2-19.救護院の惨劇
夕刻。
陽光は上空にたなびく雲や地上のものすべてを赤く染めあげている。
受付嬢イザベラは、教会の救護院にいた。
本来の所属は冒険者組合だが、モルガン組合長の命令に従って派遣されている。仕事内容は、病人の面倒をみる医師や看護師を手伝うこと。
もともと先輩受付嬢が来る予定だったけれども、とある交換条件をのんだ結果だ。
その内容は、彼女の粗相を秘密にするというもの。
普段ではあり得ない大失敗であったが、不覚にも先輩にバレてしまった。駆け引き上手な相手に対して、自分は碌な反論もできない。
やむなく救護院行きを受けるはめになった。
ことの発端は、シンと名乗る錬金術師の出現。
問題の男は途轍もない威圧感を放っていたのだ。
ヤツが姿を現した瞬間、組合事務所にいた冒険者たちはビビッてしまう。
運の悪いことに、イザベラは受付業務中。
彼女は、強烈なプレッシャーを真正面から浴びながらも、対応せねばならなかった。なぜか“死”を覚悟する。それほどの恐怖を感じてしまい、失神する直前にまで追い込まれたのだ。
怯えながらも、なんとか対処できた。
ただし、不覚にも下着が濡れてしまう。
しかも、その粗相の後始末を先輩にさせることになり、非常に恥ずかしい思いをした。なにもかも、あの若いアルケミストが元凶だ。
ここで補足をひとつ。
彼女は、シンを錬金術師だと思っているが、これは正しくはない。
正確には“錬金術も使える魔導師”だ。誤解の原因は、彼が錬金術師組合で薬を作っていること。さらに、誰も魔法使用を目撃していないから。
イザベラは鎧窓の隙間から外の様子を確認した。
「ハア~、ホント失敗したわ。あんな交換条件なんて断って、浮橋のほうに行けば良かった」
建物が燃えているのがみえる。
砦街のあちこちで黒煙がモクモクと立ち昇っていた。
煙に交じって火粉がチラチラと宙を漂う。風に煽られた炎の勢いは増して延焼範囲が広がっていた。火災は複数個所で発生しているが、消火を試みる人はいない。
ただし、火事よりも問題なことがある。
魔物の群れが街のなかにいるのだ。
窓ガラス越しでも、バケモノの様相は恐ろしい。
家屋を焼く火炎の赤色と、その影でできる黒色のコントラストのせいで、低位の緑色小鬼ですら、地獄に住む悪魔のようだ。
イザベラがいるのは救護院の別館。
建屋内には二十人ほどの人々が息を潜めて隠れている。
ほとんどは病人で、健康な者は彼女と修道女、警護役の冒険者の三人だけ。もし、化物どもに発見されてしまえば、たいして抵抗もできずに殺戮されてしまうだろう。
「見つからなければ良いけど」
先ほどまで、本館で悲鳴が響いていた。
群れをなした猪豚鬼や緑色小鬼どもが建物に押し入って、なかにいた人間を襲ったのだ。
いまは静かで、ときおり魔物のゲヒゲヒと下卑た笑いが伝わってくる。
救護院本館の人たちは殺された。
どこかに隠れているかもしれないが、ごく少数であろう。
次に別館が襲撃されるかもしれない。
そう思うと恐怖で身が震えてしまう。
