第四章 曹華伝十八 外征計画
泰延帝が天鳳将軍の私室を訪れるという衝撃の出来事の翌日。
蒼龍国の慣例行事である春の大規模軍事演習が、帝都南方の練兵場で幕を開けた。
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この演習には、私たち親衛隊ではなく、各将軍が率いる直属の部隊が参加していた。私と趙将隊長は、天鳳将軍の側近として演習場の外縁で待機し、将軍の背を守る役目を担っていた。
午前中に行われたのは、泰延帝による部隊巡閲である。
五将軍がそれぞれの軍列の前に立ち、整然と並んだ兵を披露した。兵士たちの武具は磨き上げられ、隊列の足並みは揃っている。見た目だけなら、誰が見ても「一致団結した強国・蒼龍国」の姿だった。
しかし内実は違う。四将軍の部隊は黒龍宗の影響下にあり、忠誠は皇帝ではなく己が利権に向いている。一方で、天鳳将軍の軍だけは皇帝と蒼龍国への忠義を揺るぎなく持っていた。その隔たりは、表向きの整列では覆い隠せぬ深い亀裂となっていた。
とはいえ、この日だけは各将軍も体面を取り繕っていた。自らの軍の弱体を晒せば、皇帝の一存による予算削減に直結するからである。
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午後からは、五将軍による本格的な演習が始まった。
各軍はそれぞれの特色を示し、皇帝と将兵にその力を誇示した。
牙們将軍の軍:猪突猛進、狂気をはらんだ突撃。大地を震わせるような咆哮と突進は、見る者に畏怖を与えた。
土虎将軍の軍:盾と槍を組み合わせた堅固な布陣。物量で押し潰す戦術は、まさに「動く要塞」である。
影雷将軍の軍:霧の中を縫うような機動力。稲妻のごとく現れては消える部隊は、掴みどころがなかった。
麗月将軍の軍:華麗で冷酷な布陣。罠と計略を駆使し、敵を弄ぶように追い詰める。
そして――天鳳将軍の部隊。
彼らは一糸乱れぬ統制の下、最小の動きで最大の成果を挙げる「合理の軍」であった。無駄も虚飾もなく、ただ戦うために磨かれた鋭さがそこにあった。
私は、他の四軍の誇示的な演習と比べ、天鳳将軍の軍の無駄のなさに改めて息を呑んだ。
だが、この演習の真の目的は、単なる実力の披露ではなかった。
それは、泰延帝と天鳳将軍が進める「外征計画」――そして「腐敗した将軍を討つ布石」だったのだ。
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演習が終わり、練兵場には兵たちの荒い息と熱気が漂っていた。
その壇上に、泰延帝が立ち上がる。
白金の衣を纏ったその姿は、陽光を受けて輝き、兵たちの視線を一心に集めた。
「諸君! 蒼龍国の威信は、武によって示される!」
その声が大地を震わせる。兵たちが一斉に姿勢を正す中、帝は続けた。
「今年、我らは周辺すべてに外征する!
瀚海国、金城国、東龍国、翠林国へ!」
――瞬間、練兵場が凍り付いた。
四方すべてへの外征。それは、兵站も国力も無視した暴挙であった。
常識を持つ者ならば、誰もが「無謀」と断じる計画だった。
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私は驚愕して声を失った。だが、さらに驚いたのは天鳳将軍の反応だった。
彼は、一歩退き、驚きに眉をひそめる。
「陛下、いかがなされますか」とでも言わんばかりの表情――
それは、初めてこの計画を耳にした将軍の困惑を、完璧に演じ切っていた。
その冷徹な顔に浮かぶ微かな困惑と計算――私は背筋が震えた。
この演技一つで、彼は四将軍の疑念を払拭したのだ。
実際には、彼はこの計画を事前に知り、むしろ主導している立場である。
だが、牙們や麗月をはじめとする四将軍たちは、天鳳が計画を知らなかったと信じ込み、安堵していた。
「ふん……さすがの天鳳も、陛下の暴走には困惑しているようだな」
そんな囁きが将軍たちの間で交わされるのを、私は耳にした。
その瞬間、私は悟った。
――天鳳将軍の演技力こそ、この外征計画を成功させる最大の武器である、と。
彼の知略と緻密な演出がなければ、計画は四将軍の反発によって潰えていたかもしれない。
だが今や、将軍たちは皇帝の暴走のもとで結束せざるを得ず、自ら滅びの道へ歩み出そうとしている。
私は、背後に立つ天鳳将軍を振り返った。
その背は揺るぎなく、冷徹で、そして恐ろしくも頼もしかった。
――外征計画の幕が、ついに開いたのだ。




