3-16.港湾協会にて
シンは、塵芥が漂うなかを悠然とすすむ。
破壊した扉の破片や瓦礫が、散乱しているけれど、それらを気にすることもない。
「やあ、はじめまして。私はシン・コルネリウスという。
暫しのあいだ、おつき合いを願いたい」
ここは港湾協会の建物だ。建築物としては相当に大きい。
領都シュバリデンのなかでも五指に入る。ただし、内装は実用一点張り。無駄な装飾はなくて、ひと言で表現するなら巨大な倉庫だ。
正面玄関とそこに接するホールは吹き抜け構造になっていて、たいへん見通しが良い。普段なら、たくさんの人間がいて活気のある場所。
しかし、今は異様なほど静か。
誰もが口を閉ざしていて、喋ろうとしない。
みんな、恐怖していたのだ。扉や鎧戸が破壊され、恐ろしい白霧が室内に入ってきたからだ。霧から逃れるために、ここへ避難したのに……。
だが、それも意味がなくなった。
外と同じように危険な場所になったのだ。
シンは、怯える人々に大声で語りかける。
「まずは謝罪を。少々手荒い方法をとらせてもらったが、そこは勘弁してほしい。是非とも聞いてもらいたい話があったのでね」
詫びの言葉を口にしたけれど、形だけのもの。
彼の態度は堂々としていて、まったく悪びれる様子はない。
己が為したこと、つまり、建屋内への乱入について、正しい行為であったと思っている。
彼は優先順位を明確にする質だ。
今回の騒動において、優先すべきは海神からの請負仕事を完了させること。絶対に盗まれた宝珠を取り戻す。
依頼を達成すれば、諸問題は解決だ。
恐ろしい白霧も、宙を泳ぐバケモノも、街から退くのだから。
それ以外のことは無視するつもり。
少々の乱暴や狼藉の類は勘弁してもらおう。というか、他者に配慮している余裕がない。もし、宝珠回収に失敗すれば、領都シュバリデンは住人十万人とともに海の底に沈んでしまう。
さすがに、そんな天災級の惨事は防ぎたい。
なので、港湾協会の労働者たちを脅迫してでも、有用な情報を集めるつもりだ。
海洋性魔物どもが室内に侵入してくる。
コイツらは【大亀仙霊】の眷属だ。相変わらず空中を遊泳するという、普通ではあり得ない動きである。
その多くは小魚型で、個別に見ればゆったりとした動作。
ただし、集まって大きな群れを形成している。まるで一匹の巨大生物のようだ。この集団が襲ってくれば、人間に抗う術はない。
建物内の人々は怯えた。
「ば、ばけものが入ってきた。ああ、もうダメだ」
「はやく逃げろ。二階の個室に立てこもれば助かる」
「なんだよ、アイツは。扉を壊しやがって」
悲鳴をあげてうずくまる男。
恐怖で身が縮こまり、ガタガタと震えている婦人。
ちょっと目端の利く者は、階段を昇って階上に隠れる。
誰もが魔物の恐ろしさを知っていた。
彼らは、外にいた住人が殺されてゆくのを目撃している。それどころか、建物内部に入れてくれと懇願する人たちを締め出した。
同僚や知人を見殺しにしたのだ。そうせざる得ないほどに、バケモノたちはヤバい。
シンは、やれやれといった風情で眺めた。
いまのところ、海の魔物どもは、宙を泳ぐだけで人間を攻撃していない。それに気づかないとは、余裕がなさすぎる。まあ、責めるつもりはない。
ただし、港湾労働者たちには協力してもらう必要がある。
「静かにしろ。ジッとしていろ。私の言うとおりにすれば命は助かる。逆に、騒いだり逃げたりすれば、モンスターが襲ってくるぞ」
もう実力行使だ。情け容赦なく威圧する。
言葉だけでなく、意図的に魔力を放って建物内の人々を黙らせた。
そのうえで改めて問いかける。
「ここの代表者は誰だ。出てきてくれ。話がある」
「俺だ。ダヴィッドという。港湾協会のまとめ役をしている」
ガッチリした体格の壮年男性が名乗りをあげた。
特徴は、モジャモジャの顎ヒゲと日焼けした浅黒い肌。ガラガラ声なのは、現場で大声をだしているからだろう。
見た目からして、陣頭指揮型のリーダーなのだと窺い知れる。
「で、アンタは話をしたいというが、なんだ?」
