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第3話:ライバル降臨! 橙色の刺客

――要塞都市アークフォースにおける「社会適応訓練」が開始されてから、一週間が経過していた。

カイト・充・ガードナー少尉の日常は、端から見れば奇妙そのものであった。

朝0600時に起床し、寸分の狂いもない動作で制服を着用。通学路においては常に「想定される敵の伏撃ポイント」を警戒しながら歩調を保ち、教室へ到着すればデスクの安全確認を怠らない。

周囲の一般生徒たちも、最初の数こそ彼の「重度のミリタリーオタクかのような過剰な軍隊挙動」に驚愕していたものの、一週間も経てば「美形だが極めて生真面目でズレている転校生」という認識で定着しつつあった。

「本日も問題ありません。周囲の防衛状態は良好です」

「だからね、カイト。毎朝私に『異常なし』の報告をしなくていいと言っているでしょ……」

朝のホームルーム前、隣の席で呆れ果てた顔をしているのはシーナ・ヴァレンティである。

彼女はカイトの監視役兼サポートとして共に編入されて以来、彼の世間知らずな言動に対するツッコミとフォローで連日疲弊していた。

「シーナ少尉。報連相は部隊運用における根幹です。特に貴方は近接突撃機甲のパイロットであり、私の随伴機を務める重要構成員です。常時、状態の共有を行うことは極めて合理的であると推察します」

「ここは教室! 私は同級生! もう少し語彙を一般化しなさい!」

シーナが額を押さえて溜め息をつく中、カイトは静かに自席のノートを開いた。

そこに記されているのは、講義のメモ……ではなく、都市防衛第4区画における射撃兵器の最適配置ポイントと、昨日購買で購入した「イチゴジャムパン」のカロリー質量比に関する考察であった。

「……カイト、またヘンテコなメモ書いてる」

「ヘンテコではありません。前者は防衛タスクの最適化、後者は民間給食用物資における高効率エネルギーの検証です」

カイトの返答は至って大真面目であった。

傭兵として戦場しか知らずに育った彼にとって、この「平和な学校生活」は未知のパラメータに満ちた高難度任務に他ならない。焼きそばパンやジャムパンといった味覚が存在する食料の存在すら、彼にとっては新鮮で、かつ解析すべき対象であったのだ。

そんな二人のやり取りを、教室の入口付近から静かに見つめる一つの視線があった。

その人物は、アークフォース高等部指定の制服に身を包みつつも、どこか浮世離れした静謐な空気を纏っていた。小柄な体躯、肩まで伸びた艶やかな黒髪、そして感情の伺えない淡々とした琥珀色の瞳。

少女の名は、羽木瓜花。

またの名を、隣接する第3防衛管区に所属する試作高機動機甲のパイロット――コードネーム『フェザー』。

彼女は手に一冊の厚い戦術専門書を抱えたまま、カイトの背中に向けられた視線を微かに細めた。

(……カイト・充・ガードナー。全戦闘記録の解析は完了している。ブラックナイトの圧倒的戦果の裏にある、狂気的なまでの過負荷運用……。彼が、噂の少年兵……)

フェザーは一切の足音を立てずに廊下へと引き返し、静かに姿を消した。

自らに向けられた視線の主について、カイトはこの時まだ、その真意を知る由もなかった。

その日の放課後。

カイトは担任教師から命じられた「社会適応訓練の一環としての自主学習」を遂行するため、校舎の最上階奥深くに位置する図書室へと足を運んでいた。

アークフォース高等部の図書室は、都市設立初期の資料から最新の工学・ミリタリー関連の文献までが揃う、膨大な蔵書数を誇る場所である。利用者は少なく、放課後の静寂が室内に満ちていた。

カイトは書棚の通路を歩き、迷いのない足取りで「軍事ドクトリン・防衛工学」の棚へと向かった。

(……アークフォース外郭防壁における構造耐性の理論値を再確認する必要がある。先日のグラン・ゴーレム級の脅威度を鑑みるに、都市防衛隊の現行ドクトリンには重大な過失が存在する……)

