4-16.燃える罹患者
■第五日目 午前 ルナたち被咬者の発症まで十日間
シンは薬師組合の研究室にいた。
ここで【侵蝕するモノ】を駆除するための薬を開発しているのだ。彼だけでなく大勢の薬師たちが同じ研究を続けている。
室内は異臭が漂っていた。
部屋は広くて開放的な造りをしているのだけれど、それでも独特の臭いがする。というのも、たくさんの薬物が香りを発しているうえに、小汚い人間たちの体臭も入り混じっているせいだ。
研究者の多くは自宅に帰っていない。
彼らは、入浴する時間すら惜しんで作業を続けているのだ。なかには連続徹夜する者もいたりして、研究室は異臭ばかりでなくて一種異様な雰囲気がする。
研究者たちは使命感にもえていた。
自分たちの肩に罹患者たちの命がかかっている。そんな思いにつき動かされたていれば、汚れているだとか臭いなんて言っていられない。成し遂げるべきは期日までに駆除薬を開発することなのだ。
ただ、シンは宿泊先に戻って入浴している。
筆頭女官のタチアが清潔にすべきだとうるさいのだ。
彼自身は風呂に入らなくても気にしないのだけれど、彼女は許してくれない。常に身だしなみを整えているべきだと女官は主張する。
少しばかり抵抗を試みたが、相手の権幕に押されてあっさりと降伏した。
まあ、そのおかげで毎日こざっぱりとした生活を過ごせている。タチアには感謝すべきなのだろう。
シンが宿泊先に戻る理由はほかにもあった。
ルナの様子を診るため。
彼女には隔離生活してもらっている。原則として【侵蝕するモノ】に咬まれた罹患者たちは借りあげた大型ホテルに隔離するのだが、ルナは特別扱いだ。
シンが王都衛士隊に資金援助したこともあって例外的な扱いを受けている。
幸いなことに、いま現在の彼女は健康そのもの。
発熱や嘔吐といった体調不良の様子はない。
ただ、寄生型魔物が宿主を狂暴化させるまでに二週間しかない。それまでに寄生型魔物を駆除せねばならない。
研究室はむさ苦しい連中でいっぱいだ。
目の下にクマをつくっているのは徹夜明けの薬師。女性研究者の頭がボサボサなのは手入れする時間も惜しんで検証実験に没頭していたから。応援にきている科学者たちは床で寝込んでいる。
なんというか死の行軍を思い出す。
シンは前世でシステム開発系の仕事をしていて、この状態をなんども経験していた。世界が違っても参加者が変わっていても、この独特の雰囲気は同じだ。
なぜか懐かしいような悲しいような複雑な感情がわきあがる。
地球世界の記憶がよみがえってきた。当時は忙しくてボヤいていた。仕事のトラブルも多かったが、それでも平穏な日常を過ごしていたのに……。
いつの間にか手が止まっている。
目が潤んでしまい、ホロリと涙が落ちそう。
不意におきた心の乱れに戸惑ってしまい、どうして良いのか判らない。しばらく立ち尽くすしかなかった。
なにやら外のほうが騒がしい。
研究室は建物の奥にあって普段は静かなのだけれど、ここまでザワついた音が聞こえてくるのは稀だ。
誰かがバタバタと廊下を走ってきた。
女性職員が扉をバンと開いて大声で叫ぶ。
「たいへんです、また【侵蝕するモノ】が現れました! あのバケモノに寄生されたひとが暴れています」
シンは報せを聞いて“やっぱりか”と思う。
数日前から再び騒動がおきるのではと、予感めいたものがあったのだ。
理由は【招厄草】が生えているのを知っていたから。
なぜかは判らないけれど、コレがある場所は悪運に見舞われる。
事実、この透明な草が蔓延っていた錬金術師組合に国家公安局がやってきて本部を封鎖。さらに術師や職員を拘束して連れ去った。たしかに厄運におそわれている。
今回、シンが【招厄草】を視たのは商業地区。
彼は高級ホテルと薬師組合本部とのあいだを行き来しているのだけれど、移動の途中でコレを見つけた。