「私たちは海の神から依頼を受けた。内容は宝珠を取り戻すこと。この領都に盗人がいる」
「馬鹿な、そんなバチ当たりがいるなんて」
ダヴィッド代表は驚く。
彼いわく、船乗りや港湾労働者は信心深い。
海の仕事は運に左右されがちだ。人間の力には限界があって、どうしても、ある一点から先は神頼みの世界。自ずとと信仰心が篤くなってゆく。
神々や精霊に加護を求めるのは、人として自然な感情であろう。
だから、神様を裏切る者がいるとは信じられなかった。
シンは説明を続ける。
「いま、海の神は沖合にいる。宝珠を取り戻すためだ」
白霧は海神によるもの。
その配下である巨大サメやクラゲは、主の宝物を奪還しようと、街を探しまわっている。
厄介なことに、ヤツらは無関係な住人と盗人との区別をしていない。目につくひとを片っ端から襲っているのだ。
「眷属の数は多いが、宝珠は未だ発見できていない。しびれを切らした海神は、私たちに回収を命じた。しかも、宝珠奪還に失敗すれば、住民ごと領都を海に沈めるという警告つきでだ」
「そ、そんな理不尽な」
「ふん、なにを今さら。元来、神々は理不尽そのものだ。
人間の価値観なんぞ気にもしない。特に、怒れる神は傍若無人だし、情け容赦もないぞ」
ダヴィッド代表は、シンを疑っていたらしい。
だが、話が“街を沈める”のあたりに及ぶと、さすがに無視できなかったようだ。本当なら都市は全滅するのだから。
うかつに虚偽だといって切り捨てるワケにはいかない。
かといって、全面的に信用することもできない。こんな葛藤する心情を語ったのち、次のことを言いだした。
「なるほど、話はいちおう筋はとおっている。だが、アンタは、神さまから命令を受けたというが、本当かどうかは判別できん。なんでもいいから俺たちを納得させてくれ」
「言い分はもっともだな。では、私が語ったことがウソではないと、証言してもらおう」
シンは、ルナとグレゴワール翁に合図をおくる。
彼女たちが、元・鑑定人と悪徳商人を連れてきた。拘束されていた犯罪者は表情を強張らせ、歯をがたがたと鳴らしている。
自分たちに何をさせるつもりなのか判らず不安なせいだ。
「お前たちは罪人だ。他者の物品を盗もうとしただけでない。ホテルの従業員や宿泊客たちを殺傷した」
館内全員に聞こえるように大きな声で語る。
コイツらが犯した罪は重い。
もし、被害者に引き渡せば、二人は私刑で殺されるだろう。領主による裁判でも、縛り首になるのは確実だ。
「助かるチャンスを与えてやろう。私の願いをかなえてくれるなら、この場から解放してやる」
「わ、わかった。俺たちはなにをすればいい?」
「簡単なことだ。ここにいる港湾協会のダヴィッド代表に説明してほしい。彼は、私たちのことを信じてくれないのだ。
特に神さまから命令を受けたという点について疑っている」
罪人ふたりに提示した条件。
内容は、港湾協会代表や労働者たちを説得すること。
彼らは、協会建屋に来るまでに、魔物が徘徊する白霧のなかを移動してきた。確かに、空中を泳ぐバケモノたちは恐ろしい。しかし、襲ってこなかったのは、海神の命令があったからだと、証言すればよい。
元・鑑定人と悪徳商人は、この提案にとびついた。
「わ、わかった」
「話をするくらいなら、かまわない」
犯罪者たちは説明を始めた。
もう必死だ。生きるか死ぬかの瀬戸際である。港湾協会の連中を納得させれば自由の身。逆に失敗すると、ホテル支配人になぶり殺されてしまう。
身振り手振りを交えて、ここに到着するまでに経験したことを伝えようとした。
シンは、ダヴィッド代表の様子をみる。
日に焼けた浅黒い顔はしかめ面だ。
それも当然のことだろう。罪人ふたりが語る内容が支離滅裂なのだ。熱意はあるが、何を喋っているのか理解できない。
はっきり言って、説明が下手すぎる。
元・鑑定人と悪徳商人には大切な観点が抜け落ちていた。重要なのは、相手を説得して信用させること。なにをどう云えば、解ってもらえるかを考慮していない。
むやみやたらと言葉を重ねるだけ。聞き手には届いていないのだ。