カイトが背表紙を指先で滑らせ、目当ての文献『第三次都市防衛戦術概論(旧版)』を引き抜こうとした、その時であった。

反対側から、同じ本の背表紙に細い指先が触れた。

「……あ」

書棚の隙間越しに、二人の視線が交錯する。

そこに立っていたのは、朝方カイトを遠巻きに見つめていた少女――フェザーであった。

カイトは素早く状況を識別し、直立姿勢をとった。

「失礼いたしました。当該文献の閲覧を希望されるのであれば、優先権をお譲りします」

「……いえ。大丈夫です。私なら、すでにその書籍の内容は全て暗記していますから」

少女の声は、透き通るように静かであった。

彼女は書棚を回り込み、カイトの目の前へと立ち止まった。その視線はカイトの顔、肩のライン、そして手首の筋肉の緊張状態へと素早く走り、パイロットとしての身体スペックを正確に測定していた。

「……初めまして、カイト・充・ガードナー少尉」

「? 私の階級をご存知なのですか」

「当然です。第3防衛管区所属、試作機甲『ウィング・ガーディアン』テストパイロット。コードネーム『フェザー』。本名は羽木瓜花です」

カイトの表情が一瞬で引き締まった。

「同業者……隣接管区のエースパイロットですか。挨拶が遅れ、失礼いたしました、フェザー少尉」

「少尉などの階級は不要です。ここではただの生徒ですから。……それより、カイトさん」

フェザーはカイトが手にしていた本を小さく指差した。

「その『第三次都市防衛戦術概論』は旧版です。第七章における『過重圧シールド展開時におけるエネルギー逆流の抑制理論』に致命的な欠陥があります。現行の統合ドクトリン改訂版を読まれることを推奨します」

カイトは微かに目を見開いた。

旧版の第七章における理論的限界――それは、先日の要塞戦においてカイト自身が現場の感覚と直感で突破した過酷な計算領域であった。それを、この少女は理論として完璧に把握している。

「……素晴らしい洞察力です。貴方はこの理論的欠陥を既知の上で、どのように補正すべきと考えておられますか?」

「簡単です。シールド発生基部の冷却サイクルを30%カットし、余剰エネルギーを全て背面推進スラスターへバイパスさせる。……ただし、それは操縦者に6G以上のG耐性と、コンマ02秒単位の念波同調演算を要求しますが」

「!……まったく同意見です。私も先日の実戦において、同様のバイパス処理を遂行しました」

二人の間に、目に見えない火花のような緊張感と、奇妙な共鳴が走り抜けた。

戦術理論の極致。

兵士として、パイロットとして、極限まで研ぎ澄まされた者同士にしか理解できない「言葉のいらない会話」が、静かな図書室の中で展開され始めていた。

「カイトさんの戦闘記録を拝見しました」

フェザーは淡々とした口調のまま、カイトの瞳をまっすぐに見つめた。

「貴方のブラックナイトによる戦果は目覚ましい。ですが……戦術としては下の下です」

「……何とおっしゃいましたか」

「貴方は機体性能の限界を超えた負荷をかけ、自らの肉体を損なう危険を顧みずに正面突破を図る。それは『合理的な戦術』ではなく、単なる『命の軽視』です。自らの機体と生命をリソースとして使い潰す戦い方は、パイロットとして失格と言わざるを得ません」

