引継ぎ旅 (訪れ)
瑞々しく光る低木の畑が緑豊かに広がり、遠くに連なる山頂には雲がかかっている。
初めて訪れたのに、どこか懐かしさを感じさせる長閑な景色。
緩やかな坂の途中にあるこじんまりとした木造茶屋の店先で、赤い布を被せられた縁台に高齢の女性と若い女性が2人並んで座っている。
「お待たせしました。」
店先の暖簾をくぐり年配の男性が出てくると、その後に若い男性が顔を出し、右と左に別れて二人の女性が座る縁台の縁にお茶を乗せた丸盆を置いた。
「ありがとう。
こんなきれいな景色を見ながら、のんびりとお茶を嗜む。
なんて贅沢なのかしら。」
年配の男性が置いた丸盆から茶托を持ち上げた高齢の女性は、丸みを帯びた汲出型の湯飲みに手を添えて口元に近づけ、流し込んだ暖かなお茶の流れを咽喉に感じると、すぐにもう一度湯飲みを傾けた。
「面白い味だわ。」
「面白い、ですか?」
隣に立つ年配の男性は、女性の反応に穏やかな笑みを返した。
「ええ、お茶なんだけど、何と言うか。」
女性が表現に困り、湯飲みに添えていた手を頬にあて首を傾げると、男性は「そうですよね」と同意を示すように頷いた。
「お出汁、というのが近いと思いますよ。」
「お出汁、そう、それ。」
年配の男性の言葉は、喉元まで出かけていた女性の思考をすっきりとお茶のように潤し流してくれた。
「本当にそう。
何となく知ってるようなとは思ったのだけど。」
年配の男性と若い男性が楽し気に頷き合う様子に、女性は恥ずかし気に微笑んだ。
「ご覧のように、ここは山に囲まれた町なので、日中夜に温度差があるんです。
その温度差で発生した霧に守られた茶葉は、独特の旨味と芳香を生み出してるのですよ。」
年配の男性は広がる茶畑に愛おしむ目を向けて語る。
「だから、この町に広がる茶畑はこんなに緑が濃くて瑞々しいのね。
美しく、いつまでも見ていたい気持ちになるわ。」
「はい、私たちが町の景色を守り、お茶の技術を受け継いでいきますので、いつこちらにいらしても同じようにお客様をお迎えできますよ。」
若い男性もまた、目の前に広がる景色をいとおしんでいるのが伝わってくる。
「そうよね、こんなに素敵なんだもの。
受け継がずにはいられないものよね。」
お茶から立ち上る湯気はこの町の温かさそのもののよう、初めて来るのに郷愁を感じるわ
ー脳内物質の微細な変化、血圧異常なし
ほんの少し目を細めた高齢の女性は傾けようとした湯飲みに付けられた絵に気づき瞳を見開いた。
「もしかして、この湯飲みの絵付けは、ここから見える景色なのかしら?」
低木の間を吹き抜けてきた風が、上品にまとめられた白髪から流れるおくれ毛を僅かに揺らすと、女性は揺らぎながら立ち昇る湯気を追うように、隣に立つ年配の男性(60代くらいだろうか)を見上げた。
「お気づき頂けましたか。」
頷く年配の男性にとって、女性からの質問は期待通りのものだったらしい。
「お察しの通り、お茶を入れる茶器には、この町の美しい茶畑の景色を絵付けしているのですよ。」
誇らしげに語る年配の男性の言葉に相槌を打つ若い男性。
この人たちはこの町をとても想っているのね。
ー景観を見て一時的に上がった心拍数が下がりリラックス状態を維持
「とても奇麗。
凹凸のある葉のなめらかな手触り、白い湯飲みに絵付けられた濃い色彩。
あら、あちらも全く同じに見えるわね。
もしかしてプリントアウトしているのかしら?」
高齢の女性が隣に座る若い女性の持つ湯飲みと自分の湯飲みを見比べ首を傾げると、若い男性(20代後半くらいだろうか)が軽く首を振った。
「まるでプリントアウトのようですが、実際は、絵付け自体は個々に人の手で行っているのです。
同じに見えるのは、職人技をパターン化して、それを引き継いでいるからなんですよ。」
「まあ、そうなの?
