遂するためにはこうするしかなかった』などという発言が聞かれている事から、使えていた主がこの国や教会を何かしらの理由で逆恨みしており、亡くなる前に最後の命としてテロを指示していたのではないかというのが、公式の見解だった。ただ、犯人の身元も不明なら、その主と該当しそうな人物はどこにも見当たらず、犯人自身が瘴気の塊と化してしまうほど瘴気に酷く犯されてたため、すっかり正気ではなく妄言を吐いていただけなのかもしれなかった。そんな犯人は、もう人の部分すら残っていなかったのか、聖女の浄化により完全に消滅してしまったので、それ以上の追求も真実の究明もできず終わってしまったのだった。
そうして、神託の聖女と特務部隊の尽力により、テロ事件は解決することとなったが、犯人はどれほど瘴気結晶を保有していたのか、犯人により各地にばらまかれた瘴気結晶の処理に犯人が消滅した後も聖女とこの国の特務部隊員達は追われることとなった。
そして時がたち、瘴気結晶の場所を示す羅針盤型の魔道具が示す瘴気結晶は最後の一つとなり。その最後の一つがとてもやっかいなことに、体内に瘴気結晶を埋めこまれた状態で発見され、摘出不可能だった。小さな欠片のピアスを装着していただけで影響があるというのに、なぜその人物が瘴気結晶の塊を体内に宿しながら全く影響を受けていないように過ごせていたのかは謎だったが、なににせよ、取り出せない以上、その人物自体が既に脅威。聖女の浄化で体内の瘴気結晶だけ浄化できないか試してはみたものの、その人の保有魔力が多かったせいか何かに阻まれるように上手くいかず、結局は、浄化の炎という、かつての大災害の際に、酷い瘴気汚染を受けたにも関わらず生き残り魔人化した者を処刑するときに使用されていた、教会が所有する処刑具で骨すら残さず焼き尽くしたうえで、残った灰に聖女の浄化を施すということとなったのだった。
そうして行われた処刑。
極小数にのみ知らされ、秘密裏に行われるはずだったその場所に、予想外の人物が飛び込んできたのは誰の差し金だったのか。
許されない侵入者、侵入者を排除するために放たれた攻撃、そして・・・。
気がつけば浄化の炎は消えていた。
そこには黒を纏った狂人。消滅したはずのテロリストの姿があった。
狂人の放つ悍ましい気配が重圧となって、誰一人動くことができなかった。立っていることすらもままならず、膝をつき、倒れ込む者さえもいたほどだった。
「彼女に絶望をありがとう。」
狂人が言った言葉の意味が誰も理解できなかった。ただ、本当に、心底嬉しそうに、心からの感謝を示すように笑う狂人の顔に、誰もが自分たちが何かとてつもない間違いを犯してしまったのではないかと思い至り恐怖した。
磔にされた女性の拘束を解き、とても貴重で大切な物を扱うように地面に下ろすと、狂人は恭しくその足下に跪き頭を垂れた。
「子供達の浄化は終わり、貴女は目覚めた。約束を覚えておいでで?」
狂人のその言葉に、女性は目を伏せ「ええ、覚えているわ。」と答えた。
「ずいぶんと犠牲を出しましたね。」
「約束を守る気のない者達に約束を果たさせるには致し方なかったかと。」
「わたしを目覚めさせるために、関係のないこの方を依り代にしたことも?」
「貴女の依り代になり得る器はそうそういませんので。お叱りはしかと。しかし、貴女が目覚めるかどうかは結局は賭けのようなもの。その方自身が貴女に身体を差し出すことを選んだのでしょう?」
狂人のその言葉に、女性は少しだけ考えるように言葉を噤み、そして、「そうですね。」と口にして顔を上げた。
「不思議ね。この方は聖痕を刻まれていないのに、わたしが目覚めたら聖痕が身体に浮き出ているの。それに、この方の方が聖女の資質が高いのかしら。自分の身体よりずっと、聖痕に順応していて身体が楽だわ。今なら、苦手な浄化も癒やしも苦なくできそうよ。」
そう言いながら、女性は処刑場への侵入者の元へゆっくりと歩いて近づいていった。
侵入者はまだ成人もしていない年頃の少年だった。その少年は自分に近づいてくる女性を呆然とした様子で仰ぎ見て、「母さん?」と呟いた。
「ごめんなさいね。貴方のお母様はもういないわ。最後のお別れもさせてあげることができなくて、本当にごめんなさい。でもね。お母様は貴方のこと、それはそれは大切に思っていたわ。それこそ、その命に代えてでも貴方の幸せを願うほど。わたしに身体を差し出してでも、貴方の命を救うほど。」
そう語りながら女性はそっと少年の頬に手を添えた。
「わたしは結界の聖女フェリシア。聖女の主たる役割である浄化や癒やしに適性があまりなく、わざわざ結界のという前置きを付けられた、かつての大聖女候補の落ちこぼれよ。浄化や癒やしは得意でなくても、わたし、結界と祝福は得意なの。お母様は悪意や害意から貴方を護るように契約を交わし、それはお母様が亡くなったことで成立しているわ。だけど、それだけでは補えない部分があるわ。だから、お母様の身体を頂いた対価として、わたしは貴方に祝福を授けましょう。」