カイトの胸中に、静かな波紋が広がった。

傭兵として育ち、「自らの命を賭してでもミッションを成功させること」こそが唯一絶対の価値観であったカイトにとって、フェザーの指摘は根本からの否定に近かった。

「……ミッションの達成こそが第一優先事項です。私個人のバイタルや機体の損耗は、勝利という結果によって相殺されます。それが兵士の責務であると認識していますが」

「違います」

フェザーは首を横に振った。

「兵士の責務とは、生きて帰還し、次の防衛任務に備えることです。貴方の戦い方には『明日』が存在しない。……それでは、周囲の人間が悲しみます」

「周囲の人間……?」

カイトがその言葉の意味を咀嚼しようとした、まさにその時であった。

「――ちょっと! カイト! こんなところで何油売ってるのよ!」

図書室の重い扉が勢いよく開かれ、シーナが息を切らせて飛び込んできた。

彼女はカイトの隣に立つフェザーの姿を視界に収めると、一瞬で眉をひそめ、警戒心を剥き出しにして歩み寄ってきた。

「あんた……第3管区の『フェザー』でしょ。なんでカイトと一緒にいるのよ」

「……ただの戦術的意見の交換です、シーナ・ヴァレンティ少尉」

フェザーは静かに一礼した。

「意見交換? 嘘おっしゃい! カイトに何か変な吹聴でもしてたんじゃないでしょうね!?」

「シーナ少尉、落ち着いてください。フェザー殿は私に対し、極めて高度な戦術理論の指導および修正提案を行っていただけです」

「カイトは黙ってて!」

シーナはカイトを自分の背後へ押しやるように立ち塞がり、フェザーを睨みつけた。

「カイトは今、社会適応訓練中なの! 難しい戦術の話ばっかりさせて、また頭を戦場に戻そうとしないで頂戴!」

「……私は事実を指摘しただけです。彼が自らの命を軽視した戦い方を続ける限り、彼は本当の意味でこの『日常』に適応することはできません」

フェザーの冷徹な言葉に、シーナは悔しそうに唇を噛みしめた。

シーナ自身も、カイトが戦場で見せる無茶な戦い方に、誰よりも心を痛め、恐怖していたからだ。

「……そんなこと、言われなくたって分かってるわよ。だから私が……私がカイトに『普通の生き方』を教えてるんじゃない!」

図書室に重苦しい静寂が降り積もる。

カイトは二人の少女の間に漂う感情の熱量に戸惑うばかりであった。彼の「軍隊的思考パラメータ」では、二人がなぜこれほどまでに感情を乱しているのか、正確に計算することができなかったのだ。

フェザーは静かに抱えていた書籍を棚に戻すと、カイトに向かって小さく頭を下げた。

「……本日は貴重な議論をありがとうございました、カイトさん。ですが、次の模擬戦、あるいは実戦において……私は貴方に証明してみせます。『命を無駄にしない戦い方』こそが、真の強さであることを」

そう言い残すと、フェザーは足音もなく図書室を去っていった。

フェザーが去った後の図書室。

シーナは拳を握りしめたまま、しばらくの間黙り込んでいた。

「……シーナ少尉。バイタルに乱れを検知しました。呼吸を整えることを推奨します」

「……カイトのバカ」

「は?」

カイトが首を傾げると、シーナは勢いよく振り返り、カイトの胸元を両手で軽く小突いた。

「バカ! バカカイト! なんであんな女の子と二人きりで難しい顔して話し込んでるのよ! 私が探しまわったんだからね!」

「彼女は防衛部隊の同僚であり、戦術理論において非常に有益な知見を所持していました。対話を行うことは合理的判断です」

「合理的とかそういう問題じゃないの! あーもうっ、イライラする!」

シーナは頭をかきむしると、カイトの手首を強く引っ張った。

「行くわよ! 放課後、買い出し…物資補給任務に付き合いなさい!」

「……了解しました。任務に追従します」

校舎を出ると、アークフォースの街はオレンジ色の美しい夕日に包まれていた。

二人は都市中央の商業区へと向かって歩いた。

街を行き交う人々、楽しそうに笑い合う親子、ウインドウショッピングを楽しむ若者たち。

その光景を見つめながら、カイトの脳裏には先ほどフェザーが口にした言葉がリフレインしていた。

『貴方の戦い方には「明日」が存在しない。……それでは、周囲の人間が悲しみます』

(……周囲の人間が悲しむ。……それは、シーナ少尉やルカ参謀、そして……防壁の内側に生きる市民たちのことを指しているのか……?)

