第五章 白華・興華伝二十二 白華の賭け
白陵国の兵舎の一室。
重く閉ざされた扉の前には、武装した兵が二人、歩哨として立っている。
その存在は、白華と興華にとって「逃げ道のない監視」の象徴であった。
狭く簡素な客間に並んで座る二人は、夜のうちに交わした言葉を反芻していた。
白華は、考えに考え抜いた末に、ついに一つの結論に至っていた。
(どうせ「柏林王族の生き残り」だと言ったところで、信じはしないだろう。ならば、いっそ言ってしまえばいい。隠し続けて疑われて、拘束されるのなら……堂々と真実を放ってやる。それからでも遅くはない)
今の白華にとって、それは一種の賭けであり、同時に心を決めた証でもあった。
ふっ、と口元に浮かんだ小さな笑みは、自らを奮い立たせるものだった。
だが――それを見た彗天中将と氷雨中将には、まったく違う印象を与えた。
「……何が可笑しい?」
彗天が眉をひそめ、低く鋭い声で問う。
「この状況で笑みとは、余裕か虚勢か……どちらだ?」
氷雨もまた視線を細めた。
白華は、二人の威圧を真正面から受け止めながら、静かに答えた。
「私たちは――滅亡した柏林国の王族の生き残りです」
その一言は、閉ざされた空気を揺るがす稲妻のようだった。
彗天は露骨に顔を顰め、不快感を隠そうともしなかった。
「馬鹿な……王族が生きていたなどと……今さら何をたわけたことを!」
声には苛立ちと怒りが滲んでいた。
氷雨は言葉を返さず、白華をじっと観察していた。
虚偽を弄する者特有の視線の揺らぎや声の震えは見られない。
むしろ堂々とした態度――そして横に座る弟の反応が、氷雨の直感を裏づけた。
興華は、姉の口から放たれた「王族の生き残り」という言葉に、全身を打たれたように震えていた。
指先がわずかに震え、胸の奥からこみ上げる息がうまく整えられない。
顔色も、見る者に動揺が伝わるほどに蒼白に染まった。
(姉さん……言ってしまった……!)
心のどこかで「言うな」と願っていた。
だが、白華の決意を止められるはずもないと知っていた自分がいる。
その一瞬の覚悟が、興華の中にずしりと重くのしかかる。
「王族の生き残り」――それは血に刻まれた宿命を引き受けること。
逃げ場を失った事実を、今ここで突きつけられたのだ。
彗天の怒りに満ちた視線が、容赦なく突き刺さる。
怒声を浴びて思わず肩をすくめそうになるが、必死に耐えた。
だがその震えは、氷雨の鋭い目には隠しようもなかった。
氷雨は、心の中で静かに確信する。
(この姉弟……少なくとも「嘘を言っている」とは思えない。姉は強靭な覚悟を宿し、弟は不器用なまでに本物の動揺を見せている……これは演技ではない)
彗天はなおも食い下がろうとする。
「我らを愚弄する気か? 柏林の血筋が二十六年も生き延びていたなど、信じられるものか!」
だが氷雨は、静かな声で制した。
「彗天殿。焦るな。少なくとも、この二人が放つ気配……ただ者ではない。王族の血かはさておき、強者であることは確か。ならば、利用価値があるかもしれぬ」
彗天は一瞬黙り込み、白華と興華を睨みつけながら思案した。
たしかに、この姉弟から漂う気迫は、ただの逃亡者や偽者のそれではない。
しかし――だからこそ、なおさら制御できぬ存在となる可能性がある。
白華は、彗天と氷雨の視線を正面から受け止めながら、胸の内に刻んだ。
(ここからが本当の勝負……私の賭けが、白陵国に通じるかどうかは、この一瞬に懸かっている)
興華は、動揺の中で姉の横顔を見つめていた。
その背筋の強さに、言葉にならぬ憧れと、どうしようもない不安を同時に抱きながら。
こうして――白華の賭けは、白陵国の運命をも巻き込み始めたのだった。