最初、その数は少なかったが、日増しに透明な雑草が広がってゆく。
さすがにこれは問題だ。近々、このあたりは厄災に襲われてしまうだろうと思っていたのだ。
研究室にいたメンバーは報せをきいて騒ぐ。
「チッ、私たちの薬開発を邪魔しよってからに。ただでさえ時間がないのに、また騒乱の現場に行かねばならんのか」
「ああ、やっぱり【侵蝕するモノ】の封じ込めに失敗していたのね。」
「いや、そうとはかぎらない。馬鹿なテロリストが寄生型魔物を解き放ったのかもしれない」
薬師組合は混乱したけれど、それでも救援にむかうことになった。
先日と同様に医療物資を現場にもってゆくつもり。
ただし、駆除薬の開発をしている者たちは不参加である。開発者の戦場は研究室なのだから。
例外はただひとり。シンは志願して騒乱の元へゆくことにした。
彼は組合の関係者たちと共に現場へとむかった。荷馬車に人員や救護物資を積み込んで、街道を移動していたのだが……。
「おいおい、どうして黒煙があがっている? 」
火事がおきているようだ。
建物の陰で現場は見えないけれど、煙の柱は判るだけで三つもある。
どうにも納得いかない。
言ってはなんだが、【侵蝕するモノ】は火災の原因にはなれない。なかには火炎をはく魔物もいたりするが、アレは咬みついて卵を産みつけるだけだ。
なぜ、火事が発生しているのだろうか?
シンたちは、逃げ惑う群衆をかき分けて進む。
そこは商業地区の中央を貫く大通りだ。街路沿いに大型の建造物が並んでいる。
突然、背の高い建物で爆発がおきた。
続けて二回目、三回目と爆音とともに炎の塊が炸裂する。
外壁が崩れて、ガラガラと音をたてて地面へと落ちた。瓦礫は真下にいた人々を襲い、多数の怪我人をだす。
「人がたくさんいる場所で火炎魔法を放つとは」
誰かが街中で攻撃魔法をはなったのだ。
どこの魔導師かは知らないが、街で火属性魔法を使うなんて考えなしのバカ者である。
例えるなら、繁華街のど真ん中でバズーカ砲を発射するようなもの。そんなことをすれば大勢の人間が巻き添えになってしまう。やっていることは無差別テロと同じである。
ひとりの男性が大通りを走っていた。
男の体形は歪だ。肩や腹部が盛り上がっていて、膨らんだ部位がモゾモゾと動いており、異常な身体をしている。
【侵蝕するモノ】に寄生された罹患者であった。
その罹患者のまわりで爆発がおきる。
火槍の魔法攻撃だ。ただし、その精度は悪くて相手には命中しない。
背後の店舗に着弾して派手な火柱がたち、爆音が響く。
被害は建造物だけでなく、何十人もの市民が巻き込まれて吹き飛ばされた。
シンは魔法障壁を展開する。
非物質で正六角形の板が空中に現れて、飛来する火弾を防いだ。半透明の障壁は火属性攻撃を無力化すると同時にガラスが割れるようにして消滅する。
魔法障壁は一回かぎりの使い捨てだ。
なので、彼は次々と正六角形板を形成してゆく。逃げる人々を火炎の暴虐から守るために。
ちなみに、この障壁は錬金術によるもの。
あらかじめ錬金加工した術符をつかって障壁をつくったもので、魔導師による魔法では“ない”。
シンは街中での魔法使用をひかえている。
というのも、強力すぎて街で発動すると危ないからだ。
彼の魔法効力は【邪神領域】が基準になっている。
人外魔境の大森林に生息する魔物はどいつも凶悪で頑強無比なバケモノばかり。そんな獰猛な連中を相手に戦うには、それ相応の威力が必要になる。
そんな高基準に合わせた魔法を、人が密集する場所でつかうのは危険すぎた。
例えるなら、F1マシンで渋滞ばかりの都心部を走るようなもの。
高速レース用に調整した車両が平均時速三十キロほどで走行、しかも赤信号のたびに停止させられるのだ。マシンのパワーや性能と道路状況が違い過ぎる。
