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三華繚乱  作者: 南優華
第一章
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第一章十 会敵

「――おやおや、このような場所で、小さな王族の逃げごっことは、実に優雅でいらっしゃいますね」


その声は、木立の影の奥からゆっくりと響いた。

川岸にやっと辿り着いた安堵は、言葉と共に凍りつき、私たちの背筋に冷たいものが走った。


暗闇の中、男が一人、ゆっくりと姿を現す。細身だが筋肉の張った体躯に、古い鎧の残滓を思わせる簡素な甲冑を纏っている。名を名乗る声は礼儀正しく、だがその口調の端に底知れぬ冷たさが混じっていた。


「私の名は、牙們がもんと申します。二十年前、皆様のお父上を追っておりました、元・柏林国討伐部隊の一員でございます」


その言葉が落ちると、空気が一層重く沈む。

牙們の右頬には深い刀傷があり、口元まで裂けるように見えるその痕が、月光の下で不気味に浮かび上がった。彼は、その傷を淡々と指先でなぞる。


「この傷は、――お父上から頂戴したもの。私にとっては、誇りとも言うべき“勲章”でございます。

 二十年、鏡を見るたびに、父上を討つ日を夢見ておりました。今回の襲撃も、すべてそのため。私の復讐の一歩であると申せましょう」


牙們は、顔を歪めながらも敬語を崩さない。言葉は穏やかだが、その内容は冷血で、こちらの血を凍らせる。

私は身体が反射的に動き、姉と弟を背にかばった。父の最後の言葉――「護ってやれ」――が胸を突き上げる。私の手にあるのは、逃げるときに懐に入れてきた一振りの剣だけだ。白華は護身の心得をかろうじて持ち、興華は幼く、戦えない。私が守らねば、私たちの存在はここで終わる。


牙們はゆっくりと、しかし確信を込めて続ける。


「しかし残念ながら、肝心の手柄は私のものとはなりませんでした。お父上を討ち取ったのは、卑しい同僚――鼠のような輩が先に横取りしたのです。おかげで長年の復讐の機会は半ば潰れてしまいました」


ため息のような言葉を漏らすと、彼の視線が鋭く私たち三人を突き刺した。


「ですが、ご安心くださいませ。復讐の獲物は、皆様方、柏林国最後の血筋で十分でございます。特に、そちらの小僧さま――弟君は格好の標的。丁寧に、片付けさせていただきましょう」


その最後の一語に、牙們の声の奥に狂気じみた喜びがちらついた。憎しみと奪われた手柄への怒りが、冷たい殺意へと変わっている。その奥底に、私には見慣れぬ“強さ”の気配があった。かつて父から教わったどんな相手の力よりも、冷徹で、殺意に磨かれている力だ。


脳裏に、父の静かな言葉が蘇る。

『これは参ったと言えば終わる試合じゃない。どちらかが死ぬまで、終わらない殺し合いなんだ』


恐怖が全身を覆う。

剣術は稽古の延長でしかなかった私にとって、いま構える一振りは玩具同然。鼓動が耳を叩き、歯が小刻みに鳴る。足元の砂利が微かに滑るのを感じながら、私は震える剣をぎりと握りしめた。


牙們の視線が、私の弱さを見透かすように、冷たく滲んでいた。

彼の静謐な佇まいと、その背後に潜む執念が、暗い川面に影を落とす。

逃げ場のない川岸で、私たちの運命は、そこで激突するのだと――そう直感した。

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