4-01.邪神領域でくつろぐ
おまたせしました。
第四章を始めます。今まで以上におもしろい展開になるようがんばります。
ルナは、野外に設えた茶席にいた。
特別なハーブティーだ。一般的に流通している紅茶ではなく、近隣で採取した茶葉を加工したもの。初めて嗅ぐ香りは、気持ちを穏やかにさせてくれる。
「美味しい香茶だこと。天気も良いし、のんびりできるわね」
「ご満足いただいて、よかったです。我ら一同、貴女さまには感謝しております」
返事をしてきたのは、魔造結晶体のミドリ。
テーブル上の円筒形金属体から声が聞こえてくる。
これは通信端末機で、【念話ネットワーク】で遠隔地間会話するための魔導具だ。
始めて会話をしたときは、びっくりしたものだ。
無機質な物体が人間のように話しかけてきたのだから。
まあ、驚くいっぽうで、魔造の結晶体にも性別があるのだなぁと、場違いな感想をもってしまう。
「わたしこそ、ありがたいと思っているわ。快適な居住空間を提供してもらっているのだしね」
ルナは、瀟洒な館を見やる。
サイズは小ぶりだが、非常に趣のある建物だ。貴族や商人が所有する避暑地の別荘といった感じ。
内装は簡素ながらも上品にまとまっている。使い勝手が良くて、たいそう気に入っていた。
とても平穏な一日だ。
涼風は、そよそよとやさしく肌に触れて心地よい。
頭上には新緑が生い茂る木々があって、木漏れ日が差し込んでくる。地面の芝生は丁寧に手入れされており、緑が鮮やか。
「久しぶりに寛げる時間を過ごせたわ。自分が【邪神領域】にいるなんて信じられないけれど」
ここは人外魔境の大森林。
狂暴な魔物や獣が跳梁跋扈する危険地帯だ。
さらに、人々が忘れてしまった古の神々や、精霊が住まう不可侵領域でもある。
人間が侵入するのは非常に危険だ。
貴重な天然素材を求めて、冒険者がやって来るが、浅い領域まで。知識と経験と実績を併せ持つ一流ハンターであっても、奥深くには行かない。というか無理だ。
「こんな景色、滅多にお目にかかれないわね」
彼女がいる場所は大きな岩柱の頂上。
高さは三十メートルほど。
展望できる眺めは奇妙なものであった。
およそ百本もの巨大岩柱が、天に向かって伸びているのだから。
「初めて、この風景をみたとき、不思議なイメージが浮かんだの」
「どのような内容だったのですか?」
「岩の柱はね、巨大神が創った大杭なの。神々が泣きながら、大地に突き立ててゆく。刺さるたびに、地面は割れて地中深くから溶岩が噴出してきたわ」
遥か昔、神代でのできごと。
人間が現世に生まれ出ずる前の時代だ。
自分でも突拍子もない空想だとおもう。
でも、本当にあったことかもしれない。もしかしたらと思うほどに、頭に浮かんだ心象は鮮明であった。
ミドリが尋ねる。
「それは本当のことではありませんか? 貴女は【禍祓い】であり、特殊な能力をお持ちです。単なる妄想だとは思えないのですが」
「真偽は判別できないわね。自分が現場にいたみたいにリアルだったけれども。まあ、太古の昔のことなんて、わたしたちには無関係だわ。今を生きるので必死なのだから」
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ルナは、命からがら領都シュバリデンから脱出した。
手荷物は最低限だ。
少しでも身軽にするために、街で買い集めた品々はすべて捨てる。
彼女は騎竜サコンに乗り、シンをウコンの背に置いた。
荷運び役の二脚竜たちが護衛役を務めてくれた。
追手に見つかったのは、都から数キロ離れたあたり。
コルベール男爵家とその領兵は優秀だ。
さすがに、【邪神領域】に接する領地だけあって、兵士の練度は高い。有能な騎手と良い軍馬の組み合わせは、逃亡者にとっては最悪である。
