転
「ジェシカに何かあったのか?」
問いかける声が震えた。
デビッドは露骨に蔑んだ眼で俺を見た。
「は・・・ははは、おめでたいなあ、エイセル」
狂犬を宿した、すうっと眇めた眼。
彼が怒るとこうなるのか。
普段、温和で太陽のように明るい性格だから、こんな二面性が隠れているとは思いもしなかった。
だが、この二面性が現れるようなことがこの半日の間に起こったのだ、ジェシカの身に。
俺が暢気に眠り呆けている間に・・・。
正直なところ、ブライアンはジェシカの美貌に目を奪われている節があり、王位継承の身分に利用価値があると踏み、下心と損得勘定で下手な扱いはしないだろうと思っていた。その考え自体を読み違えていたのか。
「僕はおまえをブライアンに売る。卑怯だと言われたっていいよう。ブライアンの信頼を勝ち得て、ジェシカを助けに行くんだよう」
近衛兵ともども敵方に寝返っていたから、デビッドはあの場にいたのか。そう考えて腑に落ちた。
しかし配置された場所はジェシカからもっとも遠い場所で、成り行きをただ黙って指を咥えて眺めているしか出来なかった。だから飛んで火にいる夏の虫を狙っていた、絶対飛んでくるに違いないと確信して。そこに絶好の獲物が嬉しそうに近寄ってきた、それを斬って何が悪い。こんな理屈か。
表向き、敵方に寝返った不忠者だが憎めない。なによりもジェシカの身を案じている。
「言い分は分かった。おとなしく斬られてやるからブライアンに俺を売れ。そしておまえがジェシカを助けろ」
仮にも近衛長官だ。見かけは犬ころだが、忠義も厚く腕っ節も強い。
俺の身が役立つなら本望だと身体を差し出そうとした。が、
「断るわ」
オズが横から不快気に言い放った。
「ねえ坊や、横取りは困るわよ。それは私の獲物よ」
カミソリのような雰囲気が怒気をはらみ、その声音だけでオズに剣を向けていた近衛兵が気圧されたように一歩下がった。
尋常ではない威圧感に、デビッドが改めて“何者だ?”と眉間に皺を刻みオズを鋭く睨みつける。
「太刀筋を読むために斬らせたけど、あなた根っからの善人ね。豪快に斜めに斬っているけど、それは見た目だけ。斬り方が甘いし、太刀筋に迷いもあるわ」
俺は双方の考えで、まんまと斬られている間抜けな立場に笑いが込み上げてくる。それだけ、ふたりとも強いということか、悔しいことに。
デビッドはズバリと言い当てられたのか、剣を持つ手が小刻みに震えた。だが、それも一瞬だけで、オズに向かって剣を構える。
その様子にオズは、意外だと言いたげに口笛を吹いた。
南の神殿で俺が剣を向けたときは素手で対峙したのに、前回とは違った。
「私~、売られた喧嘩は買う性分なの~」
歌うような口調で、すらりと金の髑髏の刀身を引き抜いてみせる。
「先に言い置いておくけど、私は根っからの性悪よ。あなた勝ち目なくてよ?それでもよろしくて?」
挑発的に笑っている。
“確かに性根が腐っている。自覚していたんだな”と俺は、胸中で相槌を打った。
剣を交えるか、と緊迫した空気が流れたとき、鋭い一喝が空気を裂いた。
「双方、剣を引きなさい!!!」
声と共に室内にすらりと長い影が伸びた。
薄い金の煌きと冴え冴えとしたアイスブルーの瞳が印象的な、
「ライアス」
声の持ち主を認めて、俺とデビッドの声が重なる。
南の神殿の神官長だ。牢獄に囚われているはずだった。
デビットが犬ころなら、こちらは由緒正しい血統書付きの猫のような雰囲気を持つ男だ。
冴え冴えとした一重の細い瞳はオッドアイ。左が薄い金色、右がアイスブルー。すっと通った鼻梁、冷たい笑みを浮かべる形良い唇。額から左右に分けられた前髪が肩まで真っ直ぐ伸び、ぱっつりと肩で切り揃えられた極上の絹糸のような薄い金髪。光の加減で銀にも見える。
中世的な美を持つ青年だった。
「近衛兵も剣をおさめなさい」
猫のような眼が睥睨すると近衛兵が無言で従った。デビッドは悔しそうにライアスを見つめ、しかし渋々と剣を鞘に収めている。オズは“あら、残念”という顔をして行動を共にした。
「無事だったのだな、ライアス」安心して呟くと、
「あれに助けられました」と、オズを指し示した。
驚く俺に、オズは意味深に微笑んでいる。
「そんなことよりもデビッド。軽はずみな行動は慎みなさい。オズ、あなたも」
★☆★☆★
南に広大な海を臨み、聳え立つ山脈に囲まれた緑豊かなセアルギニア王国と、姉妹国の海に浮かぶ小さな島国アゼルギニア王国、このふたつの国は遥かな昔から神秘の力に守られていた。
人々は誰も聳え立つ山脈を乗り越えようとは思わなかったし、海の彼方に漕ぎ出そうとする冒険者も無かった。セアルギニアもアゼルギニアも親交を深め合っていた。しかしどちらの国にも有事に備えて、日ごろの鍛錬を怠らず剣の腕を磨く大きな騎士団を抱えていた。平和ボケ出来ない理由があるのだ。




