プロローグ
室内に忌々しげな舌打ちが漏れた。
「エイセルがジェシカを連れて逃げた。エイセルは殺し、ジェシカは生け捕りここに連れて来い」
「エイセルが?」
「情報のすべてを握っている奴を野放しにすればどうなるか・・・・・・」
「大変なことになりますな。ただちに」
黒服の男がひとり踵を返して、足早に部屋から出て行った。
「小癪な若造め。わしから逃げられると思うなよ」
低い声音で吐き捨てられた言葉。
まだ若いが、どこか侮れない強かな表情を持つ男だ。全体の雰囲気から傲岸不遜が滲み出ている。
「エイセルよ、良い死に場所ができたな」
男は薄い唇にひとかけらの笑みを零して、目を細めて静かに嗤った。
★☆★☆★
夜の帳が優しく街を包んで、人々が静かな休息に落ちていた頃。
まだまだこれから活気づいてくる夜の街ラズールの一角に、影がふたつ身を寄せ合っていた。
ひとりは大きな無地の布地を頭から足先まで、顔が見えないようにすっぽりと被り、それでも布越しに華奢な線が見て取れる。
もうひとりは髪が短い金髪の青年で、肩から無造作にこれまた大きな無地の布地を引っ掛けている。
健康そうな肢体は肉付きのバランスが良くこんがりと陽に焼けて、地面に投げ出した足の長さから背の高さも容易に想像がついた。切れ長の涼やかな蒼い瞳を縁取る睫がおもいのほか長く、均整の取れた目鼻立ちと柔らかな笑みを湛えた口元から、柔和な人懐こさが溢れている。その瞳は通りを行き交う人々を眺め、行き交う人の中には、男に見惚れてぽうっと頬を赤らめる女もいたが、男の慈愛の眼差しは隣の存在へと時折、注がれた。
「ねえ、ここの店はいいわよ~。可愛い子たくさんいるし負けとくからさ~」
香水の匂いをぷんぷんさせた客引きの女が、行き交う男に甘ったるい声音で声を掛けているのが聞こえる。派手に身体を露出させた女が酔っ払った男と連れ添い、店の中に入っていくのが見える。小さな怪しい店が所狭しと道沿いに並んで、店というよりも今にも潰れそうな屋台に近いのもある。あちこちに酒屋もあり雑多とした賑わいが夜の街を盛り立てていた。
隣の屋台から肉を焼く香ばしい匂いが鼻をくすぐり、と同時に隣の存在がぐうっと鳴いた。
目深に被っていた布地を少し後ろにずり下げて、くりっとつぶらな紺碧の瞳がふたつ覗いた。その眼は怒っているようでいて、頬がほんのり染まっている。
「お腹空いたか?」
青年の問いかけに紺碧の瞳の持ち主は、つんと形良い唇を一文字に引き結んでそっぽ向く。
それをおもしろそうに慈愛の眼で眺めて、懐から小指大の袋を取り出し中からひとつまみ、金色に光るものを差し出した。
それを確認したのか、ずるりと布地が地面にまで落ちた。
現れたのは若い女。男の片掌に納まるくらいの小さな顔には染みひとつなく、人形のように可愛かった。癖っ毛の金髪は腰まで長く、青年の癖の無いさらりとした金髪とは対照的で曲線を描き華やかだった。
「・・・・・・砂金?」
鈴を振ったような可愛い声が綺麗な発音で、女のつんとした口から青年の耳に心地よく響いた。
「あたり」
「どうしたんだ、こんなもの。砂金なんて異国の産物だ」
可愛い声なのに喋り方はまるで男だ。その視線をやんわりと受け止め、
「くすねてきたんだよ。行きがけの駄賃、少しくらいいいよね?」
青年の眼が茶目っ気に揺れて、女は数秒置いて吹き出した。笑うと笑窪ができて愛らしくなる。
「異国の産物だが砂金は裏では高く売れる。この砂金を金貨に換えてくれるところが、こういう路地の裏手にあるんだ。探そう」
砂金を元に戻し、青年は身軽に立ち上がった。当たり前のように手を女に差し出したが、その手は払い除けられた。
「自分で立ち上がれるから女扱いするのはやめてくれ」
勝気な瞳が噛み付いてきて、青年の眉根はおやおやと困ったように八の字になり、でも慣れているのか道化師のような動きで、
「はい、だんなさま」
と腰を折った。そのままくすくすと笑い出す青年。
立ち上がった女はその笑いに腹を立てたのか、不機嫌そうに彼を見上げた。そしてくるりと青年に背を向けて、すたすたと歩き始める。青年は地面に落ちた布地を拾い慌ててその背を追いかける。
「おい、なに考えてんの?布を被らずにこんなとこ、ひとりで美女が歩いていたら野獣しか寄ってこないって。・・・・・・まったくもう」
最後の言葉は呟きに等しかった。