シンは、ハアッとため息をついて、
「ダメだな。協会代表を見てみろ。まったく納得していないぞ。残念だが、お前たちは不合格だ」
「言うとおりにしたじゃないか」
「な、なにをするつもりだ!」
「まあ、約束は守ってやろう。ホテルの被害者や領主にひき渡すことはしない。だが、お前たちは、みんなを納得させられなかった。
だから、自身の身をもって証明してもらうしかない」
彼はパンと柏手を打つ。
同時に、この異世界には存在しない大和言葉を口にした。
『我らが尊ぶは古の大御神。
眷属よ、海神の御稜威を知らしめよ』
建屋内の雰囲気が変化した。
一瞬、白霧が帯電したかのようにピリッと変質する。
その場にいる者、全員の身体が凝固して動けない。
呼吸すら満足にできないのだ。懸命に空気を吸おうとするのだけれど、思うように肺に酸素が届かない。
例外は、シンとルナ、グレゴワール翁の三人だけ。
【大亀仙霊】の配下が動きだす。
人間たちを威嚇する動作だ。すごい勢いて突進してきては直前で方向転換をする。それを群れ全体でおこなうのだから非常におそろしい。
さらに、巨大でグロテスクなモノが窓からはいってくる。
労働者が悲鳴をあげた。
「あ、あれは【海底の悪魔】じゃないか。しかも、とてつもなく大きいぞ」
巨大なタコであった。
頭部と胴体部分で二メートルほどのサイズ。足先まで含めると、全長五メートルを超える。あきれるくらいにデカい。
ソイツが、触手を建物外から小さな窓に突き入れる。
ウネウネと蠢いて吸盤を壁面にベタリと張りつかせた。さらに、身体をグニャリと変形させてゆく。室内へと侵入する様は実に不気味だ。
シンは妙な感心した。
―――さすが軟体生物。
あんな巨体やのに、小窓をくぐり抜けるなんて不思議なヤツや。どんな身体構造をしとるんやろか?
でも、正面玄関にまわれば楽に入室できるのに……。
場違いなツッコミもいれても、笑いひとつ取れへんなぁ。
【海底の悪魔】が襲いかかった。
触手を器用に動かして、元・鑑定人と悪徳商人を絡めとる。
タコの足は筋肉のかたまりだ。
全長五メートルに達するサイズになれば、そのパワーは凄まじい。人間の骨を折るなんて簡単なこと。
罪人たちからバキバキと異音がした。
その身体は、あり得ない形へと変化してゆく。
ふたりは懸命に抵抗していたが、長くは続かない。バケモノの口吻がブワリと開いて、彼らを丸かじりしてしまったからだ。
室内は静かになった。
先刻まで、犯罪者たちの叫びが響いていたけれど、今は沈黙が室内を支配する。
誰もが口をつぐんでいた。
迂闊に声を発せば、恐ろしいモンスターに捕まってしまう。次に襲われるのは自分かもしれない。そんな思いに囚われて、労働者たちは悲鳴すら押し殺していた。
ダヴィッド代表がボソリとつぶやく。
「なんてヤツだ。【海底の悪魔】を手なづけてやがる」
彼は判ってしまった。
この場を支配しているのは、シンと名乗る人物なのだと。
若者が信じられない行動にでた。海のモンスターに近づき、親し気に触れる。おまけに、”ごくろうさま”と労う始末だ。
シンは、館内の全員にむかって語りかける。
「さて、諸君。ご覧のとおりだ。この子は海神の眷属で、いまは私の言うことに従ってくれる。納得してもらえただろうか?」
「わ、わかった。アンタの話は本当だ。信用する」
ダヴィッド代表も労働者たちもうなずいた。
懸命に同意したと身体全体で示す。疑うなんて言葉は、絶対に口にできない。相手は、恐ろしい【海底の悪魔】を“この子”なんて表現する人間だ。そんな人物に逆らうなんて無理。
「よかった。みんな、素直に信じてくれてうれしいよ。これで、ようやく本題にはいることができる」
シンは嬉しそうに笑った。
ただ、その笑顔を見た港湾労働者たちが、恐怖したのに気づいていない。少しばかり鈍感なところは、彼の愛嬌であろうか。
■現在のシンの基本状態
HP:198/198
MP:185/210
LP:73/120
活動限界まで、あと七十三日。