第六章 曹華伝二十ニ 金城国への道中
夏の朝の空気はすでに熱を孕み、出立から数日を経た行軍の列は、汗と鉄の匂いを伴って西へと伸びていた。
蒼龍国の旗印が風に翻り、槍や剣の金属音が、規律正しい行軍の歩調とともに響く。
進軍路はまだ自国領内であり、村や町の民衆が道端に立って兵の列を見送っていた。
だが、その視線に歓喜や誇りの色は少なく、むしろ不安と畏怖が混じっているのを曹華は敏感に感じ取っていた。
それは「外征」という大義がもたらす影のようなものだった。
そんな折、行軍の最中に、天鳳将軍の低い声が曹華を呼び止めた。
「……曹華副隊長、近くへ」
「はっ。将軍」
曹華は愛馬・紫叡の手綱を軽く引き寄せ、馬上から天鳳将軍の横に並んだ。周囲の兵たちは、それを将軍の常なる確認と受け取り、特に怪しむ様子はない。
天鳳はまず、淡々と兵糧や兵站線について問いかけてきた。
曹華は背筋を正し、一つひとつ具体的な数字を挙げて答えていく。補給線の距離、砦での備蓄量、金城国国境付近での中継地候補――それは彼女が副隊長として徹夜で練った準備の内容そのものだった。
「……ふむ。兵站に抜かりはないようだ」
天鳳は一度だけ満足げに頷いた。
しかし、その眼差しはさらに鋭くなり、本題を切り出した。
「曹華。お前に問う。麗月将軍のことをどう見る」
不意に向けられた問いに、曹華は息を呑む。
それは戦場の準備以上に答えを誤ればならぬ問題だと直感した。
「麗月将軍は……華麗にして冷酷な戦術を用いられる方です。兵の配置、退路の断ち方、全てが計算尽くしで、敵を徹底的に追い詰める。兵を統べる才にも長け、華やかな采配の裏には容赦のない冷酷さが潜んでいると……存じます」
「その通りだ」
天鳳は、わずかに唇を吊り上げ、しかし声音は低く重い。
「腐っても、五将軍の座にまで登り詰めた女だ。その武は、いまのお前がどれほど成長したとて、一筋縄ではいかん」
曹華の胸に、雷鳴のようにその言葉が響いた。
副隊長として認められ、外征に随行を許されても、なお「届かぬ存在」として立ちはだかる者がいる――それが麗月。
天鳳はさらに言葉を重ねる。
「覚えておけ、曹華。麗月の真の恐ろしさは、その剣や戦術にあるのではない。勝利という名の快楽だ。勝つためには兵を駒とすることを厭わん。お前が守るべきは兵の命であり、大義だ。勝利に呑まれるな」
その一言には、ただの警告以上に、天鳳自身の苦い経験が滲んでいるように曹華には聞こえた。
「……心得ております」
曹華は紫叡の背で拳を握りしめ、声を震わせぬよう答えた。
その眼差しは、燃えるような決意と、抑えがたい緊張に彩られていた。
天鳳はそれ以上何も言わず、前方の軍列を見据えたまま、無言のまま馬を進めていく。
曹華はその背を追いながら、己の胸に生じた恐れと誓いを噛みしめていた。
(麗月将軍……。必ず、乗り越えてみせる)
彼女の指先が自然と槍の柄に触れた。
それは己を鼓舞するような、あるいはこれから迫る試練を予感するかのような仕草だった。




