第六章 曹華伝二十一 いざ金城国へ
出立の日の朝。
軍都の空は夏の陽炎を揺らし、出征の気配に満ちていた。各地の部隊が荷をまとめ、武具を整え、兵士たちのかけ声が城門まで響いてくる。
曹華は、まだ涼しさの残る早朝に起き上がり、身支度を整えた。
革鎧を締め、護身用の剣を腰に差し、背には愛用の槍を負う。旅装としての荷も、保存食や薬草、軽装の予備衣など、必要最小限にまとめていた。準備に抜かりはなかった。副隊長として、天鳳将軍の傍らに立つ者に相応しい姿でなければならない。
曹華は厩舎へと向かう。
そこに待っていたのは、自分にとってただの馬ではない、忠実なる戦友だった。
紫叡――天鳳将軍から副隊長任命の折に下賜された牝馬。
その名のとおり、薄紫にかすかに光る鬣と瞳を持ち、気高い気性を備えていた。曹華はその日から一日も欠かさず世話を続け、戦友としての信頼を築いてきた。
「紫叡、いよいよ出陣だね」
曹華がそう囁くと、紫叡は大きく鼻を鳴らし、蹄で地を打った。まるで返事をするかのように。曹華は思わず口元に笑みを浮かべ、その首筋を撫でた。
今日、紫叡は初陣を迎える。曹華もまた、副隊長として本格的に大軍を率いる初めての遠征に臨む。人馬一体となって戦場を駆け抜ける未来を思い描き、曹華の胸は昂ぶっていた。
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やがて城門前の広場に兵が集まり、軍旗が風にはためき始める。
そこに、重厚な馬蹄の響きと共に現れたのは――蒼龍国五将軍筆頭、天鳳将軍だった。
将軍の威容は他の武将とは一線を画す。漆黒に鍛えられた甲冑に、鋭い眼差し。馬上に在るだけで周囲の空気が一変し、兵士たちのざわめきが静まる。
曹華は紫叡に跨ったまま、姿勢を正して将軍を迎えた。
「――副隊長」
天鳳将軍の視線が曹華を射抜いた。わずかな言葉に、厳しさと信頼が同居しているのを感じた。
「はっ、将軍」
曹華は深く頷き、応えた。
将軍は軽く手綱を引き、部隊全体を見渡すと、
「金城国への遠征は、決して容易なものではない。我が軍の行動一つが、蒼龍国の未来を左右する。…各々、己が務めを果たせ」
と、短くも重みある言葉を放った。
兵たちは一斉に鬨の声を上げ、その士気が空に響いた。
曹華は、将軍の背を見つめながら心の奥で誓った。
――この人の下でなら、どれほど苛烈な戦でも生き抜いてみせる。
そしていつか、己の槍をもって証明するのだ、と。
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出陣の号令が鳴り響く。
兵の列がゆっくりと動き出し、金城国へ向けた行軍が始まった。
紫叡は力強く蹄を鳴らし、曹華を背に進み始める。
横には天鳳将軍、その後方には趙将隊長、さらに選抜された親衛隊の兵たちが続く。
麗月将軍は別動隊を率い、国境の砦で落ち合う手筈だ。
蒼龍国の威信と、黒龍宗に潜む闇を払うための戦いが、いま始まろうとしていた。




