5-01.タチアのお願い
お待たせしました。
『第五章【神の指先】たち』のはじまりです。
どうか愉しんでくださいね。
ルナは香茶を愉しんでいた。
今までの茶葉とは違って、ちょっぴり苦みがあるのだけれど、それが逆に甘みをひきたてる。複雑でどことなく上品な味わいであった。
「癖になりそうな風味ね。ねえ、タチア。これは新作なのかしら? 」
「ええ、【岩窟宮殿】から送られてきました。香茶好きの同好者たちが集まって、あれこれとブレンドしたらしいですわ」
筆頭女官のタチアが茶菓子をさしだしつつ説明した。
彼女は、シンのお世話係のひとりであるが、いまはルナの話し相手を務めてくれている。
ここは野外に設えたお茶席だ。
天気が良いからと、わざわざテーブルと椅子を運び出した。
日差しはポカポカと暖かく、穏やかな風が吹き抜けてゆき、たいへん心地よい。まわりには幾本かの樹木が植わっていて、勢いよく枝を伸ばし、生い茂る葉の隙間から陽光が差し込んでいた。
彼女たちがいるのは【岩柱砦】。
シンが、人間社会と接触するために設置した前線基地である。
柱の高さはおよそ三十メートル。ちょっぴり細長い八階建ての商業ビルといった感じだ。周囲には同じような形の岩塊が、約百本も大地に突き刺さって、他では見ることのない奇景をなしていた。
岩柱の頂上には館が建っている。
建物はこじんまりしたモノなのだけれど、落ち着いた雰囲気だ。ただ、その造りは、彼女の知らない建築様式であった。
シンに訊ねてみると“和洋折衷”がどうのこうのと説明されたのだけれど、言葉の意味がさっぱり判らない。まあ、ルナ自身は小館を気に入っているのだし問題はなかった。
「毎度、思うけど、ここが【邪神領域】のなかだなんて、いまだに信じられないわ」
【邪神領域】。
凶悪な魔獣が徘徊する人外魔境の大森林。人間社会では“邪神たち”が住まう場所だとされていた。
まあ、大陸の人間たちが信仰する一神教からすれば、異端の神は邪な存在であろう。実際のところは自然神や大精霊なのだが。
ルナはここに来てから何度も超常的存在を目撃している。
正確に表現するなら、この不思議な土地では神々が視えてしまうのだ。
たとえば【太陽神】。
お日さまに重なって薄っすらと視えるのは女性の姿。その存在は、分け隔てなく大地を陽光で照らす。
ルナが、はじめてソレを認識したとき、不覚にも気絶した。
あまりにも強烈な神威のせいで、精神というか魂が耐えきれなかったのだ。まさに“魂消た”といってよいだろう。
【彩雲乙女】は見目麗しい女神だ。
彩雲とは、虹と同じ原理で雲が赤色や青色に染まったもの。
五色の雲とも表現するのだけれど、乙女が雲上で踊る様はじつに華やかだ。ルナはついつい見とれてしまった。
ただし、めったにお目にかかれない。この精霊を目撃できた日はラッキー・デーである。
【森狼大公】は人外魔境を駆ける大精霊だ。
一見すると厳つく恐ろしいが、実は世話好きだったりする。
ルナは大森林で迷ったときがあったのだが、そのとき狼神は、彼女を拠点まで道案内をしてくれた。なんとも親切な神さまだ。
ついでに言うと物理的な実体はない存在である。
なお、上記の神々の名称は正式なものではない。
シンが勝手に名付けただけで本当の名前は不明だ。というか、これら自然神たちはどう呼ばれようと気にもしないだろう。
ルナは、ずいぶんと超常存在に慣れてしまった。
シンに感化されたのだろう。毎朝、【太陽神】に“おはようございます”と挨拶するくらいに変化している。
彼の感性は妙におおらかだ。
神々に対する敬愛の念はごく自然なもの。堅苦しく型にはまった宗教とはまったく違う。彼は“八百万の神”だとか“神道”だとかを説明してくれたが、さっぱり理解できなかった。
確実なのは、この大陸の宗教観とは完全に違うことだ。
彼女は、ずいぶんとシンに影響を受けたなぁとおもう。
そういった意味ではツクモ族の連中も同じだ。
「ねえ、タチア。前から気になっていたことがあるの。あなたたちのシンに対する忠誠心は並外れているわ。
なんというか、傍からみても強烈だと感じるくらいよ。どんな経緯があって、そこまで強い思いを抱けるのかしら? 」
「わたしたちは皆、あの御方に救われたのですわ」
