3-20.メッセージ
シンはワインを軽く口に含む。
前世の身体は下戸で、アルコールに弱い体質だった。
今生では、飲酒には縁がない生活なので、酒類の良し悪しがわからない。それでも、今宵の酒は素直においしいと感じる。
「意外と、錬成身体は酒精に強いのかもしれないな」
ここは、高級ホテルのバー。
店内には彼ひとりだけで、バーテンダーどころか誰もいない。
理由は白霧騒ぎの影響だ。従業員は家族の身を案じて帰宅し、負傷した者は治療院送りになっていた。
支配人から自由にしてよいと、言われている。
店のものはいくら飲んでかまわないと、気前のいい台詞をもらった。そんな好意に甘えて、葡萄酒を愉しんでいるわけだ。
彼は【大亀仙霊】のメッセージについて考える。
『月の彷徨い人、ルナ・クロニスに助けを求めよ』
なんとも解釈に困る内容だ。
その人物の名前は、ルナ・クロニス。
『ルナ』は古の言葉で『月』を意味する。
『クロニス』は時間神クロノスから派生した氏族名。
見かけこそ若い娘だが、中身はとんでもない猛者である。
彼女は【禍祓い】だ。
ふたつの神器(短剣と小鈴)を使う。強烈な神気をまとっていて、余人では触れることは不可能。途轍もなく物騒なモノを、二個同時に使用するのだから、能力は計り知れない。
おまけに【彷徨い人】だというのだ。
どうにも違和感が強い。
気高く美しく、なによりも凄まじい権能を有する。そんな女性が、当て所もないまま“彷徨う”だなんて信じられない。
「まあ、人間には悩みごとがあって当然か。他人には開示できないものを、心の奥底に隠していたりする。彼女にも、精神的な淀みがあるのかね」
問題は、メッセージの『助けを求めよ』の部分。
暗示しているのは、助力が必要になるほどの危地に陥ること。これに対する仮説は、おおまかに二つ。
「第一仮説は、私の“寿命が短いこと”を危険とみる場合」
彼は、人工的に創造された錬成人間だ。
目覚めた時点で、稼働期間は十五日間しかなかった。極端に短命なのは、製造過程に事故でもあったのだろう。
幸い、再生処理を施せば延命できる。
とはいえ、技術的な課題もあって、追加できる日数は三~十日間ほど。ちなみに、現在のLP最大値は120。最大百二十日のあいだ稼働できる。
「第二仮設は、予測不可能な事態に遭遇する可能性か」
少しばかり不安を感じる。
この説が正しければ、占い師に“不幸になる”と予言されたようなものだ。
いや、超常の存在である【大亀仙霊】の預言だ。絶対に的中するに決まっている。わざわざ、神さまが“悪いことがおきる”とメッセージを寄こした。もう、気分は最悪だ。
背後から声がかかる。
口調は柔らかな女性のもの。
「ご相伴してよろしいかしら?」
ルナであった。
ゆっくりと歩く動きは、至極しなやか。
身体能力の高さをうかがわせる。
見た目は二十歳台半ばくらい。ただし、年経た智者の雰囲気を漂わせているせいで、妙にアンバランスだ。
まったくもって不思議な女性である。
「もう、夜更けなのに寝ないのね。今日の騒ぎで、気分が昂ったままなの?」
「ああ、眠れなくてね」
彼は、彼女のためにお酒を注ぐ。
つまみに幾種類かのチーズ、薄くスライスしたハムを用意した。
残念ながら、葡萄酒に相応しい定番料理なんて知らない。せいぜいが、赤ワインは肉料理が合うと覚えている程度だ。申し訳ないけれど、これで勘弁してもらおう。
ふたりは、互いのグラスを軽く当てた。
【大亀仙霊】からの依頼を完了させたことへの祝杯だ。
適当に選んだ品々が意外と美味しい。ついつい飲むペースが早くなってしまう。深夜の酒宴はおおいに盛りあがった。
「無茶振りばかりしやがって。後始末は自分でしろ」
「人間はアンタらの使い走りじゃない」
共通する話題があった。神々や精霊についてだ。
ふたりは、超常の存在と接触する機会が多い。
しかしながら、望んでのことではない。強引に厄介事を押しつけられることに、辟易としていた。そんな背景もあって、会話は愚痴の言い合いになってしまう。