幸い、別館は中庭をはさんで反対側の奥。
樹々に隠れていて目立たない。
彼女は、ここは発見されないはずだと己に言いきかせつつ、窓から見張っている。壮年冒険者や修道女も別の場所で外の様子を窺っているはずだ。
突然、正面玄関のほうから大きな音がした。
三頭の猪豚鬼が鉄斧で木製扉を叩きつけている。
破れた隙間を強引に押し広げて屋内に侵入してきた。
ヤツらは“み~つけた”とばかりに嫌味な笑い声をあげる。
これ見よがしに武器をふりまわした。
本館でやった殺戮の続きを楽しむつもりらしい。
病室はパニック状態になった。
「た、たすけてくれ」
「くそ、魔物がきやがった」
「はやく外へ逃げるんだ」
病人たちが騒ぎだす。
彼らは高熱や下痢で寝込んでいたのだけれど、命が危ないとベッドから飛び出して逃げようとした。だが、体力は激減していて足元は頼りなく、すぐに転倒する。
イザベラは、患者たちを助けようと動いた。
しかし、背後から肩をつかまれてしまう。
振りむくと、壮年冒険者が辛そうな表情をして左右に首をふった。
「だめだ。もう間に合わない。俺たちだけでも二階に隠れるぞ」
「わ、わかったわ」
彼女はやむなく階段をあがった。
階上の部屋には修道女がいる。半開きのドアから顔をだして“はやく入って”と催促してきた。入室して扉を閉じ、テーブルや椅子を立てかけて即席のバリケードをつくる。
ひとまず安心と大きく息を吐いた途端。
いきなり、扉がガンガンと叩かれた。
モンスターどもに見つかったのだ。
開けさせまいと懸命に押さえるが、外から打ちつける力は強い。
彼女たちは全力で身体をドアにおしつける。
扉の一部がバキッと割れた。
眼前に斧の先端部分が突き出ている。
「キャ~ッ」
イザベラは思わず仰け反り倒れてしまった。
斧刃の位置は、目と鼻先。もう少し刃先がズレていたら、頭に致命傷を負っていたはず。床に伏せる彼女を冒険者が引きずって壁まで後退させる。
ドアは何度も叩かれて、みるみる間にボロボロになってゆく。
やがて中央部に大きな穴が空き、バリケードにしていたテーブルや椅子が弾き飛ばされた。
姿を現したのは猪豚鬼が三匹。
極悪でグロテスクな顔つきだ。
ソイツは、病人たちを殺しまくっていたヤツで、手には血まみれの斧をもっている。それは鉄製の立派なもので、たかが魔物が生産できるシロモノではない。
たぶん、住人を襲って奪ったか、街のどこかから調達してきたのだろう。
連中の筋力は人間以上に強い。
武器の扱い方はデタラメだけれど、力押しで攻めるタイプだ。真正面からぶつかり合うと、パワー不足な人間に分が悪い。
しかも場所が良くなかった。
室内は狭くて、人が技を使って立ちまわるには不向きな空間。
覚悟をきめた冒険者は剣を抜いて、前にでた。
最後の意地とばかりに大声をだして、己を叱咤激励する。
イザベラと修道女は冒険者の後で身を竦めるだけ。
自分の無力さが情けない。
助勢しようとするのだが、ガチガチと歯が鳴るばかりで、身体が思うように動かない。
バシッ!