「シン、だいじょうぶ?」
問いかけても、返事はなかった。
毒のせいで、彼は意識を失ったままだ。
騎乗で走るなんて、激しい動きは身体に障る。
本来であれば安静にしているべき。最低でも、ゆっくりとした移動が望ましかった。逃走速度は、自ずと遠慮がちになってしまう。
すでに、背後には追跡騎兵の姿があって、補足されるのは時間の問題であった。
「戦うしかないわね」
ルナは、覚悟を決めた。
追手を引きつけて、時間稼ぎをするつもり。
幸いなことに騎竜たちは賢い。
ウコンならば、うまく立ち回って逃げてくれるはず。
タイミングを見計らって、サコンを反転させたとき……。
突然、爆発が生じた。
それは火属性の攻撃魔法。
敵兵の数騎が炎に包まれ、地面へと投げ出される。
間髪入れず、十発以上の火球が飛来。
この連続攻撃で二十騎ほどいた追撃者のすべてが、薙ぎ倒されてしまった。あっという間の出来事だ。
彼女は驚いたけれど、油断なく身構える。
「新手の敵? それとも援護してくれたのかしら」
謎の集団が姿を現した。
見た目にも怪しく不気味な連中が二十人ほど。
顔の上半分を黒いゴーグルで覆っているので、表情は判別できない。
彼らの装備や服装はじつに奇妙なものだ。
身体全体をおおう外套の色は、緑や茶色のまだら模様。
頭部を守る防護帽も同系統の塗装を施していた。
防具類は材質不明だ。金属でも皮革ではないけれど、硬くて丈夫そう。
そいつらは、ふた手に分かれた。
第一のグループが周辺に展開して周辺警戒をはじめる。
第二グループは、領兵の生き残りにとどめをさしてまわった。
無言なのに、動きは洗練されていて、まったく無駄がない。連携も見事なもので、高度な訓練を経てきた兵士なのが見てとれる。
連中のひとりが接近してきた。
彼女は警戒して剣に構える。
「そこで止まれ」
男は、言われたまま素直に留まった。
両手をあげて、敵対するつもりはないことを身振りで示す。
しかし、騎竜サコンが、気安げな様子で相手に近寄った。
甘えた声で鳴き、正体不明の男性にじゃれつく。
その親し気な雰囲気から、味方であろうと推察できてしまう。
円筒形金属体を、眼前の人物が差し出した。
「ルナ・クロニスさま。はじめまして、わたくしはミドリと申します。我らは、シン・コルネリウスの部下です」
自分は、魔造結晶体だと自己紹介した。
本体は遠方にいるため、魔導具を経由して通信しているとも。
さらに、救援部隊についても説明してくれた。
ルナは剣を納めて、感謝を述べる。
「助けてくれてありがとう」
「……」
謎の男は、昔風の答礼をする。
続けて、ゆっくりと目元を覆っていたゴーグルを外した。
事前に概要を聞かされていたが、ちょっと吃驚だ。
垣間見える肌は白大理石みたいに硬質性のもの。
錬成人間であって、魔導人形とは違うとのこと。
なお、発声器官がないので会話は不可能。それでも身振り手振りで意思疎通はできる。
彼女は内心で、彼らを“白いひと”と呼ぶことにした。
一行は、気を失ったシンを守りつつ移動を開始。
大河を渡り、破棄された砦街キャツアフォートを通り過ぎた。
「やっぱり、あなたの本拠地は【邪神領域】だったのね」
道中は驚きの連続であった。
“白いひと”たちの戦闘能力が、とかく凄まじいのだ。
凶悪な魔物どもをあっさりと撃退してゆく。大型熊のような獣系や人型蜘蛛の昆虫系などと遭遇するも、簡単に排除した。
彼らの動きは手慣れており、無駄がない。
戦闘というよりも、進行に邪魔なモノを除去する作業だ。日常のありふれた行為でしかないのだろう。
最終的に行き着いた先は、小洒落た屋敷。
【岩柱砦】の頂上部であった。
「ねぇ、シン。人外魔境の奥深くに館をかまえているなんて、尋常じゃないわよ。どんな秘密があるのかしらね」
