3-08.研究発表会
ルナ・クロニス。
彼女は【禍祓い】として各地をまわっている。
この仕事を好き好んでやっているワケではない。
だけれど、自分の生き方には合っているとおもう。
というのも、故あってひとつ所に定住できないせいだ。同じ場所で何年か過ごして、別の土地へと移動してゆく。
そんなことを何度も繰り返してきた。
あるとき、不思議な青年と出会う。
「シンも【神告】で招集されてやってきたのよねぇ。新しく生まれ出でる神を言祝ぐのが役目だと、知ってはいたけれど。
まさか、【言霊使い】だなんて、思いもよらなかったわ」
相手は、人間離れをした“力”の権化であった。
身体から放出する魔力は、“強烈”のひとこと。
空気が帯電して頭髪が逆立っしまうのだから、とんでもないバケモノだ。彼が歩み寄ってくる様は、上位精霊が近づいてきたのだと勘違いしたくらい。
「【清め司】さまも顔が引きつっていたし。
いつも泰然としたお婆様が、顔色を変えるなんて滅多にないもの。うふふ、ちょっと見物だったわ」
ルナは、さらに驚かされてしまった。
シンが発する言葉ひとつひとつに神霊が宿るのだ。
その言祝ぎが重なるにつれて空間が変容してゆく。
「言い伝えでは【言霊使い】は現世に多大な影響を与えるとされていた。でも、あれほどとは思いもしなかった」
おそらく、神代言語なのだろう。
若者が祝詞を捧げているのは判るのだが、彼女には意味が理解できない。初めて耳にする口調であり、言語体系がまったく違う。
なにを語っているのか類推することすら不可能であった。
【清め司】も茫然と見守るだけ。
普段のお婆さまは、巧妙に惚けて感情を隠している。
だが、あのときばかりは大きく目を見開いていた。媼の名声は、国内ばかりでなく大陸全体に響いているが、その大人物をして言わしめた言葉がある。
「かような者が野に埋もれているとは、まこと世間は広いわい」
この意見には賛成だ。
ルナ自身も、たくさんの人物と出会っている。
ほうぼうの土地や国を巡り歩いていたからだ。
でも、こうも強烈な権能をもつ人間をみたことがなかった。
彼女が、シンに関心を持った理由は別にある。
「彼は錬金術師。しかもコルネリウス派なのよねぇ」
首にかかっていたペンダントで分かった。
形は八芒星で、マスタークラスの証だ。
もっとも、いまのご時世では学派の名称を知るものは、ごく少数。今世のアルケミストたちは十把一絡に“古式”と表現している程度だ。
ずっと昔、同派の術師に世話になったことがある。
随分と親切にしてもらった。
当時、かなり危ない状況にあったところを、密かに保護してくれたのだ。
恩人たちは、とても仲の良い夫婦。
しばらくの間、一緒に生活していたのだけれど、ずいぶんと穏やかな時間を過ごす。今にしておもえば、なんとも幸せな時期であったことか。
異国の地で、風の便りに亡くなったと聞く。
恩返しをしたかったが、報いる機会にも恵まれず、苦い記憶だけが残っている。
「う~ん。彼って、あの人たちと同じ一門だし。そう思うと無碍にできないわ」
なんとなく、若い錬金術師にはかまってあげたい。
世話になったカップルの面影を、投射しているのだろう。自分でも妙な関心の持ちかただと判っているけれど、放っておけない気持ちは本物だ。
彼女は、彼を異国人だと推測している。
というのも、発音がこの国のものではないから。
かなり流暢だけれど、他国人が喋るという範疇でのこと。その口調は、あきらかに生まれも育ちも違う人間のもの。言い回しも独特だし、根本的なところで思考回路がちがうのだ。
「すごくアンバランスだわ。そこがまた気になるところなのだけど。うふふっ」
シンには無知と博識が混在しているのだ。
こうも常識的なことを知らないのかと呆れることが多い。
逆に、なぜそんな知識があるのだと、ビックリさせられるところもあった。
具体例だと、物品の相場感が欠けている。
ものを買うにしても、売人が提示した金額を信じて支払おうとしていた。明らかにボッタクリな価格なのにだ。
