第六章 曹華伝二十五 麗月将軍
砦の城門をくぐり、麗月将軍はゆるやかに馬上から砦を見渡した。
灰色の石壁は古びているが、目に見える補強が至る所に施されている。
見張りの兵は隙なく立ち、矢倉には新しい弓弦の匂いが漂っていた。
「ふむ……ここまで整っているとは。」
麗月は心中で呟いた。
道中の兵らに砦の様子を尋ねていたが、到着して目にしたのは予想以上の備え。
即席の手入れにしては、隅々まで行き届いている。
これは天鳳の指揮だけではない。――若い副官の働きか。
彼女の視線は、砦の内で忙しく動く一人の女戦士に吸い寄せられた。
まだ若いが、兵の列を動かし、矢倉の守りを確かめ、兵糧の配分までも指示している。
その姿に「ただの小娘ではない」と本能が告げていた。
麗月の脳裏に、春の宮廷の光景がよぎった。
泰延帝が突如としてぶち上げた外征計画――周辺四カ国への侵攻を一気に成し遂げるという、荒唐無稽な大事業。
彼女でさえ、内心「正気か」と思った。
その時、諫めて立ったのは天鳳将軍であった。
泰延帝を前にして退かぬ姿勢、切り込む論理、そして結果として外征計画を縮小させた。
あの時、麗月は確信した。
――やはり、この男こそ最も厄介な存在だ。
表面上は帝に従順を装っているが、あの胆力、あの視線。
何より帝があれほどの言を受け入れたこと自体、常軌を逸している。
(やはり天鳳こそ警戒すべき相手……)
もちろん、泰延帝と天鳳の真意が“演技”であるとは露ほども気づいていない。
再び視線を巡らせると、先ほどの女戦士が兵士に声をかけているのが目に入った。
腰には槍と剣を佩き、長い黒髪を後ろで束ねている。
どこか春の謁見の場で見覚えがあった。
(あの時、泰延帝が声を掛けた小娘か……)
麗月は記憶をたぐった。
春の宮廷、皇帝の前で列に並んでいた時、帝がわざわざ名を呼んだ女戦士。
「覚えがめでたいだけの存在」としか思っていなかったが、今、目の前で働く姿を見て、考えを改めざるを得なかった。
(……ただの小娘ではない。将来は五将軍の座を狙える器かもしれぬ)
無意識に唇の端がわずかに吊り上がる。
天鳳といい、この副官といい、どうにも蒼龍国の未来は容易く動かぬようだ。
砦の防御も、兵の規律も、想像以上だった。
天鳳の軍は侮れぬ。
だが麗月にとって、それは逆に血を滾らせる材料に過ぎない。
(明日以降が楽しみだ。この砦が舞台となるのか、それとも金城国の国境か……いずれにせよ、己の力を証明する好機)
その胸中に、一抹の不安は微塵もなかった。
まさか、この外征の裏に、自分を排除するための計画が潜んでいるなど――麗月は夢にも思わなかった。