酒のせいで口が軽い。
シンは、普段なら絶対に言葉にしないことを尋ねていた。
「眠るのが怖いと思ったことはないか?」
「え~、なにそれ」
ルナは首をかしげる。
何気ない動きにあわせて、胸のブローチがキラリと光った。
それは、彼がプレゼントしたもの。
砦街キャツアフォートでバケモノ病が流行した際、伝染病対策として渡した魔導具だ。気に入ってくれたらしく、いつも彼女は身に着けている。
「ちょっと意味がわからないわ。もう少し説明してほしいかな」
「夜に寝て、朝に起きる。ごく普通の日常的な生活サイクルだ。
でも、もしかしたら、次の日は目覚めることができない。いつの間にか、心臓の鼓動は停止し、呼吸をしなくなる。そんな想像をしたことはないかな?」
じつは、彼は眠るのが怖い。
長いあいだ、“死”から逃れようと足掻いてきたせいだろう。
魔法に【状態管理】というものがある。
自分の状態を知るための初級魔法だ。この魔術を使えば、錬成身体が活動できる日数をLP値として把握できる。
これがつらいのだ。
何日後に死亡するか、明確に示される。
ライフ・ポイントを確認するたびに、胸が締めつけられた。いくら延命処置が可能だといっても、失敗の可能性は常にあるのだから。死の恐怖に怯えて、眠れぬ夜を過ごしたことは数えきれないほど。
さらに【大亀仙霊】のメッセージだ。
『助けを求める』べき相手はルナ。
その人物を前にして、彼はついつい益体もない質問をしてしまった。
ルナは、“変な想像ねぇ”と軽く笑う。
さすがに賢い彼女でも、彼の心の奥底にある恐怖に気づくことはできなかった。
「わたしには判らない感覚ね。でも、あなたの話で思い出したことがあるわ。辺境民族の語り部から聞いた寓話よ。“眠り”は“死”と双子の兄弟なんだって」
いわく、生物は“死と再生”を繰り返すとのだとか。
人も動物も睡眠中に、“あの世”に還る。夢は“あちら側”での経験だ。
朝になって目覚めても、なにも覚えていない。あるいは、夢路の内容が支離滅裂なのは、記憶を“この世”に持ち帰るのを、禁止されているから。
「“死”は、毎夜経験する身近なもの。恐れる必要なんて、まったくない。ゆえに、賢者は今この瞬間に“生きる”ことに集中するの。過去を悔やんだり、未来に怯えたりしないでね」
「なるほど。説法じみているけれど、含蓄ある箴言だな。
貴女の話を聞いて、私も思い出した“教え”がある。『死から助言を得る』というものだ」
シンは、とある呪術師の言葉を説明した。
『“死”は、いつもお前の左肩後ろにいる。
でも安心するがいい。なぜならヤツが声をかけるのはたった一度しか許されていないのだから。その時がくるまで静かに待っているだけ。
だから、賢い戦士は“死”を自分の味方につけて助言を得るのだよ』
彼は、奇妙な体験をしたことを語った。
十年ほど昔、【邪神領域】で活動していたときのこと。
カマキリ型モンスターに気づかず、危険な状況にあった。
「不意に、“なにか”から警告を受けて危地を脱した。
私は、それを“死”だと感じている。以降、幾度となく注意を促されて助かった。この世の理では説明できない“ものの不思議”があるのだと、思い知らされている」
「ふうん。そんなこともあるかもね。だって、この世界には、魔法なんてインチキがあるくらいだし」
誰だって、少しでも長く生きていたい。
人間社会では、一般的に“死”を忌むべきものとしている。わざわざ“永眠”なんて言い換えたりするくらいだ。
「でもね、わたしにとって“死”は安息を意味するの。いいえ、そうあって欲しいと願っているわ」
彼女の発言には謎が多い。
どうやら複雑な事情があるらしい。
表情や口ぶりから察するに、あまり突っ込んだ話をするはダメな気がする。下手をすれば、引き返せない領域へと迷いこみそうだ。
“死”を話題にするのを止めよう。
己の心奥深くに秘めていることを晒しかねない。
シンは適当に言葉をにごして、深夜の酒宴を終わらせた。
三日後。