シン・コルネリウス。
なんとも不可思議な若者だ。
彼は錬金術師であり魔導師でもある。
どちらも取得するには高度な知識と訓練が必要だ。
一人前になれるのは、ごく限られた者だけ。
上述の背景もあって両者の兼任は難しい。というか絶対にムリだ。
にもかかわらず、あの青年は両立させている。
アルケミストとしてもソーサラーとしても一流の域に達していた。とてもではないが、信じられない。
「しかも、伝説の【言霊使い】。まさか実在するとは思いもしなかったわ。
”天は二物を与えず”というけれど、例外はあるのね。いろいろと詰め込みすぎだわ。お前は空想物語の主人公かと文句を言いたくなるくらいよ」
話だけなら、才能だけの嫌味な男を想像する。
頭でっかちなインテリ。
あるいは沈着冷静だけれど、人間味に欠ける人物だ。
しかし、実際は違う。
彼は好青年であった。
世間知らずで、少しばかり無愛想なところもあるが、普通の成年男子。
魔導師特有の、つまり貴族にありがちな選民意識はまったくない。
むしろ、感覚は平民のもの。
誰に対しても丁寧に接し、相手の立場によって態度を変えるなんてことはしない。とても健全でまっとうな性格だ。
「シンって、聞き上手なのようねぇ。ずっと【邪神領域】で過ごしたせいかしらね。ごく当たり前の社会的常識なことを尋ねてくるし」
ルナは、相手が彼だと、ついつい饒舌になってしまう。
あの若者は、絶妙なタイミングで相槌をうつのだ。
ときに“すごい”だとか“信じられない”と驚く表情をみせる。
その反応が面白くて、会話を続けちゃう。
自覚のなかったことまで喋っていた。
たとえば、古の神々や大精霊への愚痴。自分たちは使い走りではないだとか、そちらの都合ばかり押しつけるなとか。
普段の彼女ならば、絶対に口にしない台詞だ。
批判対象は、遥か格上の存在である。畏れ敬うべきと、ずっと思い込んでいた。
「一緒にいると、隠していた感情がでてくるし。わたしって、どうしちゃったのかしら?」
酒に酔った勢いかもしれない。
でも、相手がシンだからこそ安心できるのは確かである。
補足をひとつ。
対人コミュニケ―ションでは、雰囲気のほうが大切だ。
実際に、相手から受け取る情報のうち八割以上が非言語情報だったりする。
具体的には、顔の表情や目の動き。声の高低や口調、スピード、テンポ。ちょっとした仕草など。
人間は、無意識のうちに肉体言語を重視している。
会話内容よりもだ。
そういった意味で、シンは全身で好意的表現をしていた。
「なんだか気になるのよねぇ」
女という生き物は、気持ちよく喋らせてくれる異性に、好意をもつものらしい。
余計な口をはさまずに、女性の話を飽きもせずに聞いてくれる男性は貴重だ。
たいがいの男どもは、己を偉くみせようと上から目線。
でも、彼にはそれがない。
すてきな殿方に心惹かれるのは自然なこと。
ましてや、嫌いになるなんて不可能だ。
もっと相手のことを知りたい。
自分でもチョロイと思うが、これが彼女の素直な想いであった。
テーブルに置いていた通信用魔道具から声がかかる。
「ルナ様、まもなくマスターが覚醒する頃合いです」
「わかったわ、ミドリ。お茶の時間はおしまいね」
大きく息をはいて気持ちを整える。
長年のあいだ、“とある願望”を抱えてきた。
ようやく実現できるかもしれないのだ。
なんとしてでも、協力をとりつける必要がある。
「わたしの願いがかなうなら、なんだってするわ」
この身を犠牲にしたってかまわない。
覚悟はできている。
永いあいだ、苦しみ続けてきたのだから。
彼女が、助力を得ようと考えたきっかけ。
海神から受けとったメッセージであった。
『導灯を掲げる者、シン・コルネリウスに助けを求めよ』