第三章 曹華伝十二 信頼の価値
天鳳将軍が、黒龍宗の存在と村襲撃の真実を語り、私の決意を受け入れてから幾日かが過ぎた。
その日、執務を終えた将軍は、いつものように筆を置き、ふと私を見つめて問いを投げかけた。
「……曹華。この私を、信頼しているか?」
鋭利な刃のような問いだった。
目の前に座るこの男は、私に武と知略を与え、生き延びる道を示した恩人であり――同時に、私の父を討った仇でもある。
私は即答せず、天鳳将軍の瞳をまっすぐに見返した。
「……正直に申し上げますと、複雑な心境です」
彼は合理を重んじる男。飾った言葉は、かえって私の「価値」を損なう。だから私は、正直な答えを選んだ。
「ですが、将軍。あなたは村への襲撃の真実を隠さず語り、私が命を狙うかもしれぬと知りながらも傍に置き、武と知略を惜しみなく授けてくださいました」
私は茶器を静かに卓へと戻した。
「そして何より、あなた様は、この国と大陸を覆う闇を討つという壮大な計画において、一切ぶれず、私情に流されることなく進んでおられる。その不動の姿勢こそ、私にとって最大の価値であり――信頼に値するものです」
脳裏には、父を殺した憎しみだけに囚われ、狂気に堕ちた牙們の姿が浮かぶ。
感情に呑まれた将軍と、冷徹に未来を見据える将軍。両者の差は、天と地ほどもあった。
私は、恩人でもあり仇でもあるこの男を、情ではなく「合理的な評価」に基づいて信頼すると告げた。
天鳳将軍は私の答えに満足げに頷き、低く言い放った。
「よろしい。その信頼があれば十分だ、曹華」
彼の瞳には、私が「優秀な駒」として計画を狂わせぬことへの確信が宿っていた。
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だが次の瞬間、彼は私の最も秘めた弱点に手を伸ばした。
「ところで曹華。……お前の姉と弟の行方は、知っているか?」
その瞬間、胸の奥に押し込めていた蓋が破れた。
私の手から茶器がガタリと滑り落ち、卓にぶつかって澄んだ音を響かせる。中の茶が宙に散り、私は思わず口に含んでいたものを噴き出してしまった。
「な……っ、ごほっ、ごほっ……知らないです! 天鳳将軍、知っているんですか!? ……教えてください!」
声は震え、理性も体裁も消し飛んでいた。
五年間、父の仇の前で決して見せまいと抑えてきた「姉」と「弟」への想いが、堰を切ったように溢れ出したのだ。
天鳳将軍は、そんな私をしばし無言で眺めていた。
そして、ふっと口元を緩める。苦笑とも、冷笑とも取れるその表情は、整った美貌に妙な陰を落とした。
「案ずるな……。まさかお前がここまで取り乱すとはな。やはり、あの夜の家族の別れは、武や知略よりも深く心に刻まれているようだ」
――やはり、曹華の弱点はここか。
将軍の瞳には、冷徹な光が宿っていた。
駒としての私の価値を認める一方で、最も突き崩しやすい急所を見定める、狩人の眼差しだった。
私は必死に呼吸を整えながら、握りしめた拳を膝の上で震わせた。
取り乱した己の姿を見抜かれ、弱点として刻まれたことは、屈辱以外の何ものでもなかった。だが同時に、胸の奥でかすかな希望が灯っていた。
天鳳将軍が続ける。
「確たる情報は無い。だが牙們が後日、川の沿岸を徹底的に探させた。王族の血を絶やすためにな。しかし――報告では、二人の遺体は発見されていない」
私は息を呑んだ。
「……遺体が見つからない?」
「激流に呑まれた者は、そのまま果てしなく流され、姿を残さぬこともある。だが同時に、生きている可能性も否定できぬ、ということだ」
彼の言葉は、毒であり、薬だった。
真実は闇の中だ。だが、「生きているかもしれない」という希望は、胸の奥に小さな火をともした。
それこそが、私が蒼龍国で生き続ける理由。
天鳳将軍の駒として戦う理由であり――やがて再び家族と相まみえるための、唯一の光となった。
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