18-1:獣の痕跡
「お母さん、大丈夫?」
「クウー……」
翌朝。朝起きたら、私の顔はとてもひどいことになっていた。当然よね、昨日はあんなに泣いたんだから。
鏡で自分の顔を見てみると、目が赤く腫れてとても見れたものではない。貴族令嬢としてあるまじき顔だ。こんなものをゼファー達に見られるわけにはいかない。
桶の中にある水で顔を洗った。レインとクウが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
私は深呼吸を繰り返し、鏡の中の自分を見つめる。子供たちに心配かけさせちゃ駄目じゃない、私。シャキッとしなさい。今はクラウドに頼らずに魔物調査を終わらせるの。
……その後でクラウドを探そう。私は彼に謝らないといけない。私の我儘で彼を傷つけてしまったことを。
──『本当ならもっと早く君から離れるべきだった。だが、どうしても離れられなかった。君が大切だったからだ』
クラウドの言葉を思い出す度に胸が痛む。なにが家族。なにが幼馴染! 私は今までクラウドの何を見ていたの?
私はいつも助けられてばかりで、彼に何もできていなかった。それどころか昨晩は彼を問い詰めて傷つけたのだ。
「ごめんね、レイン。私は大丈夫よ」
無理して微笑んでみたが、流石に子供たちも私の空元気に気づいたようだ。心配そうな表情は変わらない。
空気を変えるために朝ごはんを食べましょうと口を開こうとしたその時、モフッと私の頬に心地の良い感触。レインが私の頬にクウのモフモフの胸毛をあてがってきたのだ。
「お母さん。無理しないでください。ほら、クウの毛はモフモフでとっても気持ちいいんです。肉球もぷにぷにで気持ちいいですよ」
「ワフッ!」
「ほ、ほんとだわ……! くせになりそう……! もふもふ、ぷにぷに……」
想像以上のモフモフ加減と肉球の触り心地のよさに私はつい頬を綻ばせた。
それを見て、レインも安心したように笑みを見せる。
「やっぱりお母さんは笑顔が素敵です。とっても可愛いです!」
「うっ!」
私は胸を抑える。きゅんと胸が鳴った。
可愛いのはあなたの方よ、レイン! 五歳児にしてこの威力! この先成長したらと思うと末恐ろしい。そりゃ、村の女の子達も夢中になるわけね。
でもレインのおかげで笑えるようになれた。先ほどよりはマシな顔になったはずだ。私はレインの頬にキスを落とす。
「ありがとう、レイン、クウ。元気が出たわ」
「何があったか分からないのですが、僕もお母さんの力になりたいです。何でも言ってください!」
「えぇ、なにかあったらレインに相談するわね」
そう言うと、嬉しそうに目を輝かせるレイン。
……と、そこで部屋のドアがノックされた。私はドキリとする。……クラウド?
入室の許可をすると、入ってきたのはゼファーだった。
「クレア様! 大変です! む、村の近くの大木に巨大な魔獣の痕跡が! とにかく来てください!」
「え!? す、すぐ向かうわ! 下で待っててくれる!?」
「分かりました!」
バタンとドアが閉まる。鼓動が昂る。
どうしよう、クラウドもいないのに巨大な魔獣ですって!? 私と連れてきた兵士達だけでこの村を守れる?
……いや、ブルースカイ家の兵士達はあのおじい様に鍛えられた強者たちよ。きっと大丈夫。あとは私がしっかりしないと……。
私は不安げに私を見上げるレインとクウを抱きしめた。
「レイン、クウ。さっそくお願いを聞いてくれる? 今、村の子供達はすごく不安なはず。だから一緒にいて彼らを守ってあげて。お願いね」
「はい! 僕もブルースカイ家の一員です。守るべき領民のために頑張ります」
「ワンッ!」
小さな拳で己の胸をトンと叩くレインと元気よく返事をしてくれるクウに私は頷いた。
さて、私も頑張らないとね。お父様の形見である愛剣アルゴノーツを腰に装着し、レインを村長夫人に預けて、ゼファーと合流した。
「これは……」
「い、今まで村のこんなに近くに魔獣がきたことはないんです! 魔獣よけのお守りも粉々に破壊されていて」
魔獣の痕跡がある場所へ連れてきてもらった。確かに村のすぐ近くの場所だ。
私は村の自衛団達の報告を聞きながら、魔獣の痕跡──大きな足跡をまじまじ観察する。
足の形からして熊型の魔獣だろうか。鋭い爪も生えているみたい。こんな爪で攻撃されたら、かすっただけでも内臓が飛び出てしまうかも。
こういう時、クラウドがいたら……いや、そんなこと今の私が考えてはいけない。甘え癖がついてしまっている、気を引き締めなきゃ。
「クレア様。クラウド団長を知りませんか? 今朝から姿が見えないのです」
「……クラウドは緊急のお使いを頼んでいるの。すぐに戻るはずよ」
クラウドの部下であり、ブルースカイ家の領兵団副団長であるフリッズにはこう説明するしかなかった。
彼らにとってクラウドは心の支えだ。クラウドが行方不明となると彼らの士気を下げかねない。
「ゼファー。アズールウッドには村人達が集まる集会所があったはずよね?」
「えぇ。万が一の魔物襲撃に備えての避難所としても使えます。集めましょうか」
「そうね、お願い。守るべき対象は一か所にいてもらった方が助かるわ。ひとまず村周辺を手分けして見て回りましょう。何かあれば各々の魔法を使って周りに知らせ合うわよ」
「はっ!」
私は内心気が気でなかった。私の状況判断は、指示はあっているのか自信がない。魔物の襲撃なんてほとんどなかったスカー家での五年間が私の判断を鈍らせる。
でもやらなければいけないのよ、クレア! 不安になってしまっては駄目!
そこで名前を呼ばれた。呼んだのはゼファー。
「顔色が悪いですよ。あまりご無理はなさらずに。何かあれば俺に相談してください。俺だってこの村の自衛団団長です。あなたの力になれるはずです」
「……ありがとう、心強いわ。あなたがいてくれてよかった」
ゼファーは頬を掻いて真っ白な歯を見せて微笑んでくれた。
その甘い笑顔に魅了された村中の女性達が彼を狙っているって村長夫人がいっていたかしら。それも納得の爽やかさね。
「ではさっそく周辺の調査に行きましょう。戦いに向けて回復ポーションもたっぷり用意しておりますので、後でお渡ししますね」
「ありがとう、助かるわ」
「調査は我ら自衛団にお任せください。昨日の会議で話した通り、ブルースカイ家の兵士達には村の護衛をお任せしても?」
「えぇ、それでいいわ。聞いたわね? フリッズ、あなたたち領兵団は村の護衛をお願い。クラウドが戻るまではあなたがリーダーを務めて」
「はっ! 承知しました」
私は深呼吸をして気を引き締めた。領主の孫として私はこの村を守る。自分の使命を再確認しながら。
そしてゼファーにフォローしてもらいながら、自衛団や領兵団の皆に指示を飛ばすのだった。




