第五章伍 白陵国宮廷と暗影
白陵京――。
雪に閉ざされた帝峰大陸の北方、その中心に位置する都は、白亜の城壁と氷を思わせる尖塔で構成された壮麗な城郭都市であった。冬の冷気が石畳を這い、吐息は瞬時に白く凍る。だが、都の中心にそびえる白陵宮は、その寒気すら威容の一部に変えていた。
広大な宮城の大広間。柱は氷河を削ったかのように白く、床は雪を敷き詰めたかのごとき大理石である。ここに、白陵国の権力の粋が集まる。
玉座に座すは、第二十六代白帝・氷陵帝。氷雪の精を思わせる冷徹な眼差しを宿し、その衣は白絹に銀糸の龍紋を纏っていた。その隣には、次代を担う皇太子、華稜。まだ十六にして聡明さを漂わせ、姉である天華王女と雪蓮王女の姿も見える。三姉弟の存在は、宮廷において氷柱のように凛として揺るがぬ権威を象徴していた。
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氷陵帝の前に進み出るのは、宰相の清峰。痩身の体を長衣に包み、眼差しは鋭く鷹のよう。政務を掌握する彼の声は静謐だが、誰もが逆らうことを恐れる冷ややかさを孕んでいた。
その隣に並ぶのは、大司徒の霜岳。白髭を長く垂らした老人で、法と礼を司る役目を背負う。氷柱のように厳格な声音で奏上する。
「陛下。近年、北境の氷原における交易路に異変がございます。補給路の一部が襲撃され、兵站の安定に懸念が生じております」
低く通る声に、居並ぶ重臣たちは身を固くする。
「……ふむ。雪嶺大将を呼べ」
氷陵帝の一言に応じ、堂々とした白髭の武人が進み出た。雪嶺大将である。
「陛下、心配はご無用。我が三万の兵、雪嶺軍があれば、外敵など寄せ付けませぬ」
豪放な声が広間に響いた。兵たちから絶大な支持を得る将だが、その自信は時に宮廷の均衡を揺るがす。
彼の背後には三人の中将が並ぶ。
彗天中将:鋭い眼光の若き猛将。雪嶺大将の忠実なる右腕として知られる。
氷雨中将:黒髪を結い上げた女将。冷静沈着で補給と兵站に長け、参謀役として将兵からも尊敬を集める。
凍昊中将:無口で表情に乏しい武人。だがその瞳の奥には、黒龍宗と繋がる暗い野望が潜んでいた。
氷陵帝は雪嶺大将を睨み据える。
「口先だけでは足りぬ。証を立てよ。白陵国の軍が、未だ大陸随一であることを」
雪嶺大将は深々と頭を垂れた。
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同じ頃、宮廷の後宮――白雪の庭を望む回廊を、ひとりの女が静かに歩んでいた。宮廷女官長・麗翠。豊かな黒髪に深緑の衣を纏い、その微笑は柔らかいが、眼差しは底知れぬ冷たさを宿す。
回廊の陰で、彼女を待つ影があった。凍昊中将である。
「……女官長。氷陵帝の猜疑は強まっております。雪嶺大将の威光を削ぐ機は近い」
麗翠は扇を広げ、朱の唇を僅かに歪めた。
「良いことですわ。あの豪放な大将が退けば、白陵国の軍は頭を失い、黒龍宗が望む秩序へと近づく……」
凍昊は短く頷き、氷のように冷たい目で闇へと消えた。
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一方、宮廷奥の庭園。雪明かりに照らされて並ぶのは、白陵の皇族三姉弟。
長姉・天華は、氷雪を象ったような美貌の持ち主で、知恵と矜持を併せ持つ。
次姉・雪蓮は、白き衣を纏い、穏やかな笑みを浮かべながらも、その奥に凛とした気配を漂わせる。
末弟・華稜はまだ若く、だがその眼には皇族の器としての自負と野心が光っていた。
「……雪嶺大将を巡る噂が絶えません」雪蓮が囁く。
「父上の御心は氷より冷たく、疑いを解かぬ限り、大将の立場は危ういでしょう」
天華は静かに頷き、華稜は唇を噛んだ。
「僕が皇太子として、いつまでも父上の影に隠れるわけにはいかない。大将の忠義を守るのもまた、我らの責務だ」
姉たちは弟を見つめ、言葉を交わさずとも理解し合った。
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雪に閉ざされた白陵宮は、夜ともなればさらに厳かさを増す。
氷陵帝の命は冷たく、清峰宰相の策は鋭く、霜岳大司徒の法は揺るぎなく、大将と中将らの思惑は交錯する。
そして、その闇の底には黒龍宗の影がじわじわと広がっていた。
白き国の宮廷に、暗き龍の影が忍び寄り、やがて帝峰大陸全土を揺るがす嵐となる――。