で、なにが言いたいかというと、シンの魔導師としての能力は高性能すぎて街中では使えないということ。
この困った状態を解決する手段。
それが錬金術であった。
特に錬金加工した術符はあらかじめ威力を設定できるので、まことに使い勝手が良い。欠点は費用対効果の悪さだが、彼自身が製作者なので費用は問題にならない。
ひとりの魔導師が混乱する中央通りに現れた。
コイツが商業地区に火災をおこした元凶だ。
二十歳そこそこの若者で、きらびやかな服装を着込んでいる。さらに背後には、お付きの私兵を引き連れていることから貴族階級の者なのがわかる。
若い魔導師は立ち止まり、再び魔法を放った。
狙いは、【侵蝕するモノ】に寄生された罹患者なのだけれど、相変わらず命中しない。火槍魔法の着弾点は的から大きく外れて街路樹を燃えあがらせただけ。
シンの位置から三十メートルほど離れた場所のできごとだ。
運が良いことに、巻き添えになった人間はいなかったが、商業地区で攻撃魔法をぶっ放すとは迷惑も甚だしい。
「ひどいものだ。あの魔導師、術式制御が雑なうえに命中率が悪すぎる。半人前のド素人だな」
若い魔導師の能力はかなり低い。
標的は動いているとはいえ、何発もの魔法を撃っているのに外してばかりなのだからお粗末そのもの。
さらに魔法種別の選択を間違えている。
火属性の攻撃魔法は、見た目は派手だけれど、周囲への被害を考えれば別種のものを使用すべきだ。この魔導師は英才教育を受けていても、状況判断ができない愚か者だ。
シンは淡々と魔法障壁を展開する。
数十メートルも離れた先であっても正確に着弾点を見極めて火炎魔法を防ぐ。守るのは建物や逃げる人々だけだ。
ただし、狂暴化した男は見捨てる。
可哀そうな気もするけれど、罹患者の始末は他人に任せておこう。なにがあったのかは知らないけれど、あの魔導師と敵対するのは避けたい。
この国では、魔導師は貴族階級者だ。
権力をもつ貴族と揉めると面倒なことになってしまう。見ず知らずの狂人を助けてトラブルに巻き込まれるよりも、ひとり犠牲者を出すだけで厄介ごと回避できるなら、安いものだ。善人ヅラして人道主義を振りかざすつもりは“ない”。
シンは客観的に状況を把握して、己の立ち回りを決定した。
次々と撃ち込まれる攻撃に慌てることなく落ち着いた気持ちで対応し続ける。
その一方で、若い魔導師はイラついていている。
何発もの火属性魔法を放つが標的から外れてばかり。逃げ回る罹患者に命中しないことで焦っていた。それが魔法制御を粗雑にするという悪循環に陥っているのだろう。
それでも“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”だ。
ようやく狙う相手に直撃した。
魔物に寄生された人物が炎につつまれて倒れる。さすがに魔法の火炎は強烈で罹患者をあっという間に絶命させた。
魔導師は焼死体に近づき、これを蹴りつける。
しかも“なんで逃げるんだよ”とか、“手間をかけさせやがって”とか悪口を言いながら、遺体の形が崩れるまで踏み潰した。
この行為は死者を冒涜するもの。
とてもではないが褒められたものではない。
遠巻きにみていた群衆は“なんて惨いことを”とか“酷すぎる”などと非難する。魔導師の護衛である私兵たちですら顔をそむけている。
若い魔導師が次におこなったこと。
それは、シンに言いがかりをつけるという呆れるものであった。
「おい、そこの錬金術師。お前のちゃちな障壁のせいで狂人を始末するのに時間がかかったぞ」
この魔導師、悪い意味で典型的な貴族であった。
もう、トラブル確実である。
■現在のシンの基本状態
HP:198/198
MP:210/210
LP: 68/120
活動限界まで、あと六十八日。




