第二章 曹華伝一 新たな場所 三年の歳月
激流の川岸で意識を失ったあの日から、三年の歳月が流れた。
あの時、牙們に川岸へ投げ捨てられた私は、確かに死を覚悟した。だが、次に目を覚ましたとき、私がいたのは敵国・蒼龍国の静かで清潔な一室だった。
何故、生かされたのか――その理由は今も判然としない。敵将が、討ち滅ぼすべき王族の子を拾い、助けるなど常識では考えられなかった。
それでも、与えられた待遇は想像を超えていた。深手は薬で癒やされ、温かい食事が毎日運ばれ、柔らかな布団で眠ることができる。あの絶望の夜からすれば、それは夢としか思えなかった。
やがて傷は癒え、頬を覆った痕も消えた頃、私の前に現れたのは――あの夜、牙們を制した蒼龍国の筆頭将軍、天鳳だった。
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天鳳将軍は三十代半ばほどの長身の男。冷たい美貌と鋭い眼差しは、一切の感情を映さない氷のようなものだった。
彼は淡々と事実を告げる。
「お前を生かしたのは、私の判断だ。柏林国の王族の血筋を知る者は、この蒼龍国でも一握りしかいない」
その言葉に、私は全てを悟った。
父はただの武官ではなかった。蒼龍国が根絶を誓う柏林国の正統の王族――その血を引いていたのだ。父が命を懸けて身分を隠したのは、血筋を守るため。だが今、その事実は敵国の将軍に握られている。
私は問いかけるより早く、天鳳は冷ややかに続けた。
「蒼龍国の方針は変わらぬ。柏林国の血は、徹底的に断たれる。だが――お前には利用価値があるかもしれないと、私は考えた。価値を失えば命は塵に帰す。それがお前の生の理由だ」
冷酷な刃のような言葉に、胸を貫かれる。
だが不思議と恐怖はなかった。ただ、自分の命が敵の秤にかけられているという屈辱。そして、心の奥底から湧き上がる静かな怒りだけが残った。
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私はその場で、答えを出した。
生きる。生き延び、力を得る。そうでなければ、あの日、川に呑まれた白華と興華の行方を知ることすらできない。
「……わかりました。私は、将軍の“価値”に従います」
私の言葉に、天鳳は一瞬だけ口元を歪めた。
それは笑みとも冷笑ともつかぬものだったが、思わず見惚れるほど整った表情だった。
「聞き分けがいいな。私はそういう人間が好きだ。出自は問わぬ」
天鳳は淡々と私を値踏みしながら言葉を続ける。
「それに、お前には武の才がある。牙們に敗れはしたが、伸び代はある。女であることを差し引いても、成長すれば並の男よりはるかに強くなるだろう」
敵の将軍から才能を認められた。
憎むべき相手のはずなのに、その評価に心が震えたのを、私は否定できなかった。
「……傷が癒え次第、お前は私の付き人となる。妬みも陰口も浴びるだろうが、全て実力で黙らせろ。それもできぬなら――利用価値はない」
さらに彼は、私を試すように言い放った。
「付き人として仕える以上、いつでも私を殺しに来て構わない。父の復讐を果たしたいのなら試すがいい。ただし――私は易々と殺されはしない」
その瞳には、挑発ではなく冷徹な確信が宿っていた。
私は悟った。ここで生き抜くことこそが、己の使命。力を蓄え、いつかこの男を討つ――それが、蒼龍国に囚われた私の唯一の道なのだと。