タチアは訥々と語りだした。
彼女によると、ツクモ族たちは一度、死亡したらしい。
ただし、肉体を失った後、【奈落】という異常空間に囚われていたのだという。そんな状態に陥った原因については、言いたくないと言葉を濁したけれど、とにかく大勢の人が亡くなったようだ。
彼女たち古代魔導帝国人の死生観では、死去すれば【始源の海】に還るとされる。でも【奈落】に堕ちた者にはそれが許されない。
「わたしたちにとって“死”は永遠の苦しみでした。ふつうの人間とは違って、私たち咎人は【死と再生の渦巻】からはみ出してしまったのです。
何百年ものあいだ、ずっと絶望に打ちひしがれ喘ぎ続けるだけ。
そんな自分たちに救いの手を差し伸べてくれたのが、我が君なのです」
彼女の語りはつづく。
どうやら、シンは単なる善意でアクションをおこしたようだ。
ただ困っている人々を見過ごせなかったらしい。おまけに【神告】で得た錬金知識だけでなく、御神業である【言霊奉法】の【権能】までも使用したのだとか。
ルナは驚いてしまった。
シンのおこないは、お人好しといったレベルでない。
神々の“力”を借りて発揮する【権能】は、使用者に大きな負担を強いる。おいそれと使えるものではないのだ。
常人では負担しきれない労力をかけるなんて異常すぎる。
なにか隠れた思惑があるのではと、ルナは質問したが、タチアの返答は“否”であった。十年近くも一緒にいるが、報酬や見返りを求められることはなかったとのこと。
「シン様は気にするなとおっしゃいます。ちょっぴり照れくさそうに、“当たり前のことをしただけ”とお笑いになる。そのお姿はかわいらしくて、胸がキュンとしましたわ」
タチアは、今も【奈落】には大勢の同朋がいるのだと語った。
人数は誰にもわからない。
あと千名なのか、万の単位なのか。あるいは何十万何百万もの人々が、異常空間で苦悩の炎に魂を焦がされているかもしれない。
救う対象者の数が不明だと、やる気の維持はむずかしいものだ。
嫌気がさして投げ出しても不思議ではない。
それでもシンは厭うことなく、現在も救済活動を続けている。
「あの御方だけが救済の御業を為せるのです。わたしたちでは同朋たちを助けることができない。我が君にすがるしかありません。
ツクモ族ができるのは忠誠を誓うことだけ。お役にたてるのでれば、なんら躊躇なくこの身を捧げてみせますわ」
「ごめんね。わたし、不躾だったようね。興味半分で質問してみたけれど、そんな背景があったなんて想像もしなかったわ」
「いいえ。たいしたことではありませんわ。それよりもルナさまにお頼みしたいことがあります。どうか、我が君を支えていただけないでしょうか」
タチアは静かに語った。
ただし、その言葉の裏には熱い思いがある。
自然とわきあがる感情を抑えこんでいるだけ。
実際、身体の前で重ねる両手が白くなっているのは、気持ちを落ち着かせようと手を固く握っているせい。
「我が君は苦悩しておられます。あの御方の寿命は短い。しかも、生存可能な日数を具体的な数値で明示されている。
“死”が確実なら、あきらめもつくでしょう。
しかし、中途半端に延命処置ができてしまうがゆえに、“生”にしがみついてしまう。死去してもかまわないという諦念と、生きたいという執着の間で揺れうごいているのです。
でも、我が君はいつも明るく振る舞う。けっして苦しむ姿をみせることはありません」
タチアは、シンが“死”に怯えているのを知っていた。
深夜、声を押し殺しながら泣いているのだ。
他者にはバレていないと思っているようだけれど、彼女を含めたお世話係やツクモ族の主要人物は、彼の苦悩を認識している。
「残念ですが、わたしたちでは、我が君の悩みを取り除くことはできません。
できることといえば、あの御方の傍らに控えて、学術知識の獲得をお手伝いするていど。ツクモの者たちは、シン様の心痛を和らげることすら叶わない。我らは己の不甲斐なさを嘆くばかりです」
タチアの態度は穏やかなまま。
女官としての矜持である。
客人であるルナを接待するために礼節を保ち、けっして感情に流されない。でも、その熱い思いは本物だ。
「あらためてお頼みいたします。貴女さまは、我が君と同じ【神の指先】。上位階梯者の方々のご意向を承る【御使い】です。