通常、商いでは売手と買手が価格交渉するが、彼は値切ることをしない。見ていてヤキモキするくらいに、金銭感覚がズレている。
いっぽうで、交渉巧者だったりする。
実際、商売人との物品売買では高等テクニックを駆使していた。
高級ホテルを舞台装置にするなんて発想は、王都の大商人でも思いつくまい。
当の本人に尋ねてみたことがある。
説明してくれたのだけれど、ルナには理解できなかった。
訳の判らない単語、たとえば“ハロー効果”がどうのこうの。“本拠地”や“敵地”が心理的影響を与えてうんぬん……。
前提となる知識がないと話についてゆけなかった。
「ねえ、シン。人里離れて暮らしていたってほんとうかしら? 商人たちとの駆け引きが鮮やかすぎるのよねぇ」
当人いわく、ずっと【邪心領域】で過ごしていたとのこと。
師匠が亡くなったから人間社会にでてきたという。
真実なら、その対人交渉経験は極端に少ないはず。
にもかかわらず、彼は高等テクニックを駆使して、難しい商談をまとめあげた。
奇妙なほど、交渉ごとに手慣れている。
表面だけみれば、相手に過分なほどの利益を供与していた。
だが、シッカリと投資回収できる筋道をつけているのだから、驚いてしまう。どう考えても、行動と、生い立ちとの間に大きなギャップがある。
どんな秘密があるのか、ちょっぴり興味をもってしまった。
「やっぱり、目を離せないのよねぇ。しばらく、一緒にいようかしら」
ルナは契約更新することにした。
なにかと危うげな若者には、適切なアドバイスが必要だ。お試しとして三日間だけだが、期間を延長するつもり。
あの若い錬金術師がなにをしてくれるのか楽しみでしかたがない。
■■■■■
研究発表会の日。
多くの参加者がやってきた。
彼らの所属は、薬師組合や錬金術師組合、科学アカデミー、医術関係者など多種多様。出身地域もバラバラだ。領都シュバリデンだけでなく、王都や他の土地からわざわざ移動してきたのだ。
背景にあるのは、伝染病への恐れ。
大勢の者が関心を示しても当然であろう。
正体不明の危険な病が拡大する可能性に、ずっと懸念してきたのだから。今回の発表会で、病気の原因が説明されるとあって、誰もが真剣な面持ちだ。
シンは、控え室から会場の様子を見てひと言。
「うん、これはプレゼンテーション。この程度の人数なら、どうということもない」
過去世の経験を生かすつもりだ。
展示会や講演会で、たくさんの聴衆を相手に幾つものプレゼンをこなしている。彼はシステム開発系の仕事をしていたが、営業も兼ねていた。
まあ、手慣れていると表現してもいいくらいだ。
「はじめまして。私はシン・コルネリウス。
謎の病魔に襲われた砦街キャツアフォートの現場にいた者です。件の病気を【バケモノ病】と、世間では通称されているようですね。
だが、誤った名称は、混乱を招く原因でしかない。
自分は錬金術師兼薬師として、未知の疾患を直接的に観察し、罹患者たちを…… 」
プレゼンテーションを成功させるコツ。
大きな声で、そしてゆっくりしたテンポで話すこと。
観衆を前にすると、けっこう緊張するので意外と早口になりがちだ。だから、意識して口調を緩やかにする。聴衆全体ではなく、個々ひとりひとりに視線を合わせて語りかければ、なおのこと良い。
「今回の発表会の主テーマはふたつ。
第一主題は、寄生型魔物について。
第二主題は、病気のもとになる細菌のこと。
これらの説明を通じて、いわゆる【バケモノ病】は誤解であることを示します。では、こちらをご覧ください」
前方の壁に画像を投影する。
これはプロジェクター“もどき”だ。
“もどき”と表現したのは魔道具だから。
機能は投影機と同じだけれど、錬金術の応用によるもの。
たとえば、フィルム。
スライムの表皮膜を薬剤加工して薄く固めた。
この異世界では、プラスティックなど石油由来の製品は発明されていなかった。で、魔物素材からつくりだしたモノに絵や文字を描いて、裏側から光を当てて画面を映している。
