第五章弐 教主・玄冥導師
蒼龍国の北部、旧柏林国の地にある天脊山の麓。黒龍宗の本拠地は、大陸の生命線たる龍脈 の根源に近い、巨大な仙道結界に守られていた。
その中心部で、最高指導者である玄冥道師 は、静かに瞑想に耽っていた。数百年の時を生きる彼の心は、悠久の時の流れと、二十六年前の失敗という一点の曇りに支配されていた。
「悲願は、既のところで頓挫した……」
二十六年前、黒龍宗は蒼龍国を動かし、柏林国に攻め入った。彼らの計算では、混乱の中で王族の**「器」を確保し、組織の悲願である大地の気(龍脈)の完全支配**を達成できるはずだった。
だが、現実は違った。当時の王と王妃は、捕らえられる前に自害。そして、最も重要な鍵である王子は、王宮陥落の寸前に逃亡済みだった。
玄冥道師は、彼らの手先である当時の皇太子とその筆頭護衛官――後の牙們――を使って、逃げる王子を追い詰めた。牙們は国境付近で王子に追いついたものの、彼の決死の反撃に遭い、王子を再び逃亡させてしまった。
その後、王子は大陸のどこかへ身を潜め、完全に行方知れずとなった。龍脈の鍵を失った黒龍宗は、手に入れた拠点と蒼龍国という強大な軍事力を持ちながらも、「世界の支配」という最後の工程を二十六年間、留め置かれていた。玄冥道師にとって、この空白の時は、全てが計画通りに進むはずだった未来を奪われた、許しがたい停滞だった。
そして、二十年の長き沈黙の後、ついにその時が来た。
その数年前、黒龍宗の情報網は、行方知れずだった王子が、翠林国の山間の小さな村に、家族と共に武官として潜伏しているという、決定的な情報を掴んだ。
玄冥道師は逸る内心を抑えつつ、蒼龍国の部隊を派遣する算段をつけた。最優先事項は、王子の確保、すなわち龍脈の「器」の確保である。彼は、王子に対する個人的な憎悪を利用するため、黒龍宗の影響下にある牙們将軍を派遣する段取りをつけた。王子を確保する手筈で、最悪、その血を引く子どもでも確保する計画だった。
だが、ここでも予想外のことが起こった。
派遣された牙們の王子に対する憎悪が想像以上に凄まじく、彼は確保よりも復讐と私怨に走った。さらに、最も恐れていた事態、蒼龍国の五将軍筆頭である天鳳将軍が襲撃に参加したのだ。
その結果、牙們は天鳳に先を越され、王子を確保することに失敗し、王子は天鳳に討たれてしまう。さらに、追い詰めた子どもたちも、激流の川に飛び込んで行方知れずとなった。
二度目の計画も、牙們の制御不能な憎悪と、天鳳の冷徹な介入という二重の誤算により、完全に失敗に終わった。黒龍宗の悲願は、再び目前で達成されなかった。
玄冥道師は、この二重の失敗と、王族の血筋を追い続けることになった歯がゆい思いを、奥歯を噛みしめるような静かな怒りとして受け止めた。王子の血筋が完全に途絶えた可能性は低い。今度こそ、天鳳将軍の動きと、生き残った子どもの行方を、慎重に見極める必要があった。




