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三華繚乱  作者: 南優華
第二章
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第二章 曹華伝六・五 小さな反撃

朝霧が引き始めた宮廷の広庭には、人の流れと慌ただしい気配が広がっていた。今日は地方の有力豪族を招いた儀礼であり、蒼龍国側の式典に天鳳将軍が出席する公的な場である。付き人としての私に与えられた最初の大役は、その進行補佐――来賓の案内、式次第の配布、将軍の到着に合わせた動線の確認だった。


私は早めに現場に入り、兵や執事たちの動きを点検する。紙の擦れる音、兵の甲冑が軽くこすれる音、香炉から立ちのぼる白い煙。将軍の付き人として目に見える立場に立つことは、女官たちの嗤いを封じるための一歩でもあった。天鳳から「公の場で己を研げ」と言われた言葉を胸に、私は全神経を細部に集中させる。


儀礼は厳格に進行した。私の任務は小さくても重要で、一本の帯や一枚の書類が狂えば式全体が台無しになる。来賓の座席表に不自然な差し替えがないか、案内役が迷子を出していないか、武術隊と文官の入退場がぶつからないか――私はひとつひとつ確認し、必要なら即座に差し替えや指示を出した。


式もたけなわ、天鳳将軍は厳粛に演説を終え、来賓と握手を交わしながら歩を進めた。私の傍らには雷毅や数名の親衛が控えている。周囲の視線は以前とは明らかに違っていた。訓練場での私を見ていた彼らと同じ鋭さで、今は将軍側近としての私を評価しているのがわかる。胸の奥に小さな満足が広がった。


そこで、女官長の目配せを感じた。彼女は式の進行にあてこすったような牽制の視線を私に送ってくる。噂を撒いた本人であり、この場で何らかの仕掛けをして私を貶めようとしているのだろう。私は冷静に息を整え、表面には微笑を浮かべたまま、背後でささやかれる小さな不協和音に注意を向ける。


女官長――白い花模様の刺繍が施された上衣を着て、周囲の女官たちを従えていた。式の終盤、彼女が差し出したのは、来賓の受領書の誤った控え。表向きは些細なミスのように見える。しかし、式終了後の宴での座席や酒杯の割り振り、さらには格上の席に誰を案内するかといった「礼儀に関わる微細な手順」は、宮廷内の評価を左右する。彼女は私を式の最中にあえて混乱させ、来賓の前で拙い所作を露呈させようとしているのだ。


女官長が小さく合図を送った瞬間、私の胸に稲妻が走る。雷毅と事前に交わした約束――「公の場で将軍の信任を見せる」ことを思い出す。私はあらかじめ自分の机に用意してあった正しい控えの複製を、さりげなく取り出す手を使った。見せ方は重要だ。怒りや弁明は火に油を注ぐだけだ。私は書類を静かに差し替え、そのまま来賓団の接待を取り仕切るように振る舞った。


宴が始まるや否や、女官長が不意に声を張り上げ、「あの控えが……!」と指摘するつもりで息を吸った。だが私が先んじて、来賓の前で淡々と正しい順序を示し、端正に会場を取り仕切ったことで、女官長の声は空気に消される。来賓たちは混乱の兆候を見せず、むしろ私の手際よさに好意的な視線を向けた。


さらに効果的だったのは、私の庇護の下に動いていた雷毅と親衛隊の小さな「仕込み」だ。宴の途中、私が指示する形で餞別の席を再配置した際、雷毅が静かに女官長側に回り、さりげなく控えの正誤を確認する動作を見せた。外から見れば単なる職務確認だが、宮廷の習わしに詳しい来賓の一人がその所作を見逃さなかった。来賓の表情が一瞬険しくなり、女官長の手元に注がれる視線が冷たくなった。


女官長は焦りを隠せず、顔色を変えて言葉を濁した。周囲の女官たちのさざめきが次第に小さくなり、やがて噂話の火は弱まった。私が見せたのは、女官長の差配ミスを確認しての冷静な修正であり、それが「将軍の側近」としての私の信用に直結していることを、公の場で明確にしたのだ。


宴が終わりに近づく頃、女官長は足早に場を離れ、見えない形で私にとって小さな勝利をもたらした。噂は一夜にして完全には消えないが、公の場で私の能力が示され、女官長の立ち位置に小さな亀裂が入ったことは確かだった。


式を終え、将軍の御前で簡潔な報告を終えたとき、天鳳は私を一目見て僅かに眉を上げた。彼の瞳にはわずかな承認の光が差したように思えた。私はその光を胸に刻み、公の場で示した「片腕としての振る舞い」を忘れず、次なる戦いへと心を整えた。


小さな打撃――だが、それは確実な一歩であった。女官長の陰謀は、まだ根深い。だが今、私には剣だけでなく、場を制する術を持ち始めている。いつか、真の片腕として天鳳の右腕に立つ日を夢見て、私は静かに息をついた。

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