第二章 曹華伝三 将軍の稽古
ある日、天鳳将軍の鍛錬に付き合うように、と私は命じられた。
将軍に仕える日々のなかで、彼の卓抜した知略は何度も目の当たりにしてきたが、武官としての、肉体をもって示す「強さの根源」はまだ見えていなかった。私は密かにその核心を覗けることを期待して、訓練場へ向かった。
指定された時刻。朝の冷気がまだ残る訓練場には、蒼龍国の兵士たちと、天鳳の精鋭たる親衛隊が汗を流していた。布の擦れる音、木剣がぶつかる金属的な乾いた音、兵士たちの荒い息。私は隅で黙って彼らを観察する。
天鳳は私を傍らに置き、兵士たちに歩み寄ると、指導を始めた。執務室で見る彼は冷徹な合理主義者だが、ここではまったく別の顔を見せる。個々の動きを正確に見抜き、改善点を一点ずつ言葉で切り取り、即座に直す。言葉は簡潔だが、その的確さを受け取る兵士たちの眼に光が宿る。ときに短い冗談を交え、場の空気を和らげる術も知っている。
──天鳳の強さは、単なる技術の蓄積だけではない。
彼は人心を掌握し、個々の力を最大化する術を知っていた。合理と温情を両天秤にかけ、状況に応じて刃を研ぎ分ける。私は、憎む相手でありながら、その知略の深さに息を呑んだ。
練習が一段落すると、天鳳はふと私の方を見て、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「曹華。次はお前だ。柏林の剣術、見せてもらおうか」
私は指名され、訓練場の中心へと立たされた。将軍が選んだ相手は、私と同じ年頃の男の兵士。訓練場には女は私一人だった。周囲からはさざめきが起きる。
「所詮は女だ。どれほど持ちこたえるか」
「無様に負ける姿が見てえ」
「女はおとなしく股でも開いていればいいものを」
下卑た声が投げつけられる。侮蔑は熱気に紛れて私に向かってきたが、天鳳の言葉が胸にあった──「実力で黙らせろ」。
私は深く息を吸い、牙們に殴られたときの疼きと屈辱を怒りへと変えた。相手と向き合い、剣を構える。父から教わった動き、村の裏庭で磨いた間合い。遊びだった稽古が、今は生き残るための技に変わっている。
「始め!」
合図とともに、一瞬の間合いを詰めて私は突進した。相手は一瞬だけ戸惑い、懐に潜り込む私の速さに対応できない。肩でぶつかり合うようにして剣を交わし、私は相手の刃を弾いてその勢いを削ぐ。体の重心を低く保ち、相手の虚をついて右の脇腹へと斬り込むように見せかけ、反転して相手の背後に回り込む。一連の動作は無駄がなく、相手の木剣を弾き落とし、首元に模擬剣の切っ先を突きつけた。
「――止め!」
審判役の声が訓練場に鳴り響き、ざわめきは一瞬にして静寂へと変わった。嘲笑は驚嘆と警戒に取って代わられ、兵士たちの視線は鋭く私を捉えている。私が見下ろすのは敗れた相手ではなく、そこに見て取れる自分の成長だ。
天鳳の目が細くなる。彼は私の動きを一一確認するように視線を巡らせ、やがて静かに頷いた。
「悪くない。次は連携を見せよ。動きに“目的”を持たせよ。剣の一振りごとに意味を宿せ」
私は、天鳳の言葉を胸に刻む。技術的な指摘は的確だ。彼が示すのは“勝つための合理”であり、無駄を許さない美学だ。私の動きがいかに実戦的であっても、戦場ではもっと厳密に、もっと速く、もっと合理的でなければならない。天鳳はそれを要求している。
訓練の後、兵士たちの中に微かな敬意の波が生まれていた。私の存在が、ここで単なる珍物や将軍のおもちゃではないことを、誰もが認め始めている。だが同時に、私はこの場所が安全ではないことも知っている。嫉妬や試練、命を試す牙の刃がいつ向けられるか分からない。
私は剣を鞘に収めながら、静かに誓った。
──ここで学び、ここで強くなる。いつかこの剣を、私に与えたこの敵――天鳳自身に向けるために。
訓練場を後にする私の背中に、兵士たちの視線と、天鳳の計り知れぬ思惑が並走していた。




