第四章 白華・興華伝十五 憎悪の妹・姉(一)
淡い光を帯びた思念体の曹華は、出現したその瞬間から憎悪を全身に纏い、言葉一つ発さずに姉弟へと襲いかかってきた。
その眼差しは氷のように冷たく、肉親の温もりは微塵もない。あるのは、徹底的に相手を仕留めるためだけに研ぎ澄まされた、純粋な殺意だった。
白華と興華の胸に、同時に電撃のような痛みが走る。
目の前にいるのは妹であり、姉であるはずの曹華の姿。しかしその瞳には、幼い頃に見せてくれた笑顔も、かつての優しい声もない。玄翁が映し出したのは、蒼龍国と黒龍宗の闇に染まり切った場合の「最悪の未来」だった。
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思念体の曹華は、腰に佩いていた剣を鞘に収め、長槍を手に取った。
その動作は迷いなく、まるで「剣は必要ない」と言わんばかりの自信に満ちている。
次の瞬間、空気が震えた。
突き、薙ぎ、払い。槍の三連撃が風を切り裂き、興華へと叩き込まれた。
「……速い!」
興華は仙杖を構え、全身に気功と霊力を巡らせて迎え撃つ。しかし、相手は容赦のない殺意に支配された姉。突き一つで岩肌を砕き、薙ぎ払いで大木を折るほどの力を秘めている。防御するだけでも、全身の筋肉と骨が悲鳴を上げた。
白華が見守る中、興華は必死に仙杖で攻撃を受け流す。だが、一撃受けるたびに腕が痺れ、膝が揺れる。防戦一方の状況は明らかだった。
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「姉さん、避けろ! 本気で殺す気だ!」興華は叫ぶ。
だが彼の胸の奥では、二つの相反する感情がぶつかり合っていた。
――最愛の姉を守らなければならない。
――しかし、目の前の槍を振るう相手もまた、大切な姉である曹華だ。
その板挟みが、わずかな躊躇を生む。攻撃をいなす動きは速い。だが、反撃の一撃を放つ瞬間になると、手が止まる。心が止まる。その迷いが槍筋の鋭さに飲み込まれ、じりじりと押し込まれていく。
「興華! 絶対に殺しては駄目!」白華の声が飛ぶ。
彼女もまた冷や汗を流しながら術を維持していた。妹の戦いぶりを観察し、その合理性を見抜いていく。
「見て、無駄がない……これは天鳳将軍の武だわ。狙っているのは、私たちの心の隙。連携が崩れれば、その瞬間に終わる!」
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白華は後方に立ち、広範囲の認識阻害を展開していた。しかし、思念体の曹華はその膜を突き破るかのように気配を正確に捉え、寸分違わず攻撃を繰り出してくる。
「……この思念体は、本当に曹華が闇に堕ちた姿そのもの。ならば、殺さずに止める術を見つけ出さなければ」
彼女は必死に妹の軌道を読み、興華へと指示を送る。
「興華、槍の間合いを詰めなさい! 遠距離戦では不利よ! あなたの気で間合いを潰し、接近戦に持ち込めば希望はある!」
興華は頷き、槍の刃が閃く中をすり抜けるように踏み込んだ。だが、思念体はそれすら予測していたかのように槍を返し、興華の肩をかすめた。血が飛び散る。
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「興華!」白華が思わず声を上げる。
その一瞬の動揺――。
曹華の槍が仙杖を弾き飛ばし、一直線に白華の喉を狙った。
「ッ!」白華の瞳に、死の光が差し込む。
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玄翁はその光景を、微動だにせず見つめていた。彼の顔に浮かぶのは冷徹な表情。
「……これが、そなたらが避けて通れぬ未来よ。黒龍宗の闇が広がる戦場では、牙們のような狂気、天鳳のような冷徹さ、そして……血を分けた妹さえも敵として現れるのじゃ」
老仙の眼差しは、二人の苦悩を突き刺すように鋭い。
「この試練を越えねば、さらなる地獄は耐えられぬ。妹を殺さず、なおかつ止める――その術を見つけねば、未来はない」
彼の声は雷鳴のように響き、湖畔の空気をさらに重くした。
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興華の肩から血が滴り落ちる。
白華は必死に弟を支えながら、冷徹な思考を巡らせた。
「……興華。恐れるな。これは玄翁様の試練……でも、もし本当に曹華があのような姿で現れたら……私たちが止めなければならない」
「姉さん……僕は……殺さずに、必ず救う!」
二人の心が一つに重なったとき、再び槍が閃き、戦いは新たな局面へと突入していく。




