第六章 曹華伝二十七 軍議本番
斥候の報告を終えた大広間には、しばしの沈黙が落ちた。
油の炎がゆらめき、地図の線と砦の印を赤く照らし出す。
先に口を開いたのは天鳳将軍であった。
「――まずは私から案を示そう」
卓上の地図の一角に指を置く。そこは金城国の国境を成す川の浅瀬。
「金城国が砦を固めているのはこの北の谷筋と、南の関所道だ。正面から挑めば多大な損害を出すのは必定。ゆえに、川沿いに軍を進め、兵を二手に分ける」
彼は滑らかに言葉を続けた。
「本軍は川を渡って正面の砦を牽制し、別働隊は谷を抜けて背後を突く。砦が落ちれば国境線は突破できる」
その声には自信と冷徹な算段が響き、兵たちの胸に戦の姿が鮮明に浮かぶほどだった。
「…なるほど」
麗月将軍が細い指で地図をなぞり、冷ややかに笑んだ。
「だが、その策は斥候の報告に依拠しすぎてはおらぬか? 金城国が見せている砦の守りが陽動である可能性もある。別働隊を谷に入れれば、待ち伏せの餌食になりかねぬ」
麗月の声は柔らかかったが、含まれるのは刃のごとき指摘。
天鳳は微笑を絶やさず応じる。
「承知している。ゆえに別働隊には精鋭を用いる。奇襲に遭っても持ちこたえられる戦力だ。……もっとも、麗月将軍の軍がその役を担えば、盤石となろう」
一瞬、大広間の空気が張り詰める。
まるで互いに刃を交わす剣士のように、二人の将は探りを入れ合っていた。
麗月は短く息を吐き、視線を曹華に移した。
「……曹華副隊長とやら、そなたはどう思う」
思いがけない問いに曹華は背筋を伸ばした。
「はい。確かに谷は危険に満ちております。しかし、だからこそ突破できれば大きな戦果となりましょう。天鳳将軍の策は理にかなっていると存じます」
麗月の眼差しは、言葉以上のものを探るように曹華を射抜いていた。
そのとき、白玲が静かに口を開いた。
「曹華副隊長殿の言うとおりです。ただし、谷を抜くには迅速な判断力と指揮の冴えが求められる。我が軍の力をもってすれば可能でしょう」
言葉こそ礼を失わぬが、その瞳はまっすぐ曹華に向けられていた。
(……挑まれている)
曹華はそう直感し、胸の奥が熱くなる。
「――承知しました」
曹華は凛とした声で応じ、視線を逸らさなかった。
互いに笑みすら浮かべぬまま、沈黙の火花が散った。
やがて議論が一巡し、天鳳将軍が低く咳払いをして場を収めた。
「……よかろう。最終的な決断は私が下す」
その言葉に、広間の空気が一層引き締まる。蒼龍国五将軍の筆頭である天鳳。その命令は絶対であり、いかに麗月とて逆らえば軍律違反とみなされ、処断は免れぬ。誰もがその重みを知っていた。
天鳳は地図に手を置き、ゆっくりと宣言した。
「別働隊の任務は――麗月将軍の部隊に任せる」
ざわ、と兵たちの間に小さな動揺が走った。危険の大きい役を麗月に託すのは、重い決断だったからだ。
「ただし、指揮官の人選は麗月将軍に一任する。そなたの軍の強みを最も活かせる采配を望む」
一瞬、麗月の目が細くなったが、すぐに冷徹な笑みを浮かべて応じた。
「……承知いたしました。天鳳将軍のご命令とあらば」
その声音には従順さと同時に、静かな自尊心が滲んでいた。
天鳳はさらに続ける。
「先ほどの曹華、そして白玲の意見。あれは見事であった。若き副官が冷静に状況を見極め、恐れずに言葉を発する――その胆力は評価に値する。麗月将軍、そなたの副もまた頼もしい」
称賛はあくまで公平に。しかし、その裏には計算が潜んでいた。
――曹華と白玲。互いを意識させ、競わせることで軍の緊張感を高める狙い。
「よって、明日より我らは二手に分かれる。本軍は川を渡り正面を牽制、麗月将軍の軍は谷を抜けて砦を背後より突く。それぞれの役目を全うせよ」
天鳳将軍の声が響き渡ると、大広間の兵たちは一斉に頭を垂れた。
こうして軍議は結ばれた。
――麗月の冷徹、天鳳の策謀、曹華と白玲の火花。
すべてが絡み合い、翌日の進軍へと収束していく。




