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三華繚乱  作者: 南優華
第五章
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第五章 白華・興華伝二十二 白華の賭け

 白陵国の兵舎、その一室。重厚に閉ざされた扉の前には、完全武装を施した歩哨が二人、石像の如く立ち塞がっている。逃走も欺瞞も一切許されぬ――その厳格な配置こそが、姉弟に対する無言の宣告であった。

 狭く簡素な客間で、白華と興華は並んで腰を下ろしていた。夜の静寂の中で幾度も反芻した自問自答を、白華は今一度、心の奥底で噛み締める。

(秘匿し続ければ、疑念は毒となって広がる。疑われ続ければ、いずれは暗い地下牢に繋がれる。ならば――)

 答えは、うに決していた。

(我らが「柏林王族の遺児」であると口にしたところで、彼らは即座には首を縦に振らぬ。ならば、先に真実を盤面に置く。疑うならば疑うがよい。その上で、我らを『利器』として用いるか、あるいは『憂患』として断つかを選ばせるまで)

 それは、命を天秤にかけた狂気にも等しい博打であった。

 だが同時に、白華自身が「逃亡者」としての過去を捨て、「当事者」として立ち上がる決意の証でもあった。ふっと、彼女の口元に微かな、それでいて凛とした笑みが浮かぶ。それは自嘲ではない。死地を悟り、覚悟を血肉とした者だけが宿す、静かなる宣戦布告であった。

「……何が可笑しい」

 彗天中将の声が、低く鋭く落とされる。

「この窮地において不敵な笑みを浮かべるとは。分を弁えぬ余裕か、あるいは底の知れた虚勢か……いずれだ?」

 氷雨中将もまた、わずかに目を細めて白華の挙動を注視した。

 白華は背筋を氷の柱の如く伸ばし、二人の重圧を真正面から受け止める。視線の逃避も、伏せ目もない。

「私たちは――」

 一拍の静寂。白華は全霊を込めて言い切った。

「――滅亡した柏林国の、正統なる王族の生き残りにございます」

 その一言は、密閉された広間の空気を一瞬で切り裂く稲妻となった。

「馬鹿な……!」

 彗天は露骨に顔を歪め、不快感を露わにした。

「王族の血脈が生きていたなどと……。二十六年、四半世紀も前の昔時せきじの話だ! 今さら、何を戯言を!」

 その声には烈しい苛立ちと怒号が混じる。それは理性による否定であり、同時に、信じたくないという本能的な拒絶であった。だが、氷雨は口を挟まぬ。ただ、白華の瞳の深淵を見つめていた。

 虚偽を編む者特有の微かな揺らぎはない。声の調律も、肺腑の呼吸も、視線の定点も――すべては覚悟を完遂せんとする者のそれであった。そして、氷雨は視線を隣へと転じる。

 興華は、姉の放った言葉に全身を打たれたように震えていた。指先は微かに戦慄き、抑制していた呼吸が目に見えて乱れる。顔色は見る間に蒼白となり、内面の動揺は隠しようもない。

(姉さん……。ついに、言霊ことだまにしてしまった……)

 止められなかった。いや、止める権利など自分にはないと、心のどこかで理解していた。

「王族の生き残り」――。

 それは血脈に刻まれた過酷な宿命を、今この瞬間、おおやけの場で引き受けるという決死の宣言に他ならない。

 もはや、退路は完全に断たれた。彗天の峻烈な視線が、容赦なく少年を射抜く。興華は思わず肩を竦めそうになり、奥歯を噛み締めてそれに耐えた。その震えは、氷雨の鋭敏な観察眼からは逃れられなかった。

(……芝居ではない)

 氷雨は内心で確信を抱いた。

 姉は不退転の覚悟を宿し、弟は不器用なほどに実直な恐怖と動揺を晒している。この対照的な反応は、作り物では成し得ぬ「真実」の輝きを放っていた。少なくとも、周到に嘘を練り上げた詐欺師の類ではない。

「我らを愚弄する気か?」

 彗天はなおも食い下がるように吼えた。

「柏林の神聖なる血筋が、斯様な泥に塗れて生き延びていたなど、到底信じられるものではない!」

「……彗天殿」

 氷雨が、静謐な声で激昂を制した。

「焦るなかれ。少なくとも、この二人が放つ気配は尋常な流民のものではない。王族か否かの真偽は措くとしても、『強き者』であることは疑いようのない事実です」

 その一言は、彗天の思考を一時的に停止させた。

(確かに――この姉弟は、ただの逃亡者と断ずるには余りに底が知れぬ。ゆえに危うく、ゆえにぎょすることが叶えば絶大な価値を持つ)

 彗天は沈黙し、射殺さんばかりの眼光で白華と興華を睨み据えた。

(制御不能な爆辞ばくじを吐く禍根か。それとも……白陵にとっての新たな刃となるか)

 白華は二人の視線を正面から受け止め続けながら、胸中で静かに刻を数える。

(ここからが、本当の正念場。私の博打が天命を射抜くかどうかは――今、この一瞬の決断に懸かっている)

 興華は、姉の横顔を見つめていた。その凛とした背筋の強さに、言葉にならぬ憧憬しょうけいと、抗いようのない不安を同時に抱きながら。

 逃げないと決めた姉の姿が、少年の胸の深奥に、消えることのない火を灯していた。

 こうして――白華の打った大博打は、白陵国という国家の歯車を、静かに、しかし確実に巻き込み始めたのであった。

読んでいただきありがとうございます。

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