突然、猪豚鬼の頭部が消し飛んだ。
その背後にいた二匹の魔物たちも上半身がなくなるか、身体半分だけになっている。しかも壁には大きな穴が空いていた。
イザベラの顔に血の飛沫がかかる。
「え、えっ? 」
なにが起きたのか理解できなかった。
彼女の眼は、三体の猪豚鬼の体が破裂するのを映していたのに、認識が追いつかないのだ。
惚けた状態なのは、冒険者や修道女も共通している。
そんな彼らに、窓の外から呼びかけがあった。
「なんとか間に合ったようだな。だいじょうぶか? 」
声の主は、あの憎たらしい錬金術師であった。
■■■■■
数十分前。
シンは【念話ネットワーク】経由で街の様子を確認していた。
「おいおい、砦門が全開放しているじゃないか。計画とぜんぜん違うぞ」
転送されてきた映像に驚く。
それは、上空を飛ぶ鳥ゴーレムからの情報で、砦街正面の大門が大きく開け放たれているのが映っていた。
誰もが勝手自由に出入りできる状態だ。
今も猪豚鬼の群れが、なんの抵抗を受けることなく街のなかへ進入してゆく。
事前にモルガンから脱出計画を聞いていた。
予定では、住人たちが砦街を出た後に閉門することになっている。さらに見張りの門番役もつく計画だ。
組合長は、守りは万全だと言っていたが、現実はまったく違う。
―――開門している原因は想像できてまうわぁ。
どこにでも馬鹿者はいるちゅうこっちゃ。阿呆が、人々が退去したのを幸いとばかりに、ドロボーするために戻ったんやろうな。たぶん門番も仲間やで。
まあ、出来心で盗みにはいるのは、見逃してやってもエエ。
でもな、砦門を開けっぱなしにするのは許されへんわ。魔物のことを考えなかったんかいな。ことわざで“馬鹿につける薬はない”というけど本当にそのとおりや。
モンスターどもが街のなかを闊歩していた。
醜悪な緑色小鬼たちが、勝手気ままに建物にはいりこみ、食べものを喰らう。他にも魔犬や魔狼の類いが走り、猪豚鬼が手当たり次第にものを壊していた。
「チッ、まずいな。ヤツら救護院に人がいるのに気づいた」
あそこにいるは病人と看護師だ。
警護役の冒険者もいるはずだが、人数は少ない。建屋内に閉じこもっても魔獣の群れに対抗できないし、このままでは全滅する。
「ウコン、サコン。急ぐぞ」
全力疾走だ。
だが、今の位置からだと街まで十数分はかかる。
しかも、途中には魔物たちがうろついていて邪魔をした。
とりあえず、攻撃魔法【爆炎】を一発ぶちかます。
街道と周辺の樹々が爆発炎上して、一直線状の空間がひらけた。さらに、前衛役のサコンが進行方向にいる敵を蹴散らしてゆく。
とどめをさす必要はない。進路妨害さえなければ、魔獣どもが生きていようが死のうが、どうでも良かった。
とにかく一刻でも早く救助に向かわねば。
十分後、キャツアフォートに到着。
砦街はモンスターどもが溢れかえっていた。
「邪魔だ、どけ! 」
連続で魔法の【榴散射】を発動。
これは前世地球の榴散弾を参考にしたもので面制圧に適している。着弾すると、無数の極小魔力塊が飛び散って、半径三十メートル内のものをなぎ倒す。
街中で使用するには、あまりにも物騒すぎて使用不可だけれど、今いるのはバケモノばかり。誰にも気兼ねすることなく遠慮なしで、五月蝿なす魔物どもを排除した。
目的地の救護院へと急ぐ。
しかし、すでに猪豚鬼がなかで暴れていた。
「チッ、間に合わなかったか」
あたりを調べてまわる。
病室や廊下にはたくさんの死体があるだけで、生存者は皆無であった。それでも、あきらめきれずに、“居たら返事しろ”と声をだして生き残りを探す。
「キャ~ッ」
中庭の奥から女性の叫び声がした。
別館があるほうだ。
音源のほうを見やると、窓越しに追い詰められている三人の人間がいる。さらに彼らを襲おうとする猪豚鬼の姿もあった。
シンは精密射撃の魔法を放つ。
立て続けに三発を発射して魔物どもを撃ちたおした。
だが、問題がここで発生。
建築物に大穴が空いて、向こう側の景色がみえている。
モンスターを排除できたのは良いが、少しばかり攻撃力が強すぎたのだ。