「おお、なんじゃい。姿絵が出現したぞい」
「もしかして、光系魔法か」
「いや、魔導具じゃな。なんらかの魔法陣を組み込んでおる」
聴衆の反応は上々だ。
誰も投影画像なんて見たこともない。
しかも、壁いっぱいに寄生型魔物の細密画。迫力満点の絵図だ。どんなに言葉を重ねるよりも、一枚の画像のほうが観衆に与える衝撃は大きい。
最初のつかみはバッチリだ。
彼ら参加者たちは研究結果の内容を詳しく知りたがっている。
シンは気をよくしてプレゼンテーションを続けた。
「私は、コレラ菌が病魔の原因であることを証明できると断言しました。しかしながら、ひとつ欠かせない前提条件があります。それは、皆さんのご協力です」
証明方法について説明した。
簡単にまとめれば以下のような感じである。
―――今回の砦街の病気は細菌のせいや。
でも、あんたらはウチの話を信用でけへんやろ? まあ、そう考えるのはもっともなことや。
せやさかい、サンプルを渡したるわ。
自分らで検証してみ。でな、結果が同じやったら、ワテが言うてたことが正しいちゅうことやで。どや? やってみぃへんか。
ちなみに検証実験は、めっちゃおもろいで。
といった具合に煽りまくった。
思いっきり連中の好奇心を刺激してやる。
受け手側は研究心を掻き立てられて、すぐにも検証用標本を寄越せと、殺気に満ちた状態になってしまった。まったくもって思惑通りである。
だが、これで終わらせるつもりは“ない”。
「では、実際に光学式錬金顕微鏡を使ってみてください」
いまからお楽しみタイムの始まりだ!
参加者に顕微鏡を自由に触らせた。
準備したのは三台。みんな、珍しいもの見たさで機器の周りに集まって大騒ぎになる。
幾種類かのサンプルを用意しておいた。
たとえば、池の水。ミジンコやミカズキモといったプランクトンが観察できる。他には牛から採取した血液だとか、ヨーグルト内のビフィズス菌なんかの様子もバッチリだ。
ちなみに、この異世界でも光学式顕微鏡はある。
ただし、用途は趣味だ。
高額なおもちゃ扱いで、極小の世界を覗き見て楽しむといった程度。拡大倍率が低いため、科学的な研究分野では活用されていないのが現状だ。
シンは、そんな状態に一石を投じた。
「細菌が病気の元なのです。もちろん、すべてが元凶という訳ではありません。多くの細菌は無害ですが、一部は人間や家畜を苦しめる病原菌と……」
参加者たちは、微細世界に強い関心を持った。
実際、みんな顕微鏡に大はしゃぎだ。
「おお、小っちゃい何かが動いとるぞ」
「こ、これも生物なのか」
「どないな仕組みなんじゃ?」
各組織から貸してほしいという要望が続出した。
当然、了承する。もう赤字覚悟の出血大サービスだ。
「光学式顕微鏡を貸与するのは構いません。ただ、貸出契約書を締結していただきたい。あわせて、双方が求める諸条件について話し合いする機会を設けることも」
「ふむ、お主の言い分はもっともなことじゃ。では、各団体から交渉代表を……」
決めるべき項目は多かった。
今回の研究資料を提示すること。
標本体の取扱いについて。
検証実験や、それについての情報交換。
シンが希望する書籍閲覧権などで、互いの意見や条件をまとめて契約を交わすことで合意した。
特に、サンプルの扱いについて注意を促しておいた。
「いちおう、対策を幾つか施しています。まずは、カプセルの密封。これは、輸送時に破損を防ぐためのもの。また、あらかじめ定めた手順をふまないと開封できません。なお、開封以降の管理は相手方の責任範囲であり……」
外部に漏れては危険すぎる。
提供するのは、寄生型魔物の【侵食するモノ】とコレラ菌。
どちらも、人間社会に拡散すると大惨事だ。
こうして、研究結果の発表会は終了した。
■現在のシンの基本状態
HP:198/198
MP:210/210
LP:81/120
活動限界まで、あと八十一日。