パターン化して?
だめね、個々に手作業で絵付けられたものとプリントアウトの区別もつかないなんて。」
肩を落とした女性を見た若い男性は笑顔を引き締めた。
「いえ、区別つがつかないのは当然です。
継承者のいなくなった技術をデータ化してそれを機械に模倣させる、パターンとはその模倣された技術のことを言うのです。
データ化した技術は、プリンタでプリントアウトすることも可能で。」
「おいっ」
年配の男性に止められ、キョトンとした顔をしている女性に気がついた若い男性は、「す、すみません。」と頭をかいた。
「いえ、大丈夫です。
それでどうして区別が付かないのが当然なのかしら?」
「は、はい。
その機械から今度は人間が技術パターンを習得しているので、最初の絵付けはどうしても一様に同じになるんです。
実は我々にも最初の練習時に人が絵付けたものか、機械の技で絵付けしたものか、はたまた3Dプリントアウトなのか見分けられないんですよ。
すごくよく見なければ。」
若い男性は、頭をかいていた手を下ろすと、丈の長い格子柄の深緑のエプロンの少し膨らんだポケットに添えた。
「まあ、そうなのね?」
「慣れてくると、個人の独自の味のある絵になっていくのですが。
それまでは、制作者の名前を湯飲みの裏底に刻むなどして、見分けられるようにしているんです。」
若い男性は、腰に巻いたエプロンのポケットから湯飲みを出して差し出すと、底の方を女性に向けた。
「これは私が絵付けた湯飲みなので、私の名前を入れています。」
細い線を崩して書いてある名前は、高齢の女性には読めていないのだが、若い男性は引き締めた口元を緩ませている。
「この線を刻むのにも苦労したんですよ。」
「ふふふ。まあ、そうなのね。
この湯飲みにも刻んであるのかしら、それとも?」
女性が茶托から空になった湯飲みを持ち上げ覗き込むと、底に文字が刻んであった。
「本日お出ししているのは、二つとも私が絵を付けた湯飲みなんですよ。
最初の作品なのでマニュアル通りの絵付けで、ほとんど見分けられないくらい同じなのがお恥ずかしいのですが。
最近やっと技法を工夫できるようになってきたんです。」
今度は年配の男性が気恥ずかしそうにエプロンのポケットから出した湯飲みを女性の前に差し出した。
「まあ、素敵。
木の葉の凹凸に微細な影も。
茶畑の間に茶摘みをしている人がいることも分かるわ。
背にした山並みにかかる薄い雲も、青い空もとても素敵。
同じ景色とは思えないくらいだわ。」
「有難うございます。
まだ、まだです。
お茶を飲んでいただきながら、湯飲みからも茶源郷を感じていただけるようにしたいと思っているのです。」
「茶源郷、なんて奇麗な言葉なのかしら。
ここから一望する景色はほんとうに美しくて。」
長閑で美しくて、なんて幻想的な茶源郷なのかしら。
ーノルアドレナリンの上昇、リラックス状態の範囲内
青い空の下に連なる山の嶺を背景に広がる茶畑、あぜ道の向こうでは茶摘み定番の着物姿の女性たちが他の観光客にお茶を振る舞っている姿も見える。
高齢の女性の横に寄り添い座る若い女性も景色を一望しているが、その手に持つ湯飲みには、湯気の立たなくなったお茶がそのまま残っている。
お茶の香りや茶器の絵を気にする様子を見せながらも、口を付けない若い女性に気がついていた年配の男性は、遠慮がちに口を開いた。
「あの、お隣の女性はもしかして。」
一瞬の間を開けて、高齢の女性から返ってきたいたずらな笑みに年配の男性は「ああ、やはりそうでしたか」と納得の表情を見せた。
「お気づきになりまして?
ごめんなさいね、先にお伝え出来なくて。」
「いえ、気になさらないでください、そう言うルールですから。」
二人のやりとりに気がついた若い男性は「あっ」と、小さく短い息を吐いた。
「幸運にも抽選に当たりまして。
ふふっ、こちらは二十歳の私です。
いま、私を引き継ぐ旅をしてるんですよ。」