シンは小洒落た屋敷にいた。
コルベール男爵が幾つも持っている邸宅のひとつ。
相手はシモンヌで、男爵家秘書官である。
以前、砦街の錬金術師組合の代表を務めていた。
今は男爵令息ジュールの部下として働いている。
彼女に呼ばれて、彼は指定された館まで赴いてきた。
男爵家は、今回の騒動について調査中。
調べることは多い。そもそもの発端は【紺碧神殿】から宝珠が盗まれたこと。白霧を発生させたのは、海神の【大亀仙霊】。それらに巻き込まれた被害者たち。領都が被った経済的損失など大勢の関係者が事情聴取を受けていた。
もちろん、シンも証言者のひとりである。
「私は街外の丘にいて、濃い霧が街に押し寄せてくるのを目撃した。アレは津波というよりも巨大な壁だったよ。高さは百メートル以上はあったかな。横幅に至っては数十キロメートルも……」
可能なかぎり証言した。
客観的な事実を伝えたし、自分の行動には糾弾される点はない。ただし、【神告】のことなど、秘密にすべき部分は適当にごまかしている。
捕捉するなら、彼は脇役だ。
主役は港湾協会のダヴィッド代表と労働者たち。
領都の住人たちが海神の宝珠を取り戻したのだ。
事情聴取の後、昼食に誘われた。
卓上には前菜サラダと海鮮スープが並んでいる。港街なだけあって、新鮮な魚介類を活かした料理が多い。
「それにしても、司祭が【紺碧神殿】から宝物を持ち去るとは驚いた。たしか、本人はコルベール家の係累だと聞いている。領主家はどう決着させるつもりだろうか?」
シンは、今回の黒幕は男爵家一族だと推測している。
理由は、神殿司祭が“自分は反対したのに”と叫んでいたこと。当人は抵抗したけれど、最後には実行せざるを得なかった。
男爵家所縁の者が断れない相手なんて、少数だ。
領主本人か、その近親者が命じたのであろう。
シモンヌは顔をしかめる。
メインディッシュのラム肉のトマト煮込みを、ナイフで切り分けながら返答した。
「まったく、頭の痛いことだ。司祭が主犯格なのは確実だし、証言する人間も大勢いる。男爵様もかばいきれまいよ。主犯は死亡したが、なんらかのケジメをつけねば、収まりがつかない」
彼女も、一族の誰かが関わっていると確信している。
それどころか、黒幕本人を特定すらしていた。
ただし、証拠がないし、問い詰めることも不可能だ。
「改めて、確認したい。宝珠を返していなければ、領都が海の底に沈んでいたというのは本当か?」
「ああ、その通りだ。私は、海神の陣営の者から直接に聞いた。対象は街だけでなく、付近の平野部ごとだと」
シンは、少しばかりボヤかして返答する。
さすがに、上位家庭者と直接的に意思疎通できると、公表するつもりはない。
人間社会の反応が読めないからだ。
邪神信仰者として迫害される恐れがある。逆に神の使いとして崇められるかもしれない。どちらにしても、面倒なことになるのは確実だ。
「それほどまでに怒りは大きかった。海神にとって、アレは大切なものであったのだろう。あるいは、信用していた一族に裏切られたことが、激怒の原因かもな」
「人間ごときに神々のお考えは判らんよ。我らができることといえば、畏れ敬うことだけ。
つけ加えるなら感謝も。物を返却しただけで、お怒りを鎮めてくださったのだからな。運が良かったとしか言いようがない」
シモンヌはしみじみと述べる。
領都の住民は約十万人。周辺の村落などを含めれば、人数は二倍になる。もし、神罰が下ったなら、どれほどの犠牲者がでたであろうか。
想像しただけでゾッとする。
執事が食後のデザートをもってきた。
砕いたナッツを練りこんだクッキーとアップルティー。
彼が、紅茶を口にした瞬間……。
ゾクリと悪寒が走った。
この感覚は幾度も経験している。
左後方にいる“死”が警告を発したのだ。
「毒か!」
毒物を体内に取り込んでしまった。
すぐに茶を吐き出したが、それでも少しばかり飲んでいる。
シモンヌは目をそむけながら、
「ごめんなさい。でも、あなたが悪いのよ。