だからこそシン様の横に並び立てる。どうか、どうか、あの御方を支えていただけないでしょうか」
「ええ、もちろんよ。彼は友人だし、相互補助契約を結んでいるもの。ついでにいえば海神の助言もあったことだしね」
ルナは、海の神さま【大亀仙霊】からメッセージを受け取っていた。
内容は『導灯を掲げる者、シン・コルネリウスに助けを求めよ』というもの。
さらにシンも同じで、『月の彷徨人、ルナ・クロニスに助けを求めよ』という言葉を授かっている。
彼女たちは、互いに相手を必要としているのだ。
タチアのお願いがなくても、ルナはなんだってするつもりである。
不意に警報音が響きわたる。
どうやら火事のようだ。
緊急の報せには幾種類かあって、アクシデントごとに音色を使い分けている。今のサウンドは火災発生を告げるもの。
うっすらと白煙が漂ってきた。
ほんのわずかであるけれど、可燃物が燃えた際に発生するガスの臭いだ。
出元は岩柱頂上の小館。建物には岩柱内部へと通じる階段があるので、そこから煙が伝い昇っているのだろう。
タチアは腰に手をやり、ヤレヤレといった風情で、
「また馬鹿がヤラかしたようですね」
彼女の言う“馬鹿”とは、ツクモ族の錬金術師たちのこと。
シンもそうなのだが、研究者という連中は、ついつい好奇心や探求心を優先する。興にのると周囲の迷惑を顧みず、突っ走ることも多い。
で、錬金バカはときどきヘマをしでかすのだ。
具体的にいうと、火事や爆発なんて事故をおこす。つい先日も毒ガスを発生させてしまい【岩柱砦】から全員退避なんてこともあった。
だから、タチアは“いつものことか”と思ったのだ。
しかし、ルナは戦闘態勢へと移行していた。
警報を耳にした瞬間、背中からうなじにかけてゾワリと悪寒がはしったのだ。血液中にアドレナリンが放出されて、五感は鋭敏になり、身体はなにがあっても即応できる状態になる。
なぜ、危険だと感じたのか理由は不明。
強いていうなら“勘”だ。
ただし、この特殊な危機感を素直に受け取るべきだと彼女は知っている。実際、今までコレに従ったおかげで危地から逃れた経験が幾度もあるのだから。
周囲を警戒する。
グルリと三百六十度、自分を中心にして注意深くあたりを見渡した。
小洒落た館、幾本もの樹木、手入れされた花壇。遠方には、濃い緑色の原生林。大地に突き刺さっている巨大な岩柱。
いつもの見慣れた風景だ。
「なんだ? 」
何かが、視野の端っこでキラリとひかる。
金属片が陽光を反射したのだ。
それはクライミング用のグラッピングフック。岩石にガッツリとくい込んでおり、末端に結ばれたロープが上下に揺れていた。
下方から誰かがよじ登ってきているのだろう。
彼女は駆け寄って下方向を確認する。
「いた! 」
岩壁に張りついている人間が三名。
装備の様子からして冒険者のようだ。この連中が優秀なのは確実である。凶悪な魔物たちが跳梁跋扈する【邪神領域】を通り抜けて、【岩柱砦】までやって来たのだから。
「侵入者よ! タチアは警備の者たちに報せて。わたしは、アイツらを叩き落とすから」
「わかりましたわ。すぐに警戒態勢をとりますわ」
ルナは剣でロープを切る。
侵入者たちは崖をよじ登っている最中なので、抵抗もできずに地上に真っ逆さまに落下した。念のため、岩柱の淵をグルリと一周して、ほかに敵がいないことを確認。先刻、叩き落とした三人以外に岩柱頂部を目指してやってくる者はいない。
「さて、最優先はシンの安全確保よね。まだ再生処置中だから培養カプセルのなかにいるはず。完全に無防備な状態だわ」
状況は悪い。
砦内部で火災発生しているということは、すでに侵入されていると考えるべき。外敵が入りこんだのに気づかないなんて油断であった。
はやく医療室に行かないと。
シンの身が危ない。
■現在のシンの基本状態
HP:---/205
MP:---/236
LP:---/145
目下、再生処理中
遅れて申し訳ありません。
説明はできませんが、プライベートでいろいろとあって、創作時間がなかなか取れませんでした。
自分なりのペースで進めるので、途中中断なんてことは絶対にしません。
みなさん、どうか見捨てずに暖かく見守っていただければ幸いです。




