第五章 白華・興華伝二十八 雪嶺大将との対面
取り調べ室の扉が、重々しい音を立てて開いた。石造りの壁に灯された松明がゆらめき、入ってきた大柄の男の影を濃く映し出す。その背に雪の嵐を背負ったかのような威圧感。
雪嶺大将――白陵国北辺を守護する武人にして、氷陵帝より絶大な信を得る将軍の姿があった。
その後ろには、彗天中将と氷雨中将が直立不動で控える。二人の緊張は、まるで刃を張り詰めた弓の弦のように硬い。
白華と興華は机を挟んで対座させられていた。背筋を伸ばし、冷ややかな視線を返す白華と、落ち着きを装いながらも喉がわずかに上下する興華。二人は沈黙のまま、入ってきた巨躯の武人を見据えた。
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「……ほぅ、そなたらが噂の者どもか」
雪嶺大将は、まるで戦場で敵陣を眺めるかのように白華と興華を見回した。
身に纏う軍装は雪原のように白と銀を基調とし、肩章には凍てつく峰を象った紋が刻まれている。その姿はただの軍人ではなく、北の守護そのものを体現していた。
彼は戦場において「氷壁の将」と呼ばれていた。敵が攻め寄せるたび、雪嶺の軍勢は凍てついた壁のように崩れず、逆に一度動けば雪崩のように押し流す。その戦歴は北境の民にとって信頼と誇りであり、敵にとっては恐怖の象徴であった。
しかしその豪胆さの奥には、計り知れぬ老獪さが潜んでいる。氷陵帝の信任厚き所以は、ただの豪勇にとどまらず、国と民を見据えた深慮遠謀にあった。
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雪嶺は腰を下ろすと、机に両肘をつき、静かに口を開いた。
「儂が白陵国北辺の守、大将の雪嶺じゃ。まずは聞こう。名を名乗れ」
白華はわずかに顎を上げ、澄んだ声で答える。
「……白華」
続けて興華も声を震わせぬよう努めながら、短く名を告げた。
「……興華」
その声音、眼差し、呼吸の深さ――雪嶺の目は、戦場で敵兵の嘘や恐怖を嗅ぎ分ける鋭さを帯びて二人を観察していた。
(……若い。だが、目の奥に宿るものは、ただの若造のものではないな。決意か……いや、誓いと呼ぶべきか)
彼は一瞬、内心で唸る。二人の瞳に潜む光は、数多の戦士を見送ってきた雪嶺にすら、容易に測れぬものだった。
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「ふん、名だけでは分からんわな」
雪嶺は鼻を鳴らし、わざと声を荒げた。
「彗天から聞いておるぞ。そなたら、自らを柏林国の王族と名乗ったとか。……笑わせおる」
彗天がすかさず前へ出て、白華を睨みつける。
「大将! こやつらは虚言を弄して我らを惑わせようとしています!」
だが雪嶺は手で制した。
「静まれ、彗天。……さて、娘子よ。なぜそんな戯言を吐いた?」
白華は息を整え、しばし雪嶺の瞳を見返す。
その眼差しには畏れはなく、むしろ冷たい炎が宿っていた。
「虚言ではありません。私たちは、滅亡した柏林国の……生き残りです」
興華は横で思わず身を震わせた。姉の言葉を否定せず、ただ握りしめた拳に爪を食い込ませて耐えた。
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氷雨中将は、その一部始終を鋭い眼差しで観察していた。
(……この娘、嘘を言っているようには見えない。弟の反応も、計算の産物ではない。本物の動揺……)
彼女は一歩前へ進み、静かに進言する。
「大将。軽々しく虚言と断ずるには……少々、根拠が薄いかと存じます」
雪嶺は氷雨を一瞥すると、豪快に笑った。
「はっはっは! なるほど、氷雨。おぬしの目にはそう映るか。……よし、面白い。では徹底的に確かめさせてもらおうか!」
その笑いは、嵐の中で雷鳴が轟くかのようだった。
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(もし本当に柏林王族の血筋ならば……黒龍宗が動かぬはずがない。凍昊め、何を企んでおる……)
雪嶺の眉間にわずかな皺が寄った。表には豪快さを装っているが、その胸中には黒龍宗への深い警戒が絶えず渦巻いていた。
そして氷陵帝――皇帝の近頃の不安定さも脳裏をよぎる。
(陛下に報告すれば事態は一気に動く。だが、今はまだ早い。まずは儂の目で確かめねばなるまい)
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雪嶺は椅子から立ち上がり、机に拳を叩きつけた。石の机が鈍い音を響かせ、部屋の空気が震える。
「よいか! 儂は嘘も虚勢も一目で見抜くぞ! ……そなたらが真実を語るならば、生かして国へ伝える価値もある。だが虚言ならば――その場で首を刎ねるまでよ!」
白華は眉ひとつ動かさず、その威圧を受け止めた。
興華は姉の横顔を見て、己もまた覚悟を固める。
雪嶺大将と二人の姉弟――氷雪を孕む北国の空気の中で、互いの視線が火花を散らしていた。




