第七章 曹華伝三十 烈火の初陣
川を渡った本軍の先鋒が敵陣に触れると、戦場は一気に血と土の匂いに包まれた。
金城国の兵どもは、こちらが正面から押し寄せるや否や、一際大声を張り上げた。
「女だぞ! 指揮官が女だ!」
「最初に捕らえた奴は好きにしていいんだろう?」
「誰が一番に抱くか決めようじゃねえか!」
下卑た笑いが前線に広がり、耳を打つ。
その言葉は、戦の緊張を裂き、侮辱の刃となって曹華の心を抉った。
――この私を、ただの“女”としか見ないのか。
――指揮を執る者として立つ私を、ただの“慰みもの”としか思わぬのか。
怒りが喉を焼いた。紫叡の嘶きが背に響き、曹華は槍を握りしめる。
次の瞬間、彼女は戦場の只中へと躍り込んだ。
「黙れッ!」
鋭い咆哮とともに槍が閃く。
敵兵の一人は言葉を終える間もなく胸を貫かれ、仰向けに倒れた。
血が槍の穂先を濡らす。
続けざまに槍を振り払うと、二人目の首筋を裂き、そのまま流れるように三人目へ突きを入れた。
彼女の周囲は一瞬にして鮮血の花が咲き乱れ、敵兵たちはたじろぐ。
「な、なんだこの女……!」
「ひ、引け!」
だが曹華は止まらなかった。敵兵が剣を抜いて間合いに飛び込むや、彼女は背から剣を抜き払い、至近距離でその腕を斬り飛ばす。血が砂に散った。
長槍で間合いを制し、剣で肉迫を断つ――その二つの刃を自在に操る姿は、もはや兵士ではなく戦神の化身のようだった。
その姿を、背後の味方兵たちは見ていた。
最初は驚き、次に憤りが胸を打つ。
「曹華副隊長を馬鹿にしやがって!」
「俺たちの副隊長だ、守れ!」
「殺せ! あんな奴ら、踏み潰してやれ!」
怒号が響き、兵たちが一斉に奮い立つ。
誰もが槍を構え、曹華の背を守るように敵陣へと押し寄せた。
彼らの眼差しには、女だからという侮りではなく、共に戦う将としての誇りを宿していた。
「俺たちの副隊長」――その言葉が、曹華の胸を熱くした。
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戦は激しさを増し、やがて敵の前衛は崩れ始めた。
金城兵の嘲りの声は消え、代わりに悲鳴と叫喚が夜気に混じる。
それでも槍を止めず、剣を下ろさず、曹華はただ前を見た。
心の奥に宿るのは、姉・白華、弟・興華への想い。
――二人に再び会うまでは、決して倒れるわけにはいかない。
やがて日が傾き、戦はひとまず落ち着きを見せた。
戦場に残ったのは、転がる屍と、煙の匂いと、乾いた風。
曹華は槍を大地に突き立て、深く息を吐いた。
紫叡が寄り添い、その肩越しに夕陽が燃えている。
味方兵たちが彼女を囲み、無言でうなずいた。
彼らの目には、もはや侮りはない。副隊長・曹華への信頼が宿っている。
――白玲。
ふと、麗月将軍の副官の姿が脳裏をよぎる。
あの女もまた、この戦場で私を見てどう思うだろうか。
私と同じ“女の武官”として、敵であり、好敵手として――。
曹華は息を整え、槍を引き抜いた。
血に濡れた刃を見つめ、心の奥で誓いを新たにする。
これが戦。これが殺し合い。
そして――これが私の道。
夏の陽は沈みかけ、戦場を赤く染めた。
その光の中で、曹華の眼差しはさらに鋭さを増していった。




