第四章 白華・興華伝十六 憎悪の妹・姉(二)
思念体の曹華が放った一撃は、興華の仙杖を無慈悲に弾き飛ばし、白華の喉を狙って一直線に突き出された。
「白華姉さん――ッ!」
興華の絶叫が湖畔の静寂を切り裂く。白華は本能的に身を捻り、紙一重で死線を躱した。だが、槍の切っ先は衣を切り裂き、白い肌を薄く掠めていく。首筋に走る冷たい鉄の感触が、瞬時に血の気を奪った。
(……妹が、本気で私を殺しにきている)
その氷のような現実が白華の背を凍りつかせたが、その絶望を興華の霊力が打ち砕いた。彼は裂かれた右肩の痛みも構わず、全身の霊力を右腕に凝縮させ、肉薄する思念体を力任せに押し返したのだ。
「ぐっ……おおおおお!」
骨が軋む衝撃。それでも興華は止まらない。仙杖を奪い返そうと地へ手を伸ばした刹那――思念体は物理法則を嘲笑うような跳躍で後退し、瞬時に次の殺撃の体勢を整えていた。一分の隙もない合理の極致。思念体は獣のような俊敏さで、無防備な興華へと再び襲いかかる。
「興華、拾うのを諦めて!」
白華の叫び。興華は武器を拾うよりも、自らの直感にすべてを託した。
「曹華姉さん……。もう、やめてくれ!」
彼は杖を捨て、光り輝く右腕を盾として突き出した。
その瞬間――五年の蓄積、姉への思慕、そして曹華を喪う恐怖。渦巻く感情が臨界点を超え、興華の体内で霊力が猛り狂った。眩い銀の光が迸り、轟音とともに湖畔の空気を震わせる。その圧倒的な光の奔流に押され、思念体の槍が止まり、曹華の影が一歩、また一歩と後退を余儀なくされた。
玄翁は細めた眼差しで、その輝きを見据えた。
「……ふむ。器が、真の覚醒の揺籃に触れたか」
霊力の壁に阻まれ、思念体の動きに初めて「迷い」に似た硬直が生じる。
白華はその好機を、鷹のような鋭さで捉えた。
「興華、今よ! ――あの子の瞳の、その奥を見つめなさい!」
興華は光の飛沫の向こう側にある、思念体の瞳を凝視した。そこには昏い憎悪が渦巻いている。だが、その深淵の底に――ほんの刹那、零れ落ちそうなほど澄んだ「涙」が宿ったのを、彼は見逃さなかった。
「曹華……姉さん……」
その声は震えていたが、確かな重みを持って届いた。思念体の槍が目に見えて揺らぎ、必殺の軌道がわずかに狂う。
白華の胸に、確信の灯火が点った。
(情は消えていない。玄翁様は、情を捨てろと仰ったのではない。情を憎悪に呑み込ませるな――情のままに闇を裂けと、そう教えてくださっているのだわ!)
白華は即座に、逆転の策を脳内で組み上げた。
「興華、呼びかけを止めてはだめ! 押し返すのは力ではなく、あなたの心よ! 憎悪の殻を破れるのは、あなたの声と、純粋な霊力だけ!」
興華は深く息を吸い、再び地に突き刺さっていた仙杖を掴み直した。血に濡れた肩は熱を帯びて痛むが、瞳から迷いは完全に消え去っていた。
「分かった、白華姉さん。……僕は、曹華姉さんを、あの暗闇から抱きしめて連れ戻す!」
憎悪に燃える幻影が、最後の猛攻を仕掛けるべく地を蹴る。
それに呼応するように、興華の全身から、夜空の星々を溶かしたような壮麗な霊光が立ち昇った。
白華は術を最大限に維持し、妹の攻撃の「核」を冷静に見極める。
(ここで掴んでみせる。殺さずに、救うという究極の真理を――!)
三つの影が月下の湖畔で交錯し、物語は、ついに修行の完成を告げる「真実の再会」へと突き進んでいく。
読んでいただきありがとうございます。
作品、続きに興味を持っていただけたら、☆をお願いします。