―――アカン、これはないわ~。
壁面やから無事やったけど、柱に命中してたら崩壊してるで。【邪紳領域】基準の攻撃魔法やと強烈すぎるわ~。
こんなんやと、市街では迂闊に魔導展開でけへんやん。
なんか別の攻撃手段に切り替えへんとウチがテロリスト扱いされてまうで。
まあ、ええわ。ややこしいことは後で考えよ。とにかく、生存者を助けんとなぁ。
動揺は一瞬のこと。
騎竜ウコンにまたがって二階にまで跳躍する。
二脚竜は強靭な脚爪を壁に突き立てて、彼の身体を空中で支えてくれた。
窓の外から室内の生き残りたちの安全を確認する。
「なんとか間に合ったようだな。だいじょうぶか? 」
部屋には三人の男女がいた。
ひとりは以前に会ったおぼえがある。
冒険者組合で受付をしていた女性だ。名前は知らない。
他に要救助者がいないかを尋ねるが、判らないとの返事であった。
シンは、彼女らを残して周辺確認にむかう。
自分だけで魔物を駆除しつつ、生存者を探したが、残念なことに発見するのは死体ばかりであった。
別館に戻って、簡単に状況を説明する。
「本館にいた者は全滅だ。この場に留まるのは危険だし、安全なところへ避難したほうが良かろう」
「ああ、神よお助けください」
「確かに、ここは危ないわ」
「とはいえ、安心できる所ってどこだ? 」
シンは、錬金術師組合の建物を提案した。
建造物としては小規模だが、壁は厚くて頑丈な造りをしている。貴重な素材や薬品を保管する都合上、外部からの侵入を防ぐ構造になっていた。
身を守るには最適な場所であろう。
さらに、あそこには薬師と錬金術師が残っているはず。
街に留め置く感染者のために薬を供給するためだ。
付き合った期間は短くても大切な同僚なので、彼らを救助したい。
二頭の騎竜で目的地へとむかうことになった。
魔物に見つかるのを避けるために、屋根上を移動する。
救護院で助けた三名は、二脚竜に乗るのも初めてなうえに、アクロバティックな騎乗なんて無理だと尻込みした。
だが、シンは強引に押しきる。護衛しながらの地上移動なんて面倒だ。
たいした時間もかからずに到着。
わざわざ、群れ為す魔獣を回避した甲斐があったというものだ。
屋上から建屋内に声をかけて、三階の鎧窓を開けてもらった。
幸いなことに、錬金術師の老人と女性薬師は、怪我ひとつない。互いの無事を喜び、情報を交換し合った。
協議の結果、ひと晩をここで過ごすことにする。
夜はバケモノどもが活発に動く時間帯だ。
人間が出歩くのは危険し、錬金術師組合の建屋は頑丈で魔物たちの侵入を許さない。食料の備蓄も豊富にあるので、安心して休息できる。
その間を利用して、シンは密かに【念話ネットワーク】で交信する。
『ミドリ、部隊を動かしてほしい。夜間戦闘だ。詳細は部隊長と相談して決めてくれ』
『了解しました』
目的は魔物たちの排除。
砦街と浮橋の間にたむろしている敵を追い散らす。配下のツクモ族と硬殻兵士の混成部隊は強力だ。
たかが猪豚鬼や緑色小鬼程度なら問題なく対処できる。
ただし制限条件がある。
それは人には見つからないこと。目撃されると面倒くさいし、自分の戦力は隠しておきたい。まあ、街に生き残っている住人がいるとは思えないけれど、用心はするべきであろう。
夜明け。
シンたちは、キャツアフォートを出発した。
騎竜のウコンとサコンに分乗して仮設橋まで駆けてゆく。
昨日までいたモンスターどもの姿はほとんどなかった。ツクモ族と硬殻兵士が頑張ってくれたおかげだが、イザベラたちは知る由もない。
大河の岸辺に到着する。
戦闘の跡が生々しく、人間や魔物たちの死体が幾つも転がっていた。
念のため、生存者がいないかを調べてまわる。
一方で、イザベラは愕然としていた。
「ああ、なんてこと! 」
浮橋が流されていた。
安全な場所へと脱出する唯一の橋がなくなっており、彼らはここに取り残されたのだ。
■現在のシンの基本状態
HP:172/172
MP:183/183
LP:34/90
活動限界まで、あと三十四日。




