第二章 白華・興華伝一 激流の果て
長姉・白華は、最後の力を振り絞り、弟・興華を抱きかかえたまま、深谷の激流へと身を投じた。牙們の狂気から逃れるには、もはやこの賭けに出るしかなかった。
川へ飛び込む直前、彼女は必死に牙們を足止めしていた妹・曹華に向かって叫んだ。
「――曹華!必ず生きるわ!」
その声は、絶望に沈みかけた心を貫く決意の誓いだった。
冷たい激流が二人を容赦なく呑み込み、岩に打ちつけ、息を奪う。白華は必死に水面に顔を出そうとし、父から学んだ護身術、母から教わった自然の知恵を総動員した。
意識が朦朧とする中、彼女の脳裏を占めたのはただ一つの思い――自分は曹華のように武に秀でてはいない。だが、この知恵と責任感で、興華だけは守り抜く。そして妹との再会を果たすのだ、と。もしここで弟を失えば、父が命を懸けて守ろうとした柏林王族の血筋は絶えてしまう。
どれほど流されたのか。夜が白み始めた頃、白華は意識を失いかけながらも、興華を抱いたまま、ようやく流れの緩やかな川岸に打ち上げられた。小さな弟の呼吸はまだ安らかで、その安堵が彼女の最後の力を支えた。
その時、川岸の森の奥から一人の老人が姿を現した。
男は質素な道服を纏い、背に竹で編んだ大きな背負い籠を負っていた。外見はただの行商人か薬師のようにも見えたが、その瞳の奥には俗世を超えた静かな光が宿っていた。
「おや……若い娘と坊主。こんな場所で何をしている」
白華は、血の気を失った唇で、震える声を絞り出す。
「た、助けて……ください……弟を……」
老人は驚く様子もなく二人に歩み寄り、特に興華の顔をじっと見つめた。しばしの沈黙の後、何かを悟ったように小さく頷いた。
「わかった。このままにしておけば命は流れと共に消える。……ついてくるがいい」
白華の視界が闇に閉ざされる直前、彼女はその言葉を聞いた。
こうして白華と興華は、蒼龍国の追手から逃れたものの、正体不明の老人のもとへと導かれることになる。その出会いはやがて、興華の秘められた才能を大きく開花させる――知恵と仙術の修行の始まりであった。




