第二章 白華・興華伝二 神秘的な湖
意識を失ったままの興華を背負い、白華は必死に川岸の森を進んでいた。全身は激流に揉まれてできた痣と傷に覆われ、歩を進めるごとに悲鳴を上げる。
目の前を進む老人が何者なのか、敵なのか味方なのか、白華にはわからなかった。だが、独りでこの幼い弟を守りきることは到底できない――それだけは痛いほど理解していた。だからこそ、彼女は覚悟を決め、この謎の老人の背を追った。
老人は一言も発せず、ただ白華の歩調に合わせて、ゆったりと森の奥へと分け入っていく。道なき道をいくつも抜け、鬱蒼とした木々を超えたその時、不意に視界が開けた。
木々の隙間から差し込む朝の光が、眼前の情景を照らし出す。
そこには、俗世から完全に切り離されたような静謐の世界が広がっていた。
深き森の奥、澄み切った水を湛える湖。湖面は鏡のように空と緑を映し出し、朝靄の中でゆらめく水底からは、淡い光がほのかに揺れていた。その光はまるで精霊の吐息のようで、白華の疲弊した心に染みわたっていく。湖畔には苔むした岩の上に、木材で組まれた粗末な小屋がひっそりと建っていた。
白華は息を呑み、思わず立ち尽くした。恐怖も疲労も一瞬だけ忘れ、ただその神秘的な美に魅せられた。
「……綺麗……」
老人は静かに振り返り、初めて口を開いた。
「娘さんや、まずは坊主を連れて休むがいい。……儂の棲家へ案内してやろう」
その声音は穏やかでありながら、否応なく従わせる力を孕んでいた。白華ははっとして正気に戻り、興華を背負い直すと、老人の後に続いた。
小屋の戸口をくぐると、外の光は一気に遮られ、白華の全身を包んでいた緊張の糸がふっと緩んだ。
こうして白華と興華は、命の危機を脱し、この神秘的な湖の畔で新たな運命の扉を開くこととなる。――それは、やがて興華の中に眠る秘められた才を呼び覚ます、修行と覚醒の序章であった。




