20-2:巨大熊の恐怖
「すまない、クレア。君の危機にすぐ気づくことができなかった……」
「くらうど……クラウド……!!」
私は何度も彼の名前を呼んだ。嗚咽が漏れてなかなか上手く彼の名前を言えなかった。それでも私の口は彼の名を何度も呼ぶ。
無様に地面に横たわり身動きをとれない私を見て、クラウドはきつく眉をひそめる。そして次に彼は半裸のゼファーに視線を移した。
「ひ、ひぃいいいいいいいい!?」
ゼファーがガクガク膝を震わせて情けなくそう叫んでしまうのも仕方ないことだと思う。助けに来てもらった私ですらクラウドの殺気で気絶しそうなんだもの。
しかもクラウドの頭部にはいつの間にか漆黒の角まで生えてしまっている!
クラウドは今にもゼファーを食いちぎってしまうのではと心配になるくらいに、額に青筋を浮かべて目を見開き、歯をむき出しにしてゼファーを睨み付けた。
彼の殺気で周囲の鳥達が一斉に羽ばたいていく。
「ゼファー。お前、クレアに、一体何をしたんだ……?」
「ち、ちがっ、お、おおおおおおおれはっ、その! う、うわぁああああ化け物めぇえええ!!」
チリンチリンチリリン!
ゼファーは一心不乱に鈴を鳴らす。でも既にグリムベアはクラウドが無力化しているため、意味はない。
クラウドは大股でゼファーに近づき、その頭部をわしづかみにした。長身のクラウドは軽々とゼファーを持ち上げる。
ゼファーはクラウドの腕を殴るが、びくともしなかった。その場でゼファーは膝をつく。
「ひ、ひぃいいいい……!!」
「もう一度聞くぞ。お前は、クレアに、何をしたんだと聞いてるんだ。それにその鈴……変な匂いがする。魔道具だな? グリムベアがやけに興奮状態だったのはその鈴のせいか?」
「ご、ごめんなさいぃいいいいいいいい」
「あぁ? 何故謝るんだ? 謝る相手が違うんじゃないか……?」
クラウドが大きな手でゼファーの頭部を掴んだ。ミシリとゼファーの頭部から嫌な音がする。ゼファーはその瞬間、真っ青な顔で泡を吹いてしまう。
ポタポタと何か液体が垂れているかと思えば、ゼファーの股間が濡れていることに気づく。私はうえっと顔を歪めた。
クラウドはそんなゼファーから手を離す。
「ぶへっ」と情けない声を出し、ゼファーは地面に転がり落ちた。そして彼はほとんど意識もないだろうに蜘蛛のように手足をバタつかせて必死に森の茂みへと逃げ去っていく。
そんな彼の後ろ姿が哀れすぎて若干同情してしまったほどだ。
「クレア……」
ハッとする。クラウドが私を見ている。こんな情けない姿を彼に見られたくなかった。私は俯く。
でも次の瞬間、体が浮いた。クラウドが優しく私を抱いてくれたのだ。彼の真紅の瞳が私を射抜く。
「怪我をしているな!? グリムベアか!? すぐにポーションを……!」
「解毒の方は多分大丈夫。でもそのポーションに痺れ薬を盛られてしまったみたいで」
「盛られた? ……ゼファーにか?」
私は小さく頷く。その瞬間、クラウドがゼファーの逃げた先を睨み付けた。「殺しておけばよかったか」なんて怖い言葉が聞こえてくる。
……ゼファーに押し倒されたなんて話は今はしない方がよさそうね。あんな奴のためにクラウドを人殺しにはしたくないもの。
「すまない。怖い思いをしたのだろう。本当に、すまない」
彼を追い詰めて傷つけたのは私の方なのに、クラウドは何度も私に謝る。そんな彼の優しさに胸が締め付けられた。
私は首を横に振る。
「謝らないで。むしろ悪いのは私。あなたの気持ちも考えないで、私はあなたを問い詰めてしまった。……ごめんね、クラウド。私、自分のことしか考えてなかった」
「ッ! クレ──」
クラウドが私の名を呼ぶ前に、私は動いた。痺れが残る腕をなんとか動かし、クラウドの首にひっかけたのだ。
彼の体がビクリと震える。でもクラウドから離れたくなかった。
あぁ、やっぱり私、この温もりを諦めきれない。そう実感する。
「お、おい。あまり俺に近づかない方が、」
「嫌よ。あなたにもう会えないと思った時、私がどれほど恐怖を覚えたかあなたには分かる? もう二度と離したくない。例えあなたが何者であっても関係ないわ」
「なっ」
両手でクラウドの両頬を抑え、私は彼の頬にキスをした。
彼の褐色肌が途端に赤く染まる。クラウドはこれでもかというくらい目を丸くしていた。
「く、くくっクレア!? この黒い角が見えないのか!? 俺は魔族なんだぞ!?」
「だからなに?」
「ッ! だからなにって……俺は……君の父を殺した種族だ……。俺が憎くないのか!? それに怖いはずだ!! 俺は正真正銘の化け物だったんだぞ!?」
「憎くないわ。クラウドがお父様を殺したわけじゃないでしょ。もちろんお父様を殺した魔族は憎いけれど、それは同じ種族だからってあなたに向けるものではないし、今更私があなたを怖がるはずないじゃない」
「──ッ、し、しかし!」
「クラウド。ずっとあなたの苦悩に気づいてあげられなくてごめんね。自分が魔族だって誰にも言えずに独りで悩んで辛かったわよね。苦しかったでしょう」
そう言うと、クラウドはぐっと口を閉じた。真紅の瞳が揺れている。
そんな彼の表情だけでクラウドの苦しみが垣間見えた。胸が痛む。
「……でももう私がいる。あなたが好きなの。魔族だとか関係ない。私は──いつだって私を大切にしてくれて、誰よりも繊細で、心優しいクラウドを愛しているのよ……」
この想いに応えてくれなくていい。それでもいいからお願い、傍にいて。私は心からクラウドの耳に囁いた。私の涙がポロポロこぼれて、抱きしめているクラウドの髪を濡らす。
対してクラウドはぐっと唇を噛み締めて、言葉が出ない様子だった。その真紅の瞳からも透き通った涙がゆっくり溢れ、滴り落ちていく。
次第に嗚咽を漏らし始める彼の頭を私は優しく撫でた。
きっと、ずっとクラウドはこの涙を我慢していたのだろう。その一粒一粒を受け止めたいと思った。
「ずっと、言えなかったことがあるんだ……」
「えぇ、なんでも教えて。全部受け止めるから。あなたが我慢していた今までの分、全部」
「君がスカー公爵家から結婚の申し出があったあの日。俺に想いを告げてくれたあの日……。俺は、本当は君のことを──」
その時、だった。
「珍しい魔力リソースを得るためにこの土地へ来て正解でしたネェ。まさかこんなところで新たな同族に会えるとは驚きダ」