そう言って、女性はそっと少年の額に口づけを堕とした。
「わたしの祝福は、貴方を怪我や病気から護ってくれるわ。お母様の残した契約と、わたしの祝福。これで、貴方の護りは完璧ね。だから、強く生きてね。そして、幸せになって。お母様のためにも、お母様の分まで。どうか、貴方に多くの光が差しますように。」
女性が口にしたのは、この世界で最も多く信仰されている教会の聖職者が口にする口上だった。
女性の身体がぐらつき、狂人がとっさに彼女を支える。咳き込んだ女性の口から血が垂れ、困ったように女性が微笑む。
「聖痕の魔術を最大限に使うには、適性が高くても生身の身体では負担が大きいみたいね。貴方との約束を果たすには、魔人化した自分の身体に戻らなくてはいけないかしら。この身体を譲っていただいたのに、使い捨てなくてはいけないなんてなんだか申し訳ないわ。」
「もう君の身体なんだ、どのように使ったってかまわないだろ。」
「あら。口調が崩れているわよ。もう守護騎士ごっこはやめたの?」
「いいや。俺は永遠に君の、君だけの守護騎士さ。俺の聖女、フェリシア。完全に人間をやめた暁には、ちゃんと生も死も共にあることを許してくれるのだろう?」
「守護する相手を自分の死と共に道連れにするのなら、それは守護騎士とは言わないのではないの?だから貴方のそれはごっこなのよ。」
「ごっこで良いんだよ。だって俺たちは、お互いになり損ないの落ちこぼれなんだから。」
「そうね。わたし達はなり損ないのなれの果て、志とは裏腹に厄災をまき散らす元凶にしかなれなかった、ゴミ屑のようなもの。」
「これからは違うさ。もう君を、君の能力を、誰にも利用させたりしない。君を消費させたりしない。君を脅かす物は全て俺が排除して、君の望むように世界を作り直そう。君が望むなら手初めに、この国の教会を、そしてこの国の全てを滅ぼすことから始めようか?」
「望まないわ、そんなこと。あの頃とは全てが違うのよ。わたし達が恨むべき人たちだってもうとっくの昔にイーリシアお姉様達に成敗されているか、亡くなっているのだから、わたし達が矛先を向けていい相手なんて存在しないでしょ。それに、もし、あのような人々と同じような醜悪な考えを持つ人たちがいたとして、王侯貴族聖職者にも平民にも、いい人も悪い人もごちゃ混ぜにたくさんいるだろうから、その方達だけを滅ぼそうとしても、より分けて滅することなんてできないでしょ?何より、この国に住む子供達の居場所と安寧を奪う事なんてできないわ。どれだけわたしという存在が神の御許から離れた禍々しい物に堕ちてしまっていたとしても、わたしは聖女としての矜持を失いたくはないわ。」
誰もが立ち上がれないほどの禍々しく重苦しい気配が支配する中、なんとも和やかな雰囲気で会話を続ける二人の異質な存在。二人だけの世界を作り出していたその片割れが、不意のその視線を処刑の立会人達がいる方に向けた。その視線は、今代の神託の聖女に寄り添うような位置にいる特務部隊の男に向かっていた。視線が向けられた瞬間、男は今まで感じていた重圧が更に重さを増して、片膝だけでは耐えられなくなり、両膝を折り両手も地面に突いて頭も上げられない状態になり、かろうじて失わずに耐えていた意識をも手放しかけた。
「わたしは直接何かしようとも思わないけれど、この国は一見平穏で平和に見えて、力がある者の陰に泣くか弱き者達が多く存在しているのも事実。この国の理不尽に虐げられ嘆き絶望した者達のためにこの国に滅亡をもたらそうとする者が現れたのなら、わたしはその人に力を与えて傍観するかもしれないわ。だって、わたし、この時代のこの国の王侯貴族の人たちのことも好きになれそうにないんですもの。」
それは視線を向けられた男に向けられた言葉に思われたが、男にはそのようなことを言われる心当たりが思いつかず、ただただ焦りのような感情が溢れ冷や汗が流れた。
「ダグラス。自分の身体に戻るために、わたしは眠りにつくわ。わたしが目を覚ますまで、しっかりわたしのことを護ってね。」
そのような言葉を女性の身体を乗っ取った異質が発したとたん、その場の重圧が和らいで、特務部隊の男は顔を上げた。そこには、意識を失った様子の女性の身体を慈しむように抱える狂人の姿があって、そして、すぐ異質な二人の存在はその場から消え去った。
姿を消す直前、かつて消滅させたはずのテロリストであった狂人が特務部隊の男に視線を向け何かを告げたように見えた。特務部隊の男には狂人が自分に向けて「お前は死ね。」と言った様に聞こえた。それが一体どういう意味なのか、どうしてそのようなことを言われたのか理解できず、特務部隊の男の身体をただただ感じた恐怖が支配して、震えが止まらなかった。