傭兵であった頃、彼にとって「死」とは単なる確率の計算結果に過ぎなかった。自分が死ねば代わりのパイロットが補充される。それが戦場の冷酷な現実であった。

だが、このアークフォースという街には、そして「学校」という場所には、「誰かの死」を悼み、悲しむ感情が存在している。

「……ねえ、カイト」

歩みを進めていたシーナが、ふと立ち止まって振り返った。夕日を背にした彼女のシルエットが、切なく揺れていた。

「あの子……フェザーの言ったこと、気にしなくていいからね」

「シーナ少尉……?」

「カイトが無茶な戦い方をするのは……誰かを守るためだって、私は分かってるから。でもね……」

シーナは俯き、自分の制服の裾をキュッと握りしめた。

「私も……あの子と同じ気持ちなの。カイトに死んでほしくない。どんなに強いメカに乗ってても、どんなに凄い戦果を挙げても……カイトがボロボロになって帰ってくるたび、私……胸が張り裂けそうになるのよ」

カイトはその場に静立した。

シーナの声は微かに震えていた。

傭兵訓練学校の教官も、軍の上層部も、誰もカイトに「死ぬな」とは言わなかった。「敵を倒せ」「結果を出せ」としか言われなかった。

だが、目の前にいる少女は、ただ純粋に自分の無事を祈っている。

「……シーナ少尉」

「……なによ」

「自身の生存率向上に関する戦術的見直しを執り行います」

カイトは大真面目な顔で、しかしどこか固さの取れた声音で言った。

「今後は、機体の過負荷駆動を極力回避し、シーナ少尉をはじめとする随伴戦力との連携精度を向上させる方向でドクトリンを修正します。……貴方を不安にさせる行為は、防衛任務における『マイナス要因』であると定義いたしました」

シーナは目を見開き、一瞬呆けたような顔をした後、ポンッと顔を赤くしてそっぽを向いた。

「……なにそれ。結局、軍隊用語ばっかりじゃない」

「事実を述べたまでです」

「ほんと……バカなんだから」

シーナは恥ずかしさを隠すように歩き出した。だが、その歩調は先ほどよりも少しだけ軽く、嬉しそうに見えた。

その時である。

カイトのポケットの中で、暗号トランスミッターが静かに振動した。

液晶画面に表示されたのは、第3防衛管区――すなわちフェザーの所属する部隊からの「共同演習・及び警戒哨戒任務」の打診通知であった。

(……フェザー少尉との共同任務か。……彼女の戦術思想、そして『ウィング・ガーディアン』の実力を確認する機会として、極めて有益だ)

カイトは通信を承認し、空を見上げた。

一番星が瞬く夜空の向こう側に、新たな戦いと、新しい「仲間」との相克が予感されていた。

【エピローグ】

その夜。アークフォース第3管区の地下ハンガー。

薄暗い格納庫の中で、高機動試作機『ウィング・ガーディアン』の白い機体フレームが静かに佇んでいた。

その肩の上で、フェザー(羽木かぼちゃ)は膝を抱えて座り込み、モニターに表示されたBlack Knight-Xの戦闘データを閲覧していた。

「……カイト・充・ガードナー」

彼女は小さく呟いた。

画面の中で、爆炎を背にして圧倒的な破壊力を振り撒く漆黒の機体。

「貴方の強さは本物です。ですが……その強さはあまりにも危うい。ガラスの刃のように、いつか自分自身を砕いてしまう……」

フェザーは手元の端末を閉じ、胸元に抱きしめた。

「私が止めます。貴方が自分自身を壊してしまう前に……私が、貴方の『刃』を折ってみせます」

静かな決意を込めた少女の瞳が、暗闇の中で琥珀色に怪しく光っていた。

日常という名の校庭に降り立った、漆黒の騎士と白き翼。

二人のパイロットの運命が、防衛都市の静寂の中でゆっくりと交錯し始めていた。

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