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三華繚乱  作者: 南優華
第六章
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第六章 曹華伝二十八 侵攻開始

軍議の翌日――砦にはいつもとは違う気配が漂っていた。

 まだ陽が昇りきらぬ時刻、城門の内外では兵たちが整然と列を組み、甲冑のきしむ音、槍や弓を確かめる音、馬の嘶きが絶え間なく響いている。鉄と革の匂い、乾いた土埃が空気に混じり合い、いよいよ始まる戦を告げていた。


 私は、甲冑の上から愛用の槍を背に、腰には剣を佩き、天鳳将軍の陣営へと歩を進めた。昨夜、軍議を終えたあとに天鳳将軍、趙将隊長、そして私で最終の打ち合わせが行われたのだ。

 「まずは麗月将軍に武功を立てさせる」――天鳳将軍の言葉は今も胸に残っている。


 私はどうしても気になり、将軍に問いかけた。

「将軍、それは……我々の功を譲るということでは?」

 問いかけは幼稚に思えたが、どうしても飲み込めなかった。


 天鳳将軍は眉をひそめることもなく、静かに答えた。

「警戒を解くためだ。奴にとって油断こそが命取りとなる」


 その声には迷いがなかった。趙将隊長もまた腕を組んだまま、深く頷いていた。

 私はさらに、背後を突かれる懸念を口にした。

「では……国境を接する東龍国や翠林国、彼らが動くことは?」


 天鳳将軍は断言した。

「ない。蒼龍国は黒龍宗の拠点だ。牙們にしろ影雷にしろ土虎にしろ、自らの不利益になるような敗北は選ばん。東龍国も同じだ。手を出すことはない」


 その確信に満ちた声音に、私は押し黙った。――どこまで先を見通しているのか。天鳳将軍の考えは私には計り知れなかった。



---


 やがて、出立の時が来た。

 城門が開かれ、整然と並んだ兵たちが一斉に鬨の声をあげた。槍の穂先が朝日を受けて光り、旗が風をはらんで翻る。

 私も紫叡に跨り、兵列の中に加わった。紫叡は誇らしげに首を振り、嘶きで周囲の馬に応えた。私が副隊長に任じられた折に天鳳将軍から下賜されたこの牝馬は、初陣を迎える今も一切の怯えを見せない。その頼もしさに、私の胸の鼓動も少し落ち着いた。


 行軍は西へと進む。蒼龍国内を通る道は広く整えられており、しばらくは警戒の必要も薄い。だが兵たちの顔には緊張と期待が入り混じっていた。

 「武功を立てるぞ!」と若い兵が声を張り上げ、それに仲間が笑って応える。

 足音と馬蹄の響きが地を揺らし、長大な軍列が延々と続く。


 そんな中、私はふと視線を感じた。振り返れば――麗月将軍の副官、白玲がこちらを見ていた。

 白玲は整然とした軍列の中で、凛と馬を操り、涼やかな目をこちらに向けていた。その目には敵意も侮りもない。ただ値踏みするような、鋭い観察の光。


 (やはり、気づいている……)

 昨日の軍議で言葉を交わしたときもそうだった。彼女の瞳は私をただの若輩とは見ていなかった。

 同年代の女将――それだけでも互いに意識せざるを得ない。だが白玲の眼差しはそれ以上のものを含んでいるように思えた。


 私は背筋を正し、敢えて視線を逸らさずにいた。

 やがて白玲はわずかに口元を緩め、すぐに正面へと視線を戻した。

 短い一瞬のやり取り。けれど、その瞬間に交わしたものが、剣戟を交えるよりも強く心を打った。

 (この戦で、彼女とは必ず相まみえることになるだろう)――そんな予感が胸の奥に刻まれた。



---


 軍勢は川沿いの道を進み、やがて金城国との境へ近づいていった。夏の陽射しは強く、甲冑の内は汗で濡れた。兵たちは息を切らしながらも隊列を崩さず、行軍を続ける。

 川面に映る光はきらめいていたが、その先に待つものが血と火であることを思うと、景色は冷たく映った。


 私は槍を握る手に力を込めた。

 父を奪った牙們。姉と弟を引き裂いた憎悪。失ったものは数え切れない。

 この戦で全てを晴らせるとは思わない。けれど、ここで後れを取ることだけは許されないのだ。


 紫叡が地を蹴る度、私の決意も強まっていった。



---


 陽が中天に差し掛かる頃、天鳳将軍の軍は国境沿いの最後の集結地に到着した。兵たちは陣を張り、槍を並べ、明日の決戦に備える。

 遠く、金城国の地は霞んで見えていた。そこに待ち受けるものが何であれ、もはや退くことはできない。

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