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三華繚乱  作者: 南優華
第一章
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第一章十一 命の剣

私は、白華と興華を背に庇い、牙們と対峙していた。

足は震え、心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほど鳴っている。それでも逃げられなかった。父に託された使命が、私をその場に縫い留めていた。


背後では、白華が興華を強く抱きしめている。興華は、泣き出しそうな息を喉の奥で殺し、震える体を姉の腕に埋めていた。

白華もまた恐怖に支配されていたに違いない。それでも感情を押し殺し、弟妹を護ろうとする長姉の意地が、その瞳を凛とさせていた。


牙們は、そんな私たちを見て、顎をさすりながら冷ややかに笑んだ。


「……おや? 戦うつもりですか、姉君様」


その声音は、丁寧でありながら、人を侮蔑する毒を含んでいた。まるで、戦う意思を見せた私が滑稽な道化に見えるかのように。


「いきなり弟君を殺めては、あまりに風情がありませんね。

 まずは――弟君の目の前で、姉君を殺して差し上げましょうか」


右頬の傷が裂けるように歪み、牙們の口元が凄惨に吊り上がる。

その笑みの奥には、殺戮を愉しむ者だけが持つ、狂気の光があった。


全身が恐怖に支配され、足が竦む。

正直、今すぐ剣を投げ出して逃げ出したかった。

それでも――背中に感じる二人の温もりを、失うわけにはいかなかった。


私は、震える剣を必死に構え、喉の奥から声を絞り出した。


「……白華姉さん。二人で逃げて。興華をお願い。」


振り返ることもできずに、それだけを言った。

短い言葉だったが、私のすべての想いを込めた。


そして、喉の奥に溜まった恐怖を叫び声に変えて、私は牙們に向かって駆け出した。

背後で、白華の叫びが聞こえた。――「曹華っ!」

しかし、私はもう止まれなかった。

私の命は、二人が生きるための時間を稼ぐためにある。

その一心で、牙們の懐へと飛び込んだ。


牙們は、目を細めて小さく笑った。


「……ほう。その勇気だけは、お父上そっくりでございますね」


その瞬間、彼の長剣が月光を裂いた。

風が唸り、私の剣先は軽く弾かれる。

同時に、冷たい刃が喉元へと迫る。

死が、すぐそこにあった。


――怖い。死にたくない。

だが、逃げない。私は姉だから。


必死に体を捻り、刃をかすめて避けた。

ほんの紙一重。その感覚が、命の境をはっきりと教えた。


息を吸うたびに、肺が焼ける。

それでも私は再び、恐怖を力に変えて突撃した。

父の声が頭の中で響く。

「護ってやれ」――その一言が、私を動かしていた。


だが、牙們はすでに私の全てを読み切っていた。

彼は一歩横にずれ、軽やかに私をいなし、返す刃で喉を狙う。

金属音が響き、火花が散る。


「おやおや。無駄な抵抗でございますね」


牙們の声は相変わらず丁寧だが、その剣筋は獣のように冷酷だった。

その一太刀一太刀に、「生かす気などない」という明確な意志が宿っている。


私は息を荒げ、汗と涙で視界が滲む。

だが止まれない。三度目の突撃。

それはもはや戦いではなく、祈りだった。


牙們の目がわずかに愉悦で光った。


「戦いのセンスは悪くありませんね。突撃を繰り返すたびに――形になってきておりますよ」


それは称賛ではなく、弄ぶような嘲笑だった。

次の瞬間、牙們の足が閃いた。

私の腹部に激しい衝撃が走る。


「――ッ!」


息が詰まり、視界が白く弾ける。

胃の中の空気が逆流し、体が地面に叩きつけられる。

痛みで声にならない呻きが漏れた。


地面に膝をついた私を、牙們は見下ろした。

その瞳には哀れみも、怒りもない。

ただ「仕事を終える前の娯楽」を眺めるような冷たさだけがあった。


「あなたの次は弟君ですよ。……それとも、もう一人の姉君でしょうか。

 どちらから“丁寧に”片付けて差し上げましょうか?」


その言葉が、刃よりも鋭く心を刺す。

私は、激痛に震えながらも立ち上がった。

剣を握る手は汗で滑り、歯の根は合わないほど震えている。

涙が勝手に溢れ出した。

それでも、私は剣を捨てなかった。


「……やめろ……。私の……家族には……触れるな……」


その言葉は掠れた呻きでしかなかった。

だが、私の魂が最後の力で放った声だった。


牙們の口元が裂け、愉悦の笑みが広がる。

「健気ですね。弟君と姉君を逃がすためのその姿――まるで滑稽なほどに、美しい。」


その言葉と同時に、牙們の姿が霞んだ。

気づいた時には、目の前にいた。

空間を裂いたかのような動き――目で追うことさえできなかった。


「ここまでですね。」


牙們の右腕が、音を置き去りにして振り抜かれる。

避ける暇もなく、拳が視界いっぱいに迫る。


――父さん、私……怖いよ。


その瞬間、私の中で何かが弾けた。

時間が止まったかのように、風が凪いだ。

私は初めて、剣というものの“意味”を理解した気がした。


命のために振るう剣。

恐怖を超えて、守るために握る剣――。


けれど、その剣を握る手は、もう限界だった。

私はただの、小娘だった。

父の形見を手にして、現実の冷たさの前で粉々に砕け散った。

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