わたしは、早く領都を離れるように忠告してあげたのに。それを無視するから、こうなるのだわ」
彼女は、男爵本人からの命令だと告白した。
以前から領主は、シンを相当に疎ましく感じていたのだという。
嫌われる理由は、たくさんあった。
まず、【邪神領域】から多数の認識票を持ち帰ったこと。これにより、三年前の邪神領域侵攻の失敗が、再び思い起こされてしまった。
封鎖した砦街から大勢の住民を脱出させたこと。
また、バケモノ病は存在せず、伝染病と寄生生物が組み合わさっただけだと公表した。その結果、男爵家令息の判断が、誤りだったと世間に知らしめた。
最期のとどめは、【紺碧神殿】の宝珠を海神に返したことだという。
ハッキリ言って、男爵の暗殺命令は八つ当たりだ。
いずれもシンの責任ではない。
今回の騒ぎにいたっては、領都が海の底に沈むのを阻止している。賞賛されることはあっても非難される筋合いはない。
それでも、男爵家当主は殺害を命じた。
シモンヌや令息ジュールは強く反対したようだが、当主の意向には逆らえない。やむなく、彼女が実行役を務めることになったらしい。
シンの身体は小刻みに震える。
体温が低下して、手足が冷たくなってゆくのが自覚できた。
なんとか【念話】で助けを求める。
『ウコン、サコン、来てくれ! 』
騎竜たちが室内に乱入してきた。
窓枠ごと壁の一部を破壊して突入したのだ。
勢い余って内壁に激突する直前、頑丈な脚で体勢をうまくコントロールする。サコンが、主を咥えて、相棒の背に載せた。
ウコンは助走なしにジャンプ。破れた窓から外へと脱出する。
サコンは室内に留まって、大きく吠えた。
その咆哮は肚に響く重低音で、シモンヌの身体を震わせる。
牙をガチガチと鳴らせた。主を傷つけた者への怒りを露わにする。
彼は、憎い人間を噛み殺そうとしたが……。
外から仲間の催促が聞こえたので、渋々と室外へと飛び出す。
シンは、息も絶え絶えに指示する。
『宿泊先へ向かってくれ。ルナに助けを求める』
騎竜たちは全力で駆けた。
人々を威嚇して、道を空けさせる。
ときには屋根上を走り、建屋内を強引に突き抜けてゆく。
幸いなことに、ルナは高級ホテルのロビーにいた。
茶菓子を愉しんでいたのだけれど、二脚竜に担がれたシンを見て慌てる。
「怪我した個所はどこ?」
「ち、ちがう……、毒を盛られた。すぐに吐いたが、それでも少し飲んでしまった」
彼女は、急いで解毒剤を与える。
次に失った体力を回復させるための魔法回復薬を準備した。
ただし、これらは応急処置だ。服用させた薬品は、ごく一般的な毒物に対するもの。摂取した毒成分に有効かは不明だ。
とりあえずは、薬剤が効いたかは様子をみるしかない。
「追手が来るわね。早くここを離れなきゃ」
ルナは、脱出すべきだと判断する。
彼が訪問した相手はシモンヌ秘書官であり、そこで殺されかけた。
男爵家が動いているのは確実だ。逃げ去った人間に、部下を差し向けてくるのは間違いない。
「ねえ、ウコン、サコン。あなたたちのご主人さまを助けるから、一緒についてきてね」
彼女は手早く準備をする。
自身の装備を整え、必要最低限のものだけを袋に詰めた。
シンの財産はすべて捨て置く。
人外魔境の大森林から持ち込んだ希少素材。それらを交換して得た錬金資材。高価な書籍類や金貨銀貨など。
悔しいが、これらは全部、押収されるだろう。
いまは諦めるしかない。
しかし、彼なら必ず取り戻すはずだ。キッチリと利子をつけて。
ルナは、短い付き合いだが知っている。
シン・コルネリウスという人物は、恩には恩で、仇には仇で返すことを。
「さあ、逃げましょう。あなたたちの体力が頼りなの。がんばってね」
彼女は、騎竜サコンに跨る。
ウコンの背に、意識を失ったシンを括りつけた。
ふたりは領都シュバリデンを出て【邪神領域】へと駆けた。
■現在のシンの基本状態
HP:56/198
MP:185/210
LP:70/120
付記:毒汚染状態
活動限界まで、あと七十